401
「この病気なら○○できるはずがない」「本当に辛い人は他にいる」
他ならぬケアを行う立場の人たち(精神科医や心理士/師)の中にそういった発信を行う人たちが散見される。「社会」からのその眼差しが、他ならぬあなたたちの目の前にいる人を苦しめているのに。加害的な空気作りに自ら加担している
402
いわゆる「こども食堂」には様々なセクシュアリティの当事者、そして性差によるステレオタイプな役割期待に苦しんでる子たちが来る。来ると想定してなきゃいけない。そしてこども食堂という場は、そのステレオタイプなジェンダー観を再生産しやすい性質がある。例えば「女性のボランティア」が調理して
403
娘氏はお菓子作りが得意で料理もそれなりにする。今日も色々作ってくれたのでつい「あなたと付き合える人は幸せだね」と言ったら「誰かと付き合ったからって私が料理を引き受けるわけじゃないしもしママが相手を男性だって想定してるなら私が将来一緒に暮らす相手は男性とは限らないよ」と即カウンター
404
支援の現場で「家族の絆」なんて言葉が出てきたら、それは支援者の思考停止や無策、役割放棄のサインです。一国の首相の場合は、どうだろう。
405
「子どもファースト」って、子どものために親が自分を犠牲にすることじゃない。どうしようもなく追い詰められてる親に、周囲が「大丈夫、子どものことはいったん私らがなんとかするからあなたは自分を整えな」って言ってあげられる社会だと思う。子どもファーストは家や親じゃない、社会が実現するもの
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叱ったり注意したりする前に「何があったの?」とひと言声をかけるだけで防げる傷つきや誤解がたくさんあると思うんだけどな。
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子どもに対してついつい「自分が学生の時にされて良かったこと」を軸に助言しがちなんだけど、その「良かった」って記憶が事実とは限らない。その時は苦痛で、苦痛だったからこそ何かの価値や意味を付与したくて、記憶の中で良かった=価値あるものに変換されてることもある。体罰容認は大抵これ
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「逆境乗り越えて活躍してる人ってレアだけど発言力も影響力もあるから、乗り越えるのが当たり前で乗り越えられないのは努力不足だって、より一般化されるんだと思う。そうすると機会や出会いに恵まれなかった人たちがどんどん何も言えなくなるし、もっと苦しくなる」
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「そしてみんな逆転物語好きなくせに、その逆転の中に少しでもケチつけられる部分があると手のひら返して責めるよね。完全にクリーンな逆転物語なんてほとんど無いはずなのにそれを一般化しちゃって、そうすると自分も生きづらくなると思うんだけどな」
御意、しかない。
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zoom会議で「逆境乗り越えて活躍する物語の危うさ」について話してるのを横で聞いてた娘氏「みんな逆境を乗り越えて活躍する物語好きだけど、逆転話が人気なのはレアだからだよね。ありふれてたら人気出ない。そのレアケースを一般化しちゃって今苦しんでる人たちを追い詰めるの、相当身勝手だと思う」
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「子どもたちに」でもあり「社会に」でもあるんだろうな。昔は学校に合わない「少数派」を切り捨てても回っていく社会だった。今はそうじゃない。そして今や少数派ではなくなっているし、子どもたちが触れる情報量も増えて色んな「おかしい」に気づきやすくなってる。
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学校に合わない子が増えてるんじゃなくて、学校のシステムが今の子どもたちに合わなくなってきてるんだと思う。
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どんな支援の入り口も「ジャッジせずただ話を聴く」から始まる。でもそれだと「専門家のくせに(聴くだけかよ)」と他職種からジャッジされたり、批判されるような気がしちゃったり、だから1回の面談だけで病名探ししてみたり家庭の問題だとか言ってみたり、そうやって当事者との信頼関係が崩れてく→
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話を聴くって難しい。すごくすごく難しい。技能的な問題だけじゃない、ジャッジしたい欲求、「専門性」を評価されたい欲求、早く答えが欲しい欲求、いろんな欲が邪魔をする。欲は不安の裏返し。難しい。でも大切。だから踏ん張りたい。
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もちろんそれ以外にもいろんなアクションがある。でもまず投票。それが誰にでもできる、いちばん大切なアクション。軽んじては絶対にダメ。
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ボランティアや「社会貢献」活動は必ずしも「社会(構造)を変える」こととイコールではないし、ともすると不均衡な構造を温存することにもなる。そのことを説明する。それが例え彼らが求める答えでなくても→
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まるで箱庭を眺めていじるかのように「貢献したい」と言う、その立ち位置はいつか必ず揺らいで崩れるし、それはたぶん早い方がいい。だから私なりに、ちゃんと答える→
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そうすると、彼らは尋ねてくれる。貧困や格差をなくすために私たちに何ができますかと。答えはいつも同じ。
「18歳になったら、必ず選挙に行きましょう」
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例えば「社会貢献って何?」と問うと「こども食堂やりたいです」という答えが返ってくる。そんな子はすごく多い。「なぜ?」と問う。「子どもの貧困が深刻だからです」と答える。「あなたは?あなたも子どもだよね。あなたの目からはどう見えるの?」と問う。返事はない→
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「こども食堂を増やせば貧困問題は解決されると思うか?」とも問う。返事に詰まる。
こども食堂と「子どもの貧困」を紐付けしてしまうのはメディア(と、子ども食堂で運営者のファンドレイジング戦略)によるミスリード仕方ないのかもしれない。でも「社会」と自分自身を切り離して→
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「社会貢献したいんです」という高校生からインタビューを受けることが増えた。授業でそういったプログラムもあるらしい。ただほとんどのケースで、その子が「貢献」したい「社会」の中にその子自身が含まれていないと感じる。だからまず「その社会のどこにあなたはいるの?」という問いから始まる→
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対人支援って「困ってる人から感謝される素敵なお仕事」だと思われてるかもしれないけど、感謝なんかより文句言われたり八つ当たりされたり期待に応えられないと価値下げされたり、そんなことの方がずっと多い。むしろそれが真っ当。だから仕事に感謝とかやりがいを求めると、詰みます。歪みます
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対象者さんはには感謝とかやりがいとか、そんなご褒美を私にくれてやる義務はないわけで。だから私も求めない。つまり対人援助者はしっかり「仕事以外」で生きててよかった!って経験をしてないといけないし、ちゃんと充分な給与を受け取らなきゃいけないし、自分と家族の健康を大切にしなきゃいけない
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そもそも強制があかんというのは大前提で。毎日毎日2時間以上興味もない好きでもない得意でもない活動に奪われかつ成果を求められるのはのは苦痛に過ぎない。生徒が選べるメニューを用意できないなら強制をやめるべき。子どもの時間を子どもに返してあげてほしい。そして先生の時間も先生に返そう。
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部活さ。強制はほんっっとやめてほしいけど、一万歩譲ってもし入部を強制にするなら、どんなに小さな学校でも文化部と運動部合わせて最低30種類くらいなきゃダメでしょう。強制だけど運動部だけとか、3つか4つの部からしか選べないとか地獄でしょう。