頑張ってるかどうかって関係ない。能力の有無も関係ない。意欲云々も関係なく受けられるのが生活保護をはじめする福祉です。真っ当な意見のようでとても危うい見解。権利に条件を課している姿勢は、件の動画と地続きであるように思う。 twitter.com/nanatakamatsu/…
大切なのは誰もが不当な扱いを受けないことと、何歳になってもいつでもチャレンジできる機会が守られていること。日本ではまだ実現されてない。そんな社会で「障害があっても」「不登校でも」を語ることは、生産性という縄で子どもを縛ることと紙一重の危うさがあると思う
感情はコントロールできないのよね。コントロールできるのは感情表現(行動)の方
部活さ。強制はほんっっとやめてほしいけど、一万歩譲ってもし入部を強制にするなら、どんなに小さな学校でも文化部と運動部合わせて最低30種類くらいなきゃダメでしょう。強制だけど運動部だけとか、3つか4つの部からしか選べないとか地獄でしょう。
オンラインも電話も「話を聴く」サービスはたくさんある。でもその先の家・食・お金を提供してる団体は少ない。本当に少ない。だから相談の件数に対して実際の「支援」の件数はどうしても少なくなる。家も食もお金も提供するのに人も予算も必要だから。そしてめちゃめちゃ大変で心も生活も削られる
あとここでミソなのは「裕福だ」ではなく「裕福そうに見える」ってことで。外車乗ってたり親がおしゃれしてたり高価なスマホ持ってるとかで「裕福だ」とジャッジしてる。でもそういう「見える」部分ってわりと最後に削られるんです。外から見えない部分、例えば「食」なんかがまず削られたりするんです
その好きや得意に「社会的な価値があること」や、雑に言えば「お金と名声につながるもの」を求めてしまう。ただ大人の側に子どもを抑圧しようという意図はなくて、社会的に有用でなくなった時に排除される現実の中を綱渡りで生きている大人たちにとって後に続く子どものための命綱のつもりだったりする
差別をした/差別に加担したことを「不快な思いをさせた」という形でしか謝れない大人が、子どもたちに言えることなんて、何ひとつ無いと思う。
大抵の場合「これで大学なり専門学校行けるから!」「卒業してから返済だけどだいたいみんな就職できるしきっとなんとかなるから!」とか言われたり、大人からろくな説明なくなし崩し的に借りることにならなかった?それに10代、借金のイメージなんてぼんやりしかない。それを自己責任だと私は呼べない
「逆境乗り越えて活躍してる人ってレアだけど発言力も影響力もあるから、乗り越えるのが当たり前で乗り越えられないのは努力不足だって、より一般化されるんだと思う。そうすると機会や出会いに恵まれなかった人たちがどんどん何も言えなくなるし、もっと苦しくなる」
「大学行きたいけどお金ないしなぁ」「進学したいけど親が反対するしどうしよう」じゃない。そこまで行かない。ずっと以前の話。高卒(中卒)で働いて家の稼ぎ手になる、それが当たり前、そうやって経済や文化が回ってきた世界で生きてる子たち。進学も就職も選択じゃない。選択の機会がない→
衝撃的で悲惨な事件が起きると反射的に「何か書かなくちゃ」「何か言わなきゃ」という気持ちになったりします。それはしばらく寝かせておいた方が良い言葉かもしれません。
通信制学校や学校以外の学びを選ぶ子に「同年代と交流できる機会が無いと社会で困るぞ」と心配される教育関係者をお見かけしますが社会でむしろ有用なのは幅広い年代と関わり意見表明できたり1人で選び行動できる力で全日制学校がそれを教えてくれるわけでもないので余計なお世話オブ余計なお世話です
「関心を向けさせるために自分たちを疎外し蔑ろにしてきた相手に対して関心を持たなければならない」ってなかなかタフな課題だと思う
RTとは少し違うけれど、 ちょっと意見くれない? 助言もらえる? 読んでアドバイスほしいな と請われて関わった書籍やスライドに一切私の名前がない、謝辞もない、「お礼にご馳走するね」で済まされる、私の存在を不可視化して栄誉だけ掻っ攫う、そういう相手は全員男性でした
働けないことを納得してもらうための説明を考えよう」と戦略を練ることは通常です。それを不正だと言うのなら、本来受給できるべき人に届かない制度上の大きなエラー(それこそ不正です)の方にも注目、批判してほしいと思います。
貧困の中を生きている子ほど「こども食堂」の必要性が高いのはひとつの事実です。ですが、貧困により社会的孤立のリスクが深まるほどこども食堂に繋がることは難しくなります。私たちは無力です。私たちを中継したのでは必要な支援が届かない人たちがいます。政治にしかできないことをしてください
「そしてみんな逆転物語好きなくせに、その逆転の中に少しでもケチつけられる部分があると手のひら返して責めるよね。完全にクリーンな逆転物語なんてほとんど無いはずなのにそれを一般化しちゃって、そうすると自分も生きづらくなると思うんだけどな」 御意、しかない。
ついでに「子どもの貧困?なら子ども食堂だ」という文脈がすでにズレているので、そこから探求してほしいです。
生活困窮や経済的搾取や虐待や望まない妊娠、ソーシャルワーカーとして関わる高校生は様々な困難を抱えている。そんな私のところに「若者の貧困について調べてます」等と高校生たちからインタビューの問い合わせが来る。彼らは名の知れた、偏差値の高い、私立中高一貫校の学生だったりする。この、分断
窓口では車があるとか親族いるだろうとかで断られるケースはまだまだあるけれど実はどれも要件じゃない。必要な人の申請権侵害の方が、ごくごく少数の「不正受給」よりずっとずっと大きな問題。ちなみに必要な人が申請をためらわないために適切な窓口対応を促す文書が各自治体に降りてきています。
議員や企業経営者に向けて「子どもの貧困」やジェンダーギャップについて話す時「問題を放置したらこれだけ経済的損失がありますよ」という文脈を使ってた。その方が通じるから。でもやめた。人権という文脈で繋がることを私自身が諦めてどうするんだと。戦略でも何でもない、ただの逃げじゃないかと
「現場を知る」ことは大切。でも現場に来る前にすべきこと・できることはある。踏みにじった足、押さえつけた腕、尊厳を奪った言葉、それらをそっくりそのまま現場に持って来られたのでは、安全が奪われる。私たちは/当事者は、誰かが「賢くなる」ための道具じゃない。 twitter.com/rkayama/status…
大学進学が全てだ思わないし、多様な選択があっていい。スキルを身につけて早くから働いてキャリア積むのもあり。高校で、あるいは中学で「これだ!」って道を見つけたらそのまま進めばいい。なんとなく大学に行くのだってあり。どの道を選んでも不利益を被らない、誰からも搾取されないことが大切