全然周知されてないよねこれ…命に関わることなのに
この視点ほんと大切。これを欠くと「善きこと」 によって構造的な不均衡や暴力はむしろ温存されてしまう >>社会の大多数に髪の毛が生えているから、マジョリティー側の人たちに、マイノリティの人が自分を寄せていかなければならない。この社会は非常に歪んでいますよね laundrybox.jp/magazine/hair-…
必要のない人は使わなければいい。主義主張が異なる人はそれ相応の場で反論、議論すればいい。 今朝は関連する流れの中で生活保護受給者を揶揄するツイートを見かけた。様々な立場があり、見方があり、意見がある。対話や議論において「支援を要する人」の声を奪うようなやり方を持ち込まないでほしい
「区別しない」と「差別しない」は同義じゃないんだよ。区別しないことで不均衡や暴力が温存されるなら、それは差別です。
スマホゲーム批判と繋がる文脈で、コグトレや「愛着障害は愛情不足」や親学など科学の面を被って子の行動や子育てをジャッジ・コントロールしようとするイデオロギーが教育や子ども支援現場に蔓延っています。関連する各学会にはぜひともメスを入れていただきたい
分断は年代の間で起きてるんじゃない。貧しい者、機会を奪われた者、努力できるチャンスに恵まれなかった者は、たとえ「若者」であっても、機会と富を持つ人たちの言う「若者のための政治」からはパージされるのではないか→
少なくとも私たちは「いずれ私たちが必要とされなくなる社会」を目指して、そのためのプロセスとして、助成金や委託費による運営形態を受け入れています。それを「ビジネス」と批判されると、ついついやさぐれて「ほなら代わりにどうぞ」と言いたくなってしまいます。そんな現場です
・未発覚のいじめ ・経済的問題 ・合理的配慮が受けられない ・厳しい部活の指導 ・理不尽校則と理不尽生徒指導 ・月経困難症 ・統合失調症の初発 ・セクシャリティ/ジェンダー関連の生きづらさ ↑学校で不登校や「問題行動」を愛着障害と「見立て」られたけれど実はこうでしたという一例
学校が言う「社会は」は、つまりただの「学校は」です。「学校は」の主語では子どもを納得させられないほどの理不尽と不合理があるから「社会」というより強くて大きい主語を持ち出して圧迫する。社会のせいにしないでほしいわ。
若者の困窮は深刻。でもなぜ若者が困窮するか。彼らを育てた世代が困窮しているから。困窮が世代を超えてじわじわ拡大している。日本の政治は富を持つ側に向いている。若者だけじゃない、持たない中高年の側には向いていない。高齢者の困窮も相変わらず深刻だ→
他にも「それじゃない」感すごい 住宅確保要配慮者への入居相談や見守り→公営住宅増やして入居要件緩和しない? フードバンクによるこども食堂への食品提供拡充→給食費無料化しない?子育て中の家庭に直接食料品届けるとかどう? 生活困窮者支援するNPO支援→それもいいけどまず直接給付じゃない?
ぱっと見、感動できる風。でも心に小骨が刺さったみたいになるのは、明らかにそこにある差別構造が「女の子が頑張ればなんとかなるよっ!」って自助努力の問題に矮小化されてしまってるからなんだろうな。私たちにガラスの天井をぶち破る努力を課す前に、ガラスの床を踏みつけてる足をまず退けてほしい twitter.com/nikejapan/stat…
とりあえず、支援を求める人にとって命綱ともなりうる連絡先を奪おうとする行為はすぐにやめてください。その行為は暴力、一片の正当性もありません。
それは間接的に誰かの命を奪う行為です。私はたとえ私と見解を同じくする、共感できる主張であったとしても、同様のやり方を持ち出す人には同調できません
サッカーという競技はそもそも移民や格差といった様々な問題を内包するスポーツ。「サッカーに集中」なんて簡単に言ってしまえるのがまさに「そういうとこやぞ」と
☆冷蔵庫(ひとり暮らし用) ☆洗濯機(ひとり暮らし用) ☆炊飯器 ☆掃除機 ☆電子レンジ ☆鍋やフライパン ☆寝具 ☆本棚やたんす、衣装ケースなど 他にも必要なものはあれこれあるので、もし「こんなのは?」というものがあればお問合せください→