そもそも強制があかんというのは大前提で。毎日毎日2時間以上興味もない好きでもない得意でもない活動に奪われかつ成果を求められるのはのは苦痛に過ぎない。生徒が選べるメニューを用意できないなら強制をやめるべき。子どもの時間を子どもに返してあげてほしい。そして先生の時間も先生に返そう。
直接的間接的にいろんな学校さんと関わってるけど、不登校が少ない・いない学校って「不登校減らそう!」と前のめりで取り組んでるより ・学級の枠が緩くて生徒が枠を超えて場所や関係性を作れる ・複数の教員が学級に関わる ・教員同士話し合う機会が多い がナチュラルに定着してるケースが多いなぁ
「私はそんな小さなこと気にしない」と言う人ね。あなたが気にしないでいられるのは、これまでの長い間誰かが気にして声を上げ続けてきたからだよ。
なんならDVが明らかになった後も「あんな奥さん/旦那さんなら一緒に暮らしてると手を上げたくもなるよね」って加害者が擁護されたり「虚偽なんじゃないの?」って言われたりもする。ほんと、ほんとつらいよ
「聴衆の多くから」支持されないだろうという理由でジェンダー平等や福祉を経済の下に置くという「体裁」をとる政治家は、ただ諦めているだけ。「聴衆の多く」のせいにして、逃げないでほしい。
子どもの貧困でもヤングケアラーでも、何年も前から現場で「こういう事例(の顕在化)増えてるよね」と気づいて、手探りで支援を構築して、共有して知見を積み重ねて、訴えて、声の大きな人や組織に届いて世間の関心が集まって、やっと調査や研究が始まって、そんで数年後に「〇〇対応の研修」みたいな
これは私も常に「もやって」るところ。自分の活動に対してね。 性被害に遭う、そしてパートナーから暴力や搾取を受ける比率は女子/女性の方が高い。だからうちは女性を優先して受け入れるし、性被害者にとって男性との共同生活は心理的安全を損なうから親子の場合中学生以上の男子は受け入れてない→ twitter.com/maitonkm/statu…
あと申請に行ったのに「相談ですね」へのすり替えもやめてほしい。   もちろん丁寧に対応してくださる方々もたくさんいます。でも「ガチャ」が外れたらそれで終わりって、行政サービスではあってはならないことなんですよ。
「かつて子どもたった経験(当事者性)」は「子ども支援」において重要な内的リソースだけれど、「でも今は大人である(当事者ではない)」という軸を持ち合わせていないと目の前の子どもの権利を(非意図的に)侵害することになる。「今ここ」を生きる子どもたちは、かつて子どもだった私じゃない
この人たちはどれだけ現場に負担をかければ気が済むんだろう。陽性反応出たとしてそれからどうしろと?夏休み明け、保健室という避難場所があるからかろうじて登校できる子もいる。体調を崩しやすくなる子もいる。養護の先生がただでさえ忙しい時期。保健室を壊さないで。 news.yahoo.co.jp/articles/96b22…
こういう時だけ都合よく象徴化しないでほしい。その「いろんな国の要素が混じってる」ことを理由に普段どれだけ誤解や迫害を受けてきたか。そして当然のことながら、私たちは国の容器じゃない。それは「ハーフ」だろうがなんだろうが同じ。「ハーフ(混血)」に対してだけじゃない、人間への侮蔑です。 twitter.com/itoi_shigesato…
道徳教育を推進してきた大人たちの言動のどこに「道徳性」があるの?   やめちゃえばいいよ、道徳教育なんて。その代わりに人権と福祉、メンタルヘルスについての教育を導入しよう。
『グレイスイヤー』 駆け抜けるように読了。侍女の物語や誓願のような「置き去りにされる快感」からの圧倒的巻き込まれ感ディストピア小説。ちょうど今思春期をテーマに文章を準備中で、色々とリンクする。ちょっと乱暴になるけれど、私は(女の子の)思春期は幻想や迷信だと思ってる。それこそこの→
「ひとりでいたい」「秘密を持ちたい」という自由が守られないと「つながり」なんて苦しいだけだし、「NOと言う」「文句を言う」権利が守られないと支援なんて受け入れたくない。それが当たり前。
オフライン環境で苦しんでる子たちと少しでも繋がるためにスクールソーシャルワーカーというポジションに居続けてる。フリーランスの立場ほど柔軟に動けないけど「公」でないと介入できない事案は少なくないから。団体の運営・フリーの活動との両立はなかなかしんどいけど、どれかひとつ欠けてもだめ
「自分で選んだのだから簡単にやめてはいけない」と大人は叱るけれど、自分で選んだからこそ自分で「やめる」を選んでいいし、そもそも大抵の子どもにとって学校も部活動もその他も選択肢はとても限られているのだから、自分で選んだも何もないよね
これは何度でも問いたい 食品を無駄にしない取り組みは大切 必要な人に優先して届ける仕組みも大切 でも「余り物はとりあえず子どもたち(含む社会的弱者)に与えておけばいい」という考えには抗いたい。「みんなが食べたいもの/食べるべきもの」になってから出直してほしい twitter.com/daisukefuricad…
勇気だの感動だのを届けられても誰も救われない、誰も幸せになれない、そもそもそんなの届かない、そういう世界線で生きてます。
みんな、小さな罪を重ねてる。   不完全な罪人が互いに「それはダメだよ」と言い合えて、この社会は前に進んでいく。品行方正で清廉潔白な人だけが誰かを裁けるのだとしたら、この世の全ての過ちは誰からも裁かれなくなってしまうよ。過ちを犯さない人はいないのだから
置き去りにしているからです。私が置き去りにしてしまっている、排除してしまっている人たちを支えている人たちがいる。彼らとの連帯は私たちにとって必要なことであり、むしろ責務だと考えます。トランスジェンダーの方からの避難希望、入居希望の問い合わせにお断りをしながら、彼らが使える資源を→
愛とか思いやりとか、計測できない尺度なんて信用ならないよ。家族であっても恋人であっても友人であっても。大切なのはその人があなたに何を言ったか、どう行動したか。それだけ。
日本学生支援機構の家計急変採用(給付奨学金/返還不要) 『2022年7月1日より、家庭内暴力から避難をした場合も申請可能です』 ↑これは要宣伝!要拡散! jasso.go.jp/shogakukin/mos…
私が13歳の時、そして14歳の時も、15歳も16歳もそれはそれは未熟だった。自分の安全も権利も、それが侵されることも理解してなかった。でも、私がかつて未熟で無知でたとえ「意見」なんて持っていなかったとして、目の前の子どもが同じとは限らない
同じ行いで子どもを苦しめることがあり、そして搾取目的で同様の行いをする悪質な例も存在します。逸脱に対して「良い教師の行い」というラベリングをすることは、苦しんでいる子たちの口を封じることになってしまいます→
信田さよ子さんの「親を許さなくてもいい」に多くの人が救われたのは、それだけ「許しなさい(許すべき)」という圧力が人を苦しめるから。相手が親に限らず。心のケア(カウンセリング)って「許せるようになる」ための手段では無いはず