「どうせこの人は聞いてくれない」から何も言わない。   暴力はない。経済的に困窮もしていない。でもDVは支配の構造。自分に依存させ、行動を制限し、無力感を抱かせ、言葉を封じるのは支配。
もちろん働いていない。「働かずとも自分が養うから問題ない」と配偶者は言う。   疾患や障害で本当に運転が「無理危ない」ってわけじゃなく、ただ一方的に運転=自由な移動が禁じられ、女性の側も「不便だけど今までなんとかなってきた」し「稼いでもらっている」し、そして→
車が無いと生活に困る僻地で運転免許や自家用車を持っていない女性(専業主婦)に出会うことがある。「主人が運転に反対するので」と話す。配偶者に話をきくと「外出が必要な時は自分が連れて行くから問題ない」「主婦に運転は必要ない」「家内に(女に、と言うことも)運転は無理危ない」などと言う→
誰からも怒鳴られない、威圧されない、誰かからの評価を気にして怯えない、そんな環境が整って10年ちょいだけど、気づいたら「失敗」が少なくなってる。周囲や自分を傷つけ裏切るような選択をしなくなった。失敗するから怒鳴られると思ってたけど、怒鳴られ威圧されジャッジされるから失敗してたのかも
私の講演を聴いた高校生が福祉や心理の道を目指してくれてその動機がただ困ってる人を助けたいではなく「制度の隙間という構造的問題の犠牲になる人を置き去りにしない新しいシステムを作りたい」とかだとすごく嬉しいけどそれ以上にその問題を君らの世代にまで残してしまって本当にごめんってなる
悲しい事件の当事者たちの多くが申請主義の犠牲者なのかもしれない。「どうぞ気軽に相談してください」「あそこに相談してください」って言い放しは支援じゃない。相談は気軽にできるものじゃないし、二次加害にもなるし、困窮が深いほど忌避してしまう。「相談することを支援する」相談支援が必要 twitter.com/askhumancare/s…
こういう事態が生じるから、「ネットワーク」の類とはどうしても距離を置いてしまう。当事者不在の組織化によってミッションよりも組織の運営と延命が優先され、やがて地に足がつかなくなってしまうだろうから。
行政や大企業に対して本来の「対策」に充てられるべき予算や取り組みを縮小させるエクスキューズを与えてしまっている。「こども食堂」というキャッチーなアイコンを貧困対策と紐づけることで、貧困対策そものもががどんどん軽んじられてしまっている
貧困という構造的問題に対し「こども食堂」にできることには限りがある。場所づくり、つながりづくり、見守り、相談できる関係性…そういった役割は大切でも「貧困対策」ではない。それを「子どもの貧困対策にはこども食堂」という文脈にすり替えることで→
「こども食堂を増やそう」というアクションの担い手にもあると思う。そろそろ私たち、いったん立ち止まってちゃんと顧みる必要があるんじゃないかな?
