576
「だってうちらも人間じゃん」でごにょごにょと幕引きしそうになるのを私がしつこくしつこく遮ったから→
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人に好かれる、品行方正で愛嬌の良い人ほど多くの助けを得られるのだという事実が、そして他ならぬ「支援者」である私たち自身がそれを是としているという事実が曝け出されてしまった。その後の展開は思い出せないけど、会議の空気がひどく濁って重くなったことだけは記憶してる→
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「合理的配慮」について学校関係者からほぼ必ず出てくる「他の子がズルいと言うのでは…」という懸念。ズルいと感じるのは自分なのに、生徒のせいにしないでほしい。もし「ズルい」の言う子がいるなら、その子自身が今の環境にしんどさや不満があるってこと。そっちをちゃんと汲んであげることが必要
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「対話」は、あなたが/私が望む状態や言葉を引き出す道具じゃない。
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「対話しましょう」って言葉は、いつもいつも力を持ってる側から出てくる。被抑圧側でなくて。対話や多様性をうたう人や団体界隈での様々な加害事案や差別発言に触れる度に思う。対話は大切かもしれない。でも「対話しましょう」と言いたくなったら、まずその手の中のパワーの重みを味わった方がいい。
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そして基本的にまだまだ男性優位。女性の従事者は多いのに、権威は男性に集中している。
「対人支援職なのにまさか」でも「対人支援職にかぎって」でもない。「対人支援職だからこそ」の視点で性加害事案を振り返り、抑止していかなきゃならないと思う。
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「人を支援する」界隈での性加害がぽつぽつと表面化してる。「人を支援する立場なのにどうして」と思われるかもだけど、誰かの人生に関与することは他者をコントロールしたいという欲求のスイッチになる。「人のため」は権力。支援と支配は合わせ鏡。対人支援職はむしろ加害リスクの高い層かもしれない
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性加害は、まさにコントロール(支配)欲求に根差してる。そして対人支援という業界はなにかと屈折しやすい。多忙で、賃金の格差が激しく、仕事での報われなさを「良いことしてる」やりがいで埋め、「世間」に評価されず時に攻撃されることも多々あり、自分にも身内に甘くなる
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そんな学校の矛盾した姿勢は、本当に苦しい。ただ反抗的なように見られてしまうけれど、すごくすごく苦しんでる。
というフィードバックを学校にしても、「面倒な子」というラベルが追加されるだけでなかなか通じないのが悩ましい…
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「人を見た目で判断してはいけません」と言いながら見た目を画一化するようなルールがあったり、ルールを守りなさいと言いながら校則を守らせるために時に恫喝したり外見を強引に変えたりという法を犯す行為をしたり、自分の頭で考えなさいと言いながら反論を許さなかったり→
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他ならぬむすめ氏がそういうお子なのです。規範意識云々の問題ではないんですよ。むしろ規範意識が強いから、矛盾や浅さや非合理性をみて見ぬふりできないんです。さてさて高校生活、どうなるかしら…わりと不安…
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校則を守らない「悪い子」と評判の生徒さんと面談すると、ちっとも「悪い子」なんてことはなくて、ただ合理性をすごく大切にする子だったってことは珍しくない。校則に合理的な理由が見出せないから受け入れられない。理由をちゃんと説明されないから納得できない。つまり、実はとっても真面目さん
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彼らは合理的な理由と説明を求めてるだけなのに、「黙って言うことをきかない」だけで素行の悪い子扱いをされる。たしかにちょいと「こだわり(って言い方好きじゃないけど)」が強いなって思う子もいるけど、そういう子にとって例えば→
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もちろん女→男の加害もある。男→男も、女→女も。「被害に遭わない」教育は「加害しない」教育でもある。「何がいけないか」の軸は同じだから。でも男→女の加害が圧倒的多数な現状なのに女の子サイドへの教育の熱量が男の子サイドへのそれを上回ってる不均衡はなんとかならんものかな、ということ
