501
多様性は誰の中にもある。大坂なおみさんも、そして私たちの誰もがあの場所に相応しい。だから彼女を批判するつもりは全くない。ただ聖火を手にする彼女が「多様性と調和」のシンボルとして「多様なバックグラウンドを持つ大坂選手が」とアナウンスされたことがあまりにも軽すぎて、うんざりした。
502
多様性の象徴という役割を、私たち「外国にルーツのある存在」に求めないでほしい。多様性は、その軸そのものが多様。容姿や肌の色という要素が「わかりやすい」からといって利用しないで。だって私たちの多くはこれまで散々「多様なバックグラウンド」を理由に疎外され誤解を受けてきたんですよ
503
こういう時だけ都合よく象徴化しないでほしい。その「いろんな国の要素が混じってる」ことを理由に普段どれだけ誤解や迫害を受けてきたか。そして当然のことながら、私たちは国の容器じゃない。それは「ハーフ」だろうがなんだろうが同じ。「ハーフ(混血)」に対してだけじゃない、人間への侮蔑です。 twitter.com/itoi_shigesato…
504
ただ言葉を選ぶ、自分の言葉に責任を持つ、石を投げられた痛みを想像する、そして自分が投げた石はいずれ自分に投げ返されることを知り、投げ返された時に自分がどう振る舞うかを考える。それは必要なこと。
505
私が今まで間違えたとき、過ちを犯したとき、誰かを傷つけたとき、私を叱って咎めて正してくれた人たちがいた。彼らのおかげで今の私がいる。でもその中に、清廉潔白で完全に品行方正だった人はいない。みんな間違えたことがある。みんな嘘をついたこともある。みんな誰かを傷つけたことがある
506
みんな、小さな罪を重ねてる。
不完全な罪人が互いに「それはダメだよ」と言い合えて、この社会は前に進んでいく。品行方正で清廉潔白な人だけが誰かを裁けるのだとしたら、この世の全ての過ちは誰からも裁かれなくなってしまうよ。過ちを犯さない人はいないのだから
507
いじめや差別、虐待によって「才能が潰されてきた」人たちも山ほどいるんですよ。 twitter.com/attorneyatlawe…
508
風刺は権威をいじってなんぼ。たとえ直接的な差別表現でなくても、社会的に虐げられた人たちをカジュアルにネタ扱いして消費するのはただの二次加害。被差別者を消費せずともエンタメは充分に成り立つ。それなのに「わざわざそれを選んだ」のはなぜなのか。軽率のひと言で済まされる問題ではないと思う
509
正義の反対は別の正義、なんて簡単に言える。でも、そうかな。問題は「正義」という道理すら通じなくなってしまったことじゃないかな。価値観の相違と「正義」云々は関係ない。正しさも正義も、それを受け入れられない人たちの手によって貶められてしまったのだと思う。
510
「正義を振りかざす」という文言が揶揄や嘲笑や批判として用いられるようになって久しいが、正義すら振りかざすことを躊躇う私たちはいったい他に何を掲げるのだろう
511
絵本作家のぶみ氏が「虐待も離婚や中絶や流産も障害や病気も全て(胎内で)子どもが選んだ」という創作で子どもを「親を喜ばせる道具」に仕立てあげてきたのは周知のこと。それは多様性や共生とは真逆、自己責任と差別思想。知らないじゃ済まされないし知ってて起用したのなら上から順に腐ってるとしか t.co/3o5MplJTjC
512
むすめ氏16歳「わたしらに未来を託すとか言う前に、格差とか差別とか紛争とか気候変動とか自分たちが作った問題の落とし前ちゃんとつけてよね大人たち。わたしら若者は社会的介護要員じゃないよ」
社会的介護要員!
