怒り抗議するのは、苦しいから。不当な扱いと暴力があるから。それが我が身や関係する人たちに及ぶ恐れを感じるから。 「分断」はあなたたちがいる場所とこちら側との間に既にあります。私にはそれが見える。そちらからは見えてますか?と問いたい。
(今さらサードプレイスとか不登校支援とかコミュニティカフェとか多世代交流とか言い出しても遅いんだってば)
そもそも「子ども食堂に来ている子たちは貧困の子に違いない」というラベリングをしている時点で「私とは無関係な場所」と切り離しています。そしてそのラベリング自体が間違いです。それに気づき行動を修正できることこそ探求だと考えます。
会議である人の発言が妙に引っかかった。すごくおかしなことを言ってないのにモヤモヤした。しばらくして理由が分かった。「家庭」や「保護者」を全て「お母さん」と言っていたから。「お母さんとの連携を大切に」「お母さんと信頼関係を」「お母さんの関わりが大切」と。個別の事例ではなく一般論で
ちなみに私の幼児期の将来の夢は「お花屋さん」でした。小学生は「看護師さん」でした。今でもよく覚えてます。なぜよく覚えてるか。なりたいものなんて分からないのに大人がしつこく聞くからとりあえず納得しそうな手近にある答えを出したからです。あまりにめんどくさくて無意味な質問だなと覚えてる twitter.com/marikakonosu/s…
「若者が政治に関心あるか・無関心か」ってことじゃなくて、「無関心のモデルとして安易に若者を使うな」なんですよ。
この「無気力・不安」という選択項目は削除した方がいい。子どもを不安させている要因が分からない、つまりただの「わからない」だから。そのわからないは「聞けていない」つまり「話してもらえていない」と同じ。子どもは信頼の置けない相手に本音を言わないし→ twitter.com/asahi_school/s…
小中学生の頃、親たちが「良い先生だね」という教師が苦手だった。エコひいきしたり抑圧的だったり理不尽な要求したり突然怒り出したり何が地雷になるか分からなくてビクビクしてた。だから怒られないように従い続けた。それが大人には「生徒に言うことをきかせられる良い先生」に見えたのかもしれない
いつかな。公共の場だと、例えば電車の中だったりすると、いつもより多く娘を叱っていることに気づいた。静かにしなさい、おとなしくしなさい、と。周りから非難されないために些細なことで先回りして叱っていた。周りの攻撃から娘を守るためだった。でも私が抗うべきは周りからの不当な攻撃だったんだ twitter.com/W7u8NXx595mJBu…
もちろん学生が関心を持つのは悪いことじゃない。大切なこと。でも当事者性から遠い場所にいるからこそ社会問題への関心を持てるという構造は、「無関心」とはまた違う危うさを内包していると思う
「学校のルールがどんどん細かくなったことで、今まで問題がなかった子どもまで、あぶり出されるようになっている」 これに尽きると思う。子どもへの要求が高くなり応えられない子に診断が下される。幼稚園は「小学校の要求に応えられない」と推定される子に早期受診を勧める toyokeizai.net/articles/-/535…
一定のルールは必要。でもそれは「黙食は良くない」という大人のジャッジによってのみ決められてはならないと思う。    マスクも同じ。黙ってひとりで食べる方がいい、マスクしてると安心する。コロナ禍でそれまで正しい・良いとされてきた世の中軸が逆に振れて、そういった子たちにとって
きっぱりNOと言っていい時に言えない、言葉が出てこない、空気を読むのを優先してしまう。そういうのを「大人の対応」と言って流してしまうの、やめにしませんか?
私の講演を聴いた高校生が福祉や心理の道を目指してくれてその動機がただ困ってる人を助けたいではなく「制度の隙間という構造的問題の犠牲になる人を置き去りにしない新しいシステムを作りたい」とかだとすごく嬉しいけどそれ以上にその問題を君らの世代にまで残してしまって本当にごめんってなる
子どもを「死にたいくらい辛い気持ち」にさせてるのは大人の側です。大人が作った構造の中で苦しめて、8月に大人がわーっと盛り上がって、大人が相談して!逃げて!って言って、相談を受けるのも大人で。その枠組みの中で「相談して」って言っても、その言葉を信頼してもらえるかな
戦争反対の声を綺麗事だと嗤う人たちがいるけれど、戦争を肯定する(反対しない)方がずっと綺麗事ですよ。安全な場所から、たとえ戦争が起きても犠牲になる心配をしていない人たちが言う、汚い綺麗事 #NoWar #нетвойне #Противійни
大人は子どもらしい子どもが好き。でもその子が困難に陥ると、途端に子どもらしさを取り上げる。しっかりしなさい、受け入れなさい、理解しなさい、決めなさい、努力しなさい、でも身の程を知りなさい。困難が深いほど早く大人にさせられる。子どもらしさという虚像を期待して、今度は身勝手に奪う社会
「学校ムリでもここあるよ」はいいけど、「学校ムリならここがあるでしょ?」は危うい。そして両者の境目はとっても薄い
「能力を引き出す」なんて余計なお世話なので当たり前の権利を保障し差別撤廃と格差是正に取り組んでください 子ども関連政策は少子化対策という大人のニードから切り離し子どもの権利擁護を軸にお願いします 子育て支援はどう産ませるかでなく育てやすさを実現してください   取り急ぎ以上です twitter.com/kishida230/sta…
マインド、とひと言で言ってしまうと色んなものが見落とされるなぁと。子どもが違うテレビを観たがる時にそれぞれの子とちゃんと話す時間的心理的余裕があるか、子どもが何かを欲しがった時に諭す余裕があるか。この親さんの言うように「どうしようもない」状態だったりする。お金がないとそういった→ twitter.com/RiekoKomiyama/…
子どもに「支援を求める」「避難する」努力やアクションを要求する前に、私たち大人のどんな行動や価値観が子どもを苦しめているのか、私たちがどう変わるべきかを強く強く発信しなきゃいけないと思う。キャンペーンの有効性は否定しない。でもメッセージを向ける先は子どもだけじゃない。まず大人。
そのアンバランスを是正したいなら、家事育児看病介護など家庭内無償労働の負担格差も是正しなきゃいけない。 そのアンバランスを引き受け生きることをむしろ望む女性もいるのは確か。ただ、もし様々な機会が本当に「フェア」なら、彼女たちはそう望んだのだろうか
そもそも今の日本、学校教育からエンタメから産業まで   感動>>>>>>>>思考   になってる気がする。既に感動飽和状態。感動が批判的思考を薙ぎ倒し刈り取ろうとしてる。   危ういと思う。
様々な情報が有機的に相互作用して成長する子どもの行動のうち大人にとって好ましくないものだけ取り出して「新しいメディア」のせいにするのは雑すぎるし、その主張は「子育ては母親の役割」「子の問題行動は母親の愛情不足が原因」といった言説大好き層と親和性が高い。科学じゃなくてイデオロギー twitter.com/marikakonosu/s…
娘の友だちがデートDVの被害に遭い相談を受けた。葛藤するその子に「愛されるというのはあなたが違