出産云々関係なく減免措置の条件(やたらめったら厳しい)を緩和すれば済む話。もちろん給付型奨学金の受給条件の緩和もセットで。それが今ここにいる子どもたちのために必要なことでしょうに
頼るな甘えるな安易に助けを求めるなと突き放されてきた子どもたちがその下の世代に同じことを繰り返す世の中より、頼ってね支えるよ助けを求めていいんだよの言われ続けた子たちがその下の世代にも同じ言葉をかけていく。そんな世の中の方がいいなぁ、私は。
機会の平等はオリンピック精神の柱のひとつであったはず。メダルって、特権なの?   しかもこのコロナ禍においては会いたい人に会うのも行きたいところに行くのも諦めた人がいる。生活と健康が犠牲になりスポーツを楽しむことが許されない人がいる。そんな人たちは見えてない、聞こえてないみたい twitter.com/yuking1125/sta…
今まで出会ったいろんな人の、いろんな子の顔が浮かんだニュース。教育虐待は見えにくいけれど心配な子はたくさんいる。そしてモンスターとなる親も何かの呪いにかけられてる。悲劇を報じながら一方で「子を有名大に入れた親」を持て囃す、その風潮も呪いのトリガーだと思う news.yahoo.co.jp/articles/d5b7c…
「子ども食堂を始めたのに想定していた貧困の子が来ない」というぼやき投稿をちらほら目にした。子どもの困難は貧困だけじゃない。そして貧困は見えにくい。あなたにとって「想定どおりの貧困の子」を探し続けたら、誰もいなくなる。そして「本当に困ってる人探し」は私たち自身を苦しめることになる
ただ、それでも流れは「良い方」に進んでいると思います。ひと昔前まではそんな「危うさ」を感じる余地すらなかったから。多くの当事者が声を上げ続けて、当たり前の権利やチャンスを訴え続けて今がある。そしてこの先も続いてる。
私が今まで間違えたとき、過ちを犯したとき、誰かを傷つけたとき、私を叱って咎めて正してくれた人たちがいた。彼らのおかげで今の私がいる。でもその中に、清廉潔白で完全に品行方正だった人はいない。みんな間違えたことがある。みんな嘘をついたこともある。みんな誰かを傷つけたことがある
メンタルヘルスって「こころの健康」が損なわれているというよりも「日常生活の中に不健康さ(困窮や暴力や抑圧や搾取や理不尽)」があってその影響が「こころ」に出ているんだと思う。だからカウンセリングルームや診察室の中だけで治療が完結するはずない
医療(精神科医療)が必要な子を「病院につなぐ」ことも仕事のひとつだけど、近年やたらと増えた「(SCや教育相談の場で)死にたいと言ってるので受診を調整してください」というオーダーにはちょいと待ってくださいって保留かけてる。その子はあなたに/私たちに「死にたい」って言ってくれたんです→
どんな支援の入り口も「ジャッジせずただ話を聴く」から始まる。でもそれだと「専門家のくせに(聴くだけかよ)」と他職種からジャッジされたり、批判されるような気がしちゃったり、だから1回の面談だけで病名探ししてみたり家庭の問題だとか言ってみたり、そうやって当事者との信頼関係が崩れてく→
私は障害のある子を育てた経験はないけれど、娘氏が学校に行けなかった時、例えばそれでもテストで良い点をとってくれば「これで落ちこぼれない」と安心したり、習い事が順調だと「こっちの道で生きていけるかも」と期待した。いつも「不登校だけど」の先の何者であるかを期待してた。きっと、今もまだ
某大手動画配信サイトで911ドキュメンタリーを観た。娘氏「すごく大規模で悲惨なテロ。でも同じような攻撃がアフガンとかシリアとかイラクで起きたらこういうドキュメンタリーが作られて世界中に配信されるかな」 歴史は何が起きたかだけじゃない。誰によって語られるか。
不登校を減らすんじゃなくて、全ての子どもたちの学ぶ権利を守り機会を確保しよう、じゃないかなぁ。目標として掲げるなら。