513
学校では「知らない人と話さないように」教える。加えて私は「性犯罪の多くは顔見知りによって起きるからあなたが『この人は安全だ』と確証を持てない限り特段愛想よくする必要ない。勝手に好意を持たれたと誤解される場合があるから」とも言ってる。赤の他人の将来の心配は子どもを守ってくれない t.co/Iw15eddWj3
514
オリパラ開会式作曲者小山田氏の「いじめ自慢」の中身を読んだ。想像以上に残虐な暴行と性加害で、人権と尊厳を蹂躙し尽くす犯罪行為だった。吐き気が止まらない。過去の話だと、人は変わるものだと、そう流せるレベルを超えてる。蒸し返し云々じゃない、問題とされなかったことがまさに問題
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多くの人にとって二次加害になりそうな中身だったのでシェアは控える。いじめの中身も開き直った態度も薄笑いする取材者の姿勢もどれもトリガーになるから。でも翻訳されて世界にばら撒かれて散々問題にされてほしいとも思う。加害を「やんちゃ」だと許容する風潮を葬るために。
516
「諦めず助けを求めてください」と言われても、願いや要求を拒絶され否定され自分の話なんて誰も聞いてくれない誰も助けてくれないって信じてしまう体験の蓄積で現在の困窮があるわけなので、助けを求めるってハードルがまず高い。困窮する人に「助けて」って言わせるのは(国として)恥ずべきことだよ
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そこじゃない。本当にそこじゃない。問題は小学校入学時に子どもに課せられた要求が既に高すぎることにある。だから子どもも教員も疲弊するし、入学時に「座って集中して学習する」ことが困難な子は早期発見の名目で「(発達障害の)診断をもらう」ことが求められる news.yahoo.co.jp/articles/bf08e…
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子育てに理念なんて持ってないし自信なんてあった試しがないけれど、娘氏が私と違うものが好きで、違う考えに惹かれて、想像もしなかった夢を持ってて、私の言葉に「そうは思わない」と返して、私のしたことに「嫌だ」と言って、ちゃんと不機嫌になってくれると、間違ってなかったんだなぁって思える
519
「学校に行かないこと」と引き換えにもっと高い期待や要求をされるのはしんどいなぁ。「不登校なのに〇〇で活躍」を求められる。学校しんどくて、行かなくなって、でもその代わりにもっと高い期待や要求を(明白にであれ、暗にであれ)提示されて息が詰まりそうになってる子、増えてきてる気がする
520
印鑑を持っていない人の(福祉の)手続きに同行すると「サインだめ、印鑑なければ申請できない」の一点張りで、挙げ句の果てには「100円ショップで売ってる印鑑でいいので持ってきて」とか言われる。誰でも百均で買えるような代物にサイン以上の価値や効力があるとは思えないんだけどなぁ
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「ごめんなさいが言える人に育ってほしい」って願う親は多いけど、ちゃんとごめんなさいできる大人って少ないと思う。特に、子どもに対して。
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虐待への介入が遅れ子どもに深い傷を負わせてしまい、時に死に至らしめる事案は枚挙に遑がない。でも素早い介入で最悪の事態を未然に防げた事例もある。多くある。ただしそれはほとんど誰にも知られない。「何か」を防いだから。知られないだけでなく「ことを無駄に荒立てた」と非難されることすらある
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そもそも今の日本、学校教育からエンタメから産業まで
感動>>>>>>>>思考
になってる気がする。既に感動飽和状態。感動が批判的思考を薙ぎ倒し刈り取ろうとしてる。
危ういと思う。
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私はスポーツで「感動」するタイプの人間ではないけれど、そもそも日々の生活にさほど「感動」は要らないと思ってて。感動に言葉は要らない、感動は言葉を奪う、言葉が奪われれば思考も奪われる。感動を欲する時の自分も、やたらと感動を勧め「与えよう」としてくる人たちも、ちょいと危険視してる
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なーんて思うこともありますがそれも私の勝手な欲で、子どもたちには関係ありません。
子どもたちからの感謝の手紙やメッセージを返礼として子どもたちに求めることは決してありませんので、それをお求めになるなら私たちではご期待に沿えません。
今日もたべまな、15時開店です。