501
ただ言葉を選ぶ、自分の言葉に責任を持つ、石を投げられた痛みを想像する、そして自分が投げた石はいずれ自分に投げ返されることを知り、投げ返された時に自分がどう振る舞うかを考える。それは必要なこと。
502
そこじゃない。本当にそこじゃない。問題は小学校入学時に子どもに課せられた要求が既に高すぎることにある。だから子どもも教員も疲弊するし、入学時に「座って集中して学習する」ことが困難な子は早期発見の名目で「(発達障害の)診断をもらう」ことが求められる news.yahoo.co.jp/articles/bf08e…
503
困難を乗り越えるための支援は大切だけど、乗り越えられなくても詰んでても、何度失敗しても病んでても、諦めても投げ出しても、どうなっても住処を失うことと困窮することがない社会の方をさっさと実現したい
504
これはガチ。日本の変身系番組は「ダメなあなたを変える」だけどファブ5は個人だけでなく環境と関係性に働きかけながら「変える」ではなく「変わる」を助ける。自己価値観を損なうことなく水が流れるように自然と変わる。有機的に作用する多職種連携。差別等構造的問題を軽視しないソーシャルワーク twitter.com/akatachikako/s…
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トラウマ・インフォームドな見方は「好きで不幸になってる」ように見える当事者が自分の色眼鏡に気づき外すのを助けるし、その周囲の人が安全な距離と境界線を維持し自分を守るのを助けもする。「トラウマ」は支援を生業にしているか否かに関わらず、誰にとっても今いちばん必要な「気づき」だと思う
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見通しの立たない状況で祖国から離れ子どもたちを守る女性たちも、突然銃を手に取ることになった男性たちも、それぞれに痛みを引き受けている。その「女性と子どもが優先的に避難する」状況を、安全な場所にいる人たちが、「フェミニズム」を揶揄する道具にしている。ただ恥ずべきことだと思う
507
事前に調べて資料用意して問答を想定して理論武装して、なんなら専門家に同行頼んで、それでようやく受理される、そんな実態だからたとえ「ためらわずに相談」しても跳ねられることがあります。そうすればますます忌避してしまう。「申請は必ず受理」を全ての現場に徹底させてください。#厚労省
508
でも地続きなのは多分みんな同じ。私もそう。無意識に命の線引きをしてしまっている。そうしていない、と断言できる自信はない。だから意識的に言葉を選んで、理性と想像力を使って強く「違う」と言い続けなきゃいけない。
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家がない(家が安全でない時に避難できる住まいがない、公営住宅入れない)
仕事がない(あっても安心して暮らせる給料じゃない)
学校に行けない(学校つらい)
これらには手をつけず「(第三の)居場所」だけ増やそうとするの、どう考えてもおかしい
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誰かを「信じる」って「この人は過ちを犯すはずがない」「私を裏切るはずがない」という期待や信念ではなくて、「この人が過ちを犯す/私を裏切る時はきっと事情があって苦しんでるんだろう」と想像できること、そしてその時私はその人を見捨てないし支え続けるだろうと「信じる」ことなんだと思う
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経験が活かされるのは「全く同じ経験をする人なんてどこにもいない」と「目の前の子どもはかつての子どもだった私とは別人」と「私はもう子どもじゃない」の3つがしっかり軸になっている時だと思う。どれかひとつでも揺らぐと、今ここにある声が聴こえなくなる
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自身が直接加害されなくても「大人が加害を見逃した」光景が加害になる。適応を促す前に加害を止めること。そのためには、適応を促され続けた私たち大人は「何が加害か」のアンテナが鈍ってるかもしれないことを知った方がいい。知らないと磨けない。
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15歳の女の子を「要保護」としながら矢面に立たせて、大人は誰一人(今のところ)責任を取らない。キスクラでいったいどんな言葉をかけたのか。なんともモヤる終わり方。20年近くスケオタやってるけど特に平昌以降の女子フリーを見て辛くなることがしばしばある。女の子を搾取する世の中を映す鏡みたい
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特定の「社会問題」に関心を持ち、また声を上げ行動する人たちの中にはその「問題」の当事者、あるいは元当事者が多くいる。
でも権利が制限された子ども、高校生の場合はただ巻き込まれるだけで、ぐちゃぐちゃで、「問題に関心を持つ」なんて「贅沢なこと」だったりする
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子どもの面倒を見るのは女の役割。男は子どもに加害するけどその責任は目を離した女の側にある
というふうに読みました。「どうやったら子どもを守れるか」を共に考え行動する同志であるはずの児童精神科医がこのような眼差しで子どもと/親と向き合っているのだとすれば、残念極まりないことです twitter.com/Pnagashi/statu…
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職種職域を問わず対人援助従事者が安定した(生活に不安なく、充分に休める)収入を得なきゃいけないのは、収入が不安定だとその穴埋めに対象者の行動や生活を管理し感謝や賞賛を要求するようになる危険があるから。支援と支配は表裏一体。支援を支配にしないために必要なのは倫理よりまず安定した賃金
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絵本作家のぶみ氏が「虐待も離婚や中絶や流産も障害や病気も全て(胎内で)子どもが選んだ」という創作で子どもを「親を喜ばせる道具」に仕立てあげてきたのは周知のこと。それは多様性や共生とは真逆、自己責任と差別思想。知らないじゃ済まされないし知ってて起用したのなら上から順に腐ってるとしか t.co/3o5MplJTjC
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そもそも「昔」っていつなんだろうって思う。その人のイメージの中にしかない時間軸なんじゃないかな。今よりも人権意識低くて家父長制バリバリで子どもや女性を虐げるのがずっと当たり前だった「昔」しか、私は知らないけどな。
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対人支援を生業とする人がきちんと充分な報酬を受け取ること、きちんと休息をとり、好きなことを充分にやること、これは本当に大切。「仕事のために生きる」は誰にとっても良くない。でも特に対人支援職にとってはいちばん避けるべきものだと思ってる→
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だから大人は笑顔や感謝のリターンがなくても、ただすべきことをしようね。様々な面で子どもより力を持つ大人として、そして子どもを抑圧し貧しくした世の中を作った大人として、ただすべきことを。
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当県で開催された「SDGs博」のニュースを読んだ。環境、ダンス、食、復興…
貧困や差別、ジェンダー平等といった言葉はどこにもない。「みんなが不快にならないきれいなテーマ」でその「みんな」から排除されている人たちの困難、構造的問題を塗り潰す。ある意味とっても日本のSDGsイベントっぽいなと
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8巻、キーフリー先生のこの台詞が好き。子どもたちがちゃんと大切にされて、大切にされることで自立していく。大人と子どもの関係性と距離感がが本当に素敵な漫画です。「学ぶ」ことが丁寧に描かれてるのも好き。
#とんがり帽子のアトリエ
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「当事者の声を聞こう」と言いながら「誰が”当事者”かは私が決める」って態度の支援者・活動家がわりといるなぁと
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「負けたから」にはきっと他のいろんな言葉が入るし、「平日にします」も同様。粋だとか羨ましいとかの前に怖いなぁって思ってしまう
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「支援」に繋がることは難しい。自ら支援を避けるようなことすらしてしまう。だって自分にはその価値が無いから。支援に繋がっても、その時点であたり一面焼け野原、周囲にダメージを与え、自分もひとりぼっちになって、燃えかすになってしまっていたりする。かつての私がそうだった