同感です。「無報酬が褒めてもらえる」のだとしたら、その構図が支援の質を悪化させる要因のひとつだと考えます。金銭的な報酬が得られなければ人は感謝や承認を当事者や世の中に求めてしまうから。それは支援が「歪む」危険なトリガーです twitter.com/19hz/status/16…
そしてぜひ学校の先生方も生徒たちにまずそう問いかけてほしい。総合的な探求の時間を消化して終わり、AO入試でプレゼンして終わり、自分と切り離された「社会」に関心を持って終わりにならないために。それが「探求」だと思います。
こども(家庭)庁設立の流れに絡んで「子どもを呼んで意見をきこう」という試みがちらほらと行われてる。それ自体は良いことだし必要だしそこに「呼ばれる」機会を得た子たちの声も大切であることには変わりないけれど、そこに「呼ばれない」子たちの声をどのように聴きに行くかがより重要だと思う
もちろん、世の中には「男の子なんだから」「男のくせに」という抑圧もある。でも片方がしんどいと言ったとき「こっちの方がしんどい」ってしんどさ比べを始めても誰も幸せにならない。ジェンダー抑圧の構造は性差で表裏一体。是正しようという声はどちらから上がってもいい
子どもの興味のあることを嘲笑する 子どもの欲しくないものをプレゼントして感謝を要求する つまんない宴席に引っ張りだして上機嫌でいないと怒る 子ども同士を比較する 延々と自慢説教昔話ご近所の噂話 下ネタセクハラ性差別 そんな大人は嫌われます。いくらお年玉積んでも尊敬は買えません
「愛着障害が反社会的行動を引き起こしています」という言葉が、すらすらと、子どもに関わる専門職の口から出てくるこの地獄。そうやって「厄介な親子(しかも100%母子)に振り回されて大変な私たち」って構図を作って、いったい誰を「支援」したいの?それで何が変わり誰が幸せになるの?
書字障害ある子についてその子に適した調整による指導をお願いすると「でも一生懸命たくさん書き取り練習したら書けるようになったんです!」と言われることしばしばで。うん、でもその「書き取り練習」に割いた時間と労力を他のことに使ったらその子はもっとのびのび何かを伸ばせたかもしれないんです
我が子と、そして我が子以外の子どもたちと接してきて否応なく気づかされたのは、大人が「考えてごらん」と促した時に「大人が望む答え」をナチュラルに探してしまう子が大半だということ。理不尽に直面して「考えてごらん」と促されて「考えた」結果「やっぱり納得できません」と言える子は本当に少数
多様性は誰の中にもある。大坂なおみさんも、そして私たちの誰もがあの場所に相応しい。だから彼女を批判するつもりは全くない。ただ聖火を手にする彼女が「多様性と調和」のシンボルとして「多様なバックグラウンドを持つ大坂選手が」とアナウンスされたことがあまりにも軽すぎて、うんざりした。
望まない妊娠や性病罹患の背景は様々。それを第三者が救うべきか否かを裁いていたら誰も守られなくなる。しかも泥を被らずに済む高みからの(しかも妊娠するリスクのない立場からの)ジャッジはゴミほど何の役にも立たないだだの暴力です。さらにこのツイートは事実に反し不当に団体を貶めるヘイトです
「対話しましょう」って言葉は、いつもいつも力を持ってる側から出てくる。被抑圧側でなくて。対話や多様性をうたう人や団体界隈での様々な加害事案や差別発言に触れる度に思う。対話は大切かもしれない。でも「対話しましょう」と言いたくなったら、まずその手の中のパワーの重みを味わった方がいい。
仕事をするには、住居が必要。田舎では車も必須。業務に相応しい服装や靴も必要だし、持病があるなら治療もしなきゃいけない。仕事を始めるにはお金がかかる。だから「お金がない、助けてください」って窓口に来た人に開口一番「仕事を探しましょう」って言うのやめてほしい