「子どもの貧困対策」は基金頼み、かつての内閣総理大臣が子どもに向かって「こども食堂に行ってみよう」などと呼びかけ「助けを求めれば支えてくれる人がいるよ」と自助を求め「未来を決めるのはあなた自身」と突き放す、そんな「貧困対策」がなかなかアップデートされない責任の一端は→
「こども食堂を知ってますか?貧しい家庭の子どもたちが…」なる広告をクリックしたら「貧困の子たちが来るこども食堂に寄付を」というサイトに飛んだ。「子どもの貧困対策にはこども食堂を」という文脈が「子どもの貧困」への社会的な理解を歪曲し、行政による(根本的な)対策を後退させてるのに→
こども食堂運営者が「子どもの貧困問題に取り組んでいます」と自称し、それだけでなく「子どもの貧困」をダシに寄付を募り、またこども食堂にやってくる子たちへのスティグマを強化するような広告を、大手ニュースサイトに大々的に展開する。ちょっとこれ、許容できない
なんならDVが明らかになった後も「あんな奥さん/旦那さんなら一緒に暮らしてると手を上げたくもなるよね」って加害者が擁護されたり「虚偽なんじゃないの?」って言われたりもする。ほんと、ほんとつらいよ
DV加害者が社交的で(いわゆる「外面」が良くて)行事にも積極的に参加して地域や学校での評判が良くて、被害者は精神的に追い詰められて抑うつ状態になって人付き合いを避けたり行動が不安定になって周囲からの評判がどんどん下がって陰口言われたりして孤立してく   って案件が山ほどあって、つらい
「子どものこと」で相談に来るのはひとり親家庭に限らず大半が母親。その事実からだけでも家事育児負担の不均衡とか母親への社会的な期待や抑圧とか男女の賃金格差とか男性の相談のしにくさとか、様々なジェンダーギャップが透けて見える。子ども支援をするとジェンダー問題に無関心ではいられなくなる
お子さんが不登校になると相談に来るのはたしかに「お母さん」が多数です。ひとり親家庭に限ったことではなく、それだけ子育ての「責任」という負荷が女性に偏っているということ。だから「お母さんの」と名付けたのかもしれませんが、責任と負担の不均衡を前提とする=肯定していようで残念です twitter.com/yuhei050723/st…
「愛着障害」ブームにはうんざり。医師の診断が絡むことはほとんどない。SCやSSWや教員が放言する。診断ではない、見立てです」と称して。そうやってその子がそこに居づらい環境的要因は黙殺される。アタッチメントが愛着と訳され、それが現場で愛情に変換され、全ては親の愛情不足に還元する
「愛着障害が反社会的行動を引き起こしています」という言葉が、すらすらと、子どもに関わる専門職の口から出てくるこの地獄。そうやって「厄介な親子(しかも100%母子)に振り回されて大変な私たち」って構図を作って、いったい誰を「支援」したいの?それで何が変わり誰が幸せになるの?
【シェアハウス、増えます】女性と親子のシェルター(シェアハウス)がもう1棟増えます。可愛いお庭がついた2LDKのお家です。キッチンとバス・洗面所は共用、トイレは2つあります。1部屋(6畳洋室)のみ入居者を募集します。入居ご希望の方はサイトの条件をご確認いただきメールでお問合せください→
「性暴力はあなたが思うよりずっと前から始まっている。ああいうやつになるな」 性暴力への啓発が女性への「予防」に偏っていることは、女性にとって生きづらさの上塗りです。男性同士で抑止し合うこういった広告が日本でも増えてほしい。#dontbethatguy twitter.com/osadanna/statu…
「子育て世帯に支援を」とか言いながらその気がさらさら無いのは、「子どもの貧困対策」を基金任せにしてこども食堂とかににちゃらっと補助金出してお茶を濁そうとしてる姿勢から明らか。何年も前からそう。私たち子育て世帯こそ限定給付を許しちゃいけないと思う。#一律給付金は国民全てに
困窮者支援なんて知らん 国民を連帯させたくない 対象限定・半分クーポンから政府のそんな本音が透けて見える。対象限定し「ずるい」という気持ちを刺激する。分断を誘って批判の矛先を分散させる。クーポンは受給者へのスティグマになり必要な支援は更に遠ざかる。もちろん現金給付は限りなく小額で
社会問題に声を上げる「若者」たちを恵まれた者の特権だのと揶揄する人たちは、たとえ困窮する若者が貧困や格差に対して声を上げても「もっと困ってる人たちもいる」「声を上げられるのは本当に困ってないから」とか言って聞く耳持たないんじゃないかなぁ
ちょっと違うなぁ、と。「これ以上の豊かさはいらない」という若者たちの全てが私たち年上目線の基準で「豊か」なわけじゃない。豊かどころかむしろ困窮寄り、モノもお金も大して持ってない、みんな一律にじんわり貧しい。「これ以上の(物質的金銭的な)豊かさ」のモデルが身近にない。だから望まない twitter.com/fromdusktildaw…