SCもSSWも不登校減少を目的にしたのでは詰む。目指すのは子どものwell-beingであって、学校がそれを阻害するのなら(一時的にでも)学校から遠ざかり心理的安全と学習の権利をどう守るかが支援の軸になる。不登校減少を成果として求められなら、うちらお呼びでないわなぁ news.yahoo.co.jp/articles/5b840…
これ、何かの罪に問えるのではないの? あまりにも酷すぎる。 もしこれが合法で病院のこだわりとして堂々と行うのであれば、ぜひ病院名と医師名、そして「当院では産みの痛みを味わってほしいので麻酔効き始める前に切ります」と公開してほしい twitter.com/KokeWye/status…
「最後のセーフティネット」と呼ばれる生活保護。その「最後」にたどり着くまでがザル、福祉の網の目が粗すぎるんだと思う。粗すぎる網の目のどこにも引っ掛からずこぼれ落ちていきなり生活保護になる。「最後の」と呼ぶなら、そこにたどり着くまでに細かい網の目のネットを幾重にも重ねてほしい。
困難を乗り越えるための支援は大切だけど、乗り越えられなくても詰んでても、何度失敗しても病んでても、諦めても投げ出しても、どうなっても住処を失うことと困窮することがない社会の方をさっさと実現したい
共有したいのは「人権」という文脈そのもの。なのにそのための言葉探しを諦めてしまっていた。「聴衆の多く」を理由にして。 経済効果云々では本質は伝わらない。もし経済効果が生じなければ格差是正の取り組みは無意味ということになる。それは間違ってる。だから人権という言葉から逃げるのをやめた
「聴衆の多くから」支持されないだろうという理由でジェンダー平等や福祉を経済の下に置くという「体裁」をとる政治家は、ただ諦めているだけ。「聴衆の多く」のせいにして、逃げないでほしい。
議員や企業経営者に向けて「子どもの貧困」やジェンダーギャップについて話す時「問題を放置したらこれだけ経済的損失がありますよ」という文脈を使ってた。その方が通じるから。でもやめた。人権という文脈で繋がることを私自身が諦めてどうするんだと。戦略でも何でもない、ただの逃げじゃないかと
「聴衆の多くから」の「多く」にジェンダー格差が命に関わる問題となっている私たちが入っていない。まずは「マジョリティ」のご機嫌を取ってから。いつもそう。 twitter.com/ryuichiyoneyam…
ジェンダー不平等が女性の所得を下げ福祉に隙間が生じ貧困が深刻化しています。誰も排除されない経済政策のためにはジェンダー平等と福祉の拡充は必須です。他人事のように優先順位を付けられるなんてそれこそ「余裕のある人の趣味」でしょう。失望しました。期待したこともないけど。 twitter.com/RyuichiYoneyam…
暴力や緊張があってもその生活が「馴染みのパターン」になれば、環境が安全になっても、その変化自体がストレスになる。「治療始めたり避難したのになぜより辛いの?」となる。無意識に馴染みのある攻撃パターンの要素を探し拡大してしまうこともある。今ここの安全が腑に落ちるまで粘り続けるしかない
「政治に関心がない若者」の前に「若者に関心のない政治」があるのだと思う。ケアされないのに一方的に関心を求められても、つらいだけ
「関心を向けさせるために自分たちを疎外し蔑ろにしてきた相手に対して関心を持たなければならない」ってなかなかタフな課題だと思う
子どもとお母さんには最初からタメ口なのに、お父さんが出てきた瞬間に敬語になる治療者に度々会う。大抵が男性の臨床家。 距離の近さ云々の前に、基本的な礼節について問題にしてほしいよ
私が政党や候補者を選ぶのに重視する柱のひとつはもちろん児童福祉政策。でもいくら子ども関係に「熱心」でも性的少数者に差別的であったり選択的夫婦別姓に反対していたりジェンダー格差や人種差別に無関心で生活困窮者支援に後ろ向きな政党や人は信頼できない。全て繋がっている。人権の問題
人権を軽んじる人たちに、子どもの福祉は担えない。あらゆる抑圧を放置して「子ども」にだけ熱心だったり「まとも」に見えるのは、パターナリズムの典型だと思う。むしろ警戒する
社会問題に関心がある、その「社会」の中に自分自身の存在を実感できているか。学生たちの「関心の持ち方」の中にその危うさを感じる時が多々ある。彼らからすればお節介かもしれないけど、質問に答える前に「あなたはどこにいるの?」と問うようにしてる。
特定の「社会問題」に関心を持ち、また声を上げ行動する人たちの中にはその「問題」の当事者、あるいは元当事者が多くいる。   でも権利が制限された子ども、高校生の場合はただ巻き込まれるだけで、ぐちゃぐちゃで、「問題に関心を持つ」なんて「贅沢なこと」だったりする
もちろん学生が関心を持つのは悪いことじゃない。大切なこと。でも当事者性から遠い場所にいるからこそ社会問題への関心を持てるという構造は、「無関心」とはまた違う危うさを内包していると思う
生活困窮や経済的搾取や虐待や望まない妊娠、ソーシャルワーカーとして関わる高校生は様々な困難を抱えている。そんな私のところに「若者の貧困について調べてます」等と高校生たちからインタビューの問い合わせが来る。彼らは名の知れた、偏差値の高い、私立中高一貫校の学生だったりする。この、分断
実際は分断ではなくて分断「のように見える何か」なのかもしれない。繋がっている。その繋がりが見えないことは、誰にとっても不幸でしかない。不幸でしかないはずなのに、見えない方が安心できる人たちがいる。だから切り離される。   どう繋げるか。インタビューに答えながらいつも考える
個人的には、暗くなってからも子どもが公園で安心して遊べて、それを「地域で見守る」ができたらいいなぁって思う(もちろん深夜はあかんけど)。公園ってそういう場所であってほしい。公園が難しいなら、他にそういう場所があったらいい。
夜7時まで遊んでいたその子には家に居づらい、安全でない、ひとりぼっち等の事情があるのかもしれません。ガツンと叱れば公園という逃げ場所を失うことになるかもしれません。もし見かけたら「どうしたの」と声かけ、あるいは警察等に「相談」をお願いしたいです。それが教育であり福祉だと思います twitter.com/senseiwakame/s…
アルバイトが必要な高校生がいる。でもアルバイトを禁じてる学校がある。でもNPO等でのインターンやボランティアは推奨されてる。ならNPO等が有償のインターン・ボランティアとして高校生を雇用すればいい。と思ったのでうちは数年前から「スカラシップ」と称して高校生たちをスタッフとして雇用してる
子どもの面倒を見るのは女の役割。男は子どもに加害するけどその責任は目を離した女の側にある   というふうに読みました。「どうやったら子どもを守れるか」を共に考え行動する同志であるはずの児童精神科医がこのような眼差しで子どもと/親と向き合っているのだとすれば、残念極まりないことです twitter.com/Pnagashi/statu…
こども食堂始める動機は色々。ただ美味しいごはんを食べてほしいという願いだって素敵。でも始めた瞬間に、政治や企業がこども食堂への補助や寄付で貧困対策への責任のお茶を濁す動きに巻き込まれることになる。否応なく。批判を避けていたのでは、格差の固定化に加担するのと同じ #わたしも投票します