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「もし何かの被害に遭っても、どんな状況で何を着ていてお酒を飲んでたとしてもあなたは全く悪くない、悪いのは加害する方、だからすぐ相談や通報して。もし誰かに言うのが怖かったり相談先がわからない時は、とりあえず私に連絡して」とも伝えてる。シェルターや食堂を卒業する女の子たちにも、娘にも
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何にも怯えず一人暮らしができて好きな服装ができて夜を歩けて遊べる世の中がはやく当たり前になってほしい。それが実現しないから、私たちは女の子に「自衛」を教え続ける。それが必要だから。危機感があるから。でも被害に遭うことへの危機感と加害することへの危機感は、まだ釣り合ってないと思う
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毎年独り暮らしを始める女の子たちに飲み会ではグラス手放さず席外したら交換する、最寄駅は教えない、帰宅の道はたまに変えて夜道は一人で歩かない、宅急便はコンビニ受け取りで大きなものを受け取る時は友達呼ぶみたいな話をするけど、男の子の親さんは同じ熱量で「加害しない」ことを教えてるのかな
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対人援助職がインフルエンサーを目指す必要はないと思う。目指してしまうと使う言葉はどんどん「ウケる」ものに変質してしまう。たとえ意図していなくても。わかりやすくインパクトのある言葉は何かが削り落とされていて、その過程で私たちが本当に言葉を届けるべき人たちを傷つけるものに変わっていく
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これはとても大切なことなんだけれど、子どもを遠くの習い事に通わせられる(そもそも習い事をさせられる)のは経済的時間的にゆとりを生み出せる家庭に限られてしまう。意識はあってもできない家庭は多い。だから子どもの日常の動線上に「学校外のつながり」を作れる場所が必要なんだと思う。 twitter.com/Megumidayo/sta…
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努力して成功した、幸せになった、それは誇れること。でもその努力を当たり前のものとして他者に要求する前に、自分の努力の土台に「努力できる幸運」があったかどうかを少しだけでいいから振り返ってみてほしい。努力できる幸運を認めたとしても、あなたの努力の価値はちっとも損なわれないから
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今まで出会ったいろんな人の、いろんな子の顔が浮かんだニュース。教育虐待は見えにくいけれど心配な子はたくさんいる。そしてモンスターとなる親も何かの呪いにかけられてる。悲劇を報じながら一方で「子を有名大に入れた親」を持て囃す、その風潮も呪いのトリガーだと思う news.yahoo.co.jp/articles/d5b7c…
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10年前は「放射能に負けるな」
今は「コロナに負けるな」
どっちも好きじゃない。線量に不安を感じた人は「負け」たの?感染症に罹患した人は「負け」たの?勝ち負けは強弱を想起させる。不安を抱く人に「それはあなたが弱いから」というメッセージを(意図しなくても)送ってしまう
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トラウマの反応はたとえ「今ここ」が安全でも身体と心が過去に戻りその時間軸のズレで起きる。回復は「今ここ」が安全だと実感できること。そのために事実今ここが安全でなきゃならない。支援者はトラウマをどうこうする前に今ここが安全か=金と家があるか危害を加える人がいないかに気を配ってほしい
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そう、家庭環境に問題があるかもしれません。ではその「家庭環境の問題」が「解決」するまで彼女たちは毎月下着を汚し続けろと?毎月下着を汚さなくて済む、生理の心配をしなくていい、それだけで心身の健康度は向上し、逆境的環境から逃れる可能性が高まるとは思いませんか? twitter.com/fifi_egypt/sta…
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子どもが有名大学に入ったり特別な功績をあげると子ども本人よりも「〇〇大学に入れた親(ママが多い気がする)!」みたいに親が注目されるの、好きじゃないなぁ。まずその子の個性あってのことなのに、それがすっぽり消されてる。その記事読む大人(親)にも子どもにもポジティブな影響は無いと思う