同じように感じてる人がいてホッとした。過度なストレス、自己犠牲的な母親、胸が苦しくなる。学ぶって本来は楽しいもの。大学選択のために学力や適性をはかる必要はもちろんあるけど、子どもをこんなに痛めつけるシステムは不要だと思う。それを感動話に仕立てて商業利用するのもいやらしくて twitter.com/EcoG20/status/…
支援職が「支援につながる力のある人」の支援だけでいっぱいいっぱいだと隙間にこぼれ落ちてしまう人たちが見えなくなってしまう。市民活動に参加したり他団体の活動に加わったりできる余裕ある働き方が必要。そして「自力で支援につながれない人」にネガティブな感情を向けないために充分な報酬が必要
>>スマホを使用すること、新聞を読まないことによって発達障害「的」な児童が増えると主張していますが、これは、科学的エビデンスに基づかない記述です。エビデンスに基づいた政策立案と運用が求められる行政府が、このような非科学的な主張をすることは断じてあってはいけません twitter.com/jssba_org/stat…
「合理的配慮」について学校関係者からほぼ必ず出てくる「他の子がズルいと言うのでは…」という懸念。ズルいと感じるのは自分なのに、生徒のせいにしないでほしい。もし「ズルい」の言う子がいるなら、その子自身が今の環境にしんどさや不満があるってこと。そっちをちゃんと汲んであげることが必要
ソーシャルワーカーを目指す学生さんにお話をする機会が度々あるけれど「仕事しんどいし恨まれたり攻撃されたり誹謗中傷も当たり前だし無関係な人からも誤解されるし、楽しさとかやりがい求めたら拗れるからそれを満たす場は別にちゃんとつくっておいてね」って話す→
「この病気なら○○できるはずがない」「本当に辛い人は他にいる」 他ならぬケアを行う立場の人たち(精神科医や心理士/師)の中にそういった発信を行う人たちが散見される。「社会」からのその眼差しが、他ならぬあなたたちの目の前にいる人を苦しめているのに。加害的な空気作りに自ら加担している
思春期だから、反抗期だからって完全に「理由がなく」親に反抗する子ってほとんどいない。必ず親や周りの大人が何かしかの地雷を踏んでしまってる。でも踏んでる方も踏まれてる方もそれが地雷だってわからない。子どもを苦しめる地雷が、当たり前のものとして生活の中に組み込まれてしまってるから
「差別禁止は分断を生む」誰かを排除することで特権を享受してきたこの方たちにとっては正直な感想なのでしょう。不当に偏って分配されるパイの大きさを正すのが差別禁止です。排除によって結束する権威を解体するのだから、あなたたちにとっては分断かもしれない。でも sankei.com/article/202302…
かといって、今が「地域で子どもを見守る」社会になったかと言ったらもちろんそうではなくて。「繋がり」はたしかに希薄になってる。でも人権意識を欠いた中で「繋がり」だけ密になっても、イコール子どもを守るにはならないよ。
苦しみが深まるほど「声を上げる」ことが難しくなる、それは事実の一断面。でも全てじゃない。「声を上げている」人たちを「本当に困っていない」とジャッジすることは誰にもできないし許されない。他でもなくそのジャッジメントが当事者の言葉を奪いってきた
いきなり延長決めても学童どうするの?家が安全でない子の居場所や見守りは?対面授業を準備してた教員のみなさんの負担も計り知れない。新学期始まった地域もある。遅い。とにかく遅い。
カウンセラー(たまに教師)「私の見立てでは不登校の原因は親の愛情不足による愛着障害です」 わたくし「愛情って何ですかどうやって計測して不足の基準は何ですかどんな行動や条件からそのように判断されましたかあとそもそも愛着って愛情云々とは以下略」 って会議が近年多発しててわりと地獄です
こども食堂は貧困対策じゃないし貧困対策にしてはいけないと繰り返し言ってるけど、やってくる子どもたちの声を聴き続けていると子どもを取り巻く様々な「政治の問題」に出会う。困窮もそのひとつ。だから私は政治に注文する。「政治には目をつぶって良いことだけしていたい」は、私にはできない
対人援助職がインフルエンサーを目指す必要はないと思う。目指してしまうと使う言葉はどんどん「ウケる」ものに変質してしまう。たとえ意図していなくても。わかりやすくインパクトのある言葉は何かが削り落とされていて、その過程で私たちが本当に言葉を届けるべき人たちを傷つけるものに変わっていく
同じ体験をしました。どの皮膚科に行っても改善しなかった娘のアトピー、とあるアレルギー外来のクリニックでじっくり丁寧な問診、ステロイドの塗り方と保湿の丁寧な指導、そして治療の計画をその都度ちゃんと提示してくれて、みるみる良くなりました。薬(ステロイド)同じなのにね twitter.com/zuboracco0307/…
これ、何かの罪に問えるのではないの? あまりにも酷すぎる。 もしこれが合法で病院のこだわりとして堂々と行うのであれば、ぜひ病院名と医師名、そして「当院では産みの痛みを味わってほしいので麻酔効き始める前に切ります」と公開してほしい twitter.com/KokeWye/status…
親は自分の行動が与える影響に気づかない。たぶん、多くの場合で親自身もされてきたことだから。 不機嫌コントロールは比較的その加害性が理解されやすいけど、取引は見逃されがち。妥当にすら思える。でも子どもに伝わる「あなたの願いは代わりに何かを差し出さないと聞いてもらえない」って
私も現場で、同じような「少しの逸脱」で家庭の中で苦しんでいる子どもたちを支えてきた先生方に出会ってきました。たしかにそれが必要な時はあります。でもそれはその時他に方法がなくて、やむを得ず選ばれた手段であり、そしてたまたま良い結果になっただけのことです。その先生たちの行いは→
逆境は言葉と機会を奪う。「当事者の声」を聴くことは本当に大切で、あらゆる活動や制度設計と中心に置かれるべきだけど、人が「声を上げられる」ようになる時は既に「元当事者」であることがほとんどだったりする。特に子どもの困難については。当事者であった人たちの声を中心にしつつ、でも
特性でもなんでもなく機会の差でしょう。「良い大学に行く」「良い塾に通う」ことを望まれ応援される環境を得られるかどうかに性差があるのだから。つか女子はコミュ力、男子は不器用な能力って、入試で不当に女子サゲしてきた人たちの詭弁と全く同じじゃないか… twitter.com/tokyokojuken/s…
そもそも働けるかどうかは受給において関係ないです。なのに「働けるよね?なら申請受け付けません」が横行してること自体が重大な「不正」です。それを「おかしい」と訴えること、でも目の前の人に今支援を届けるために「納得させられる働けない理由」を説明すること。それを両立させてるのが現場です twitter.com/marikakonosu/s…
暴力や緊張があってもその生活が「馴染みのパターン」になれば、環境が安全になっても、その変化自体がストレスになる。「治療始めたり避難したのになぜより辛いの?」となる。無意識に馴染みのある攻撃パターンの要素を探し拡大してしまうこともある。今ここの安全が腑に落ちるまで粘り続けるしかない
「本当に困っている人探し」をしてたらやがて誰もいなくなる。そもそもそんなことをする権限は誰にもない。だけど「本当に困っているようには見えない人」はいる。逆境は困っている人を「困った人」にしてしまうことがあるから。その場合お金や食料だけでない、他のレイヤーの支援が必要だったりする
外からの、そこから離れられる人たちからの、差別や偏見だけでない、時に無邪気でむしろ善意や好意からのジャッジメントがマイノリティの声を遮ってしまう。「悪気はないんだし」で対話や反論が封じられてしまう。その積み重ねだったんだろうねと。だからまず「知る」「聴く」があるはずだよねと
人権を軽んじる人たちに、子どもの福祉は担えない。あらゆる抑圧を放置して「子ども」にだけ熱心だったり「まとも」に見えるのは、パターナリズムの典型だと思う。むしろ警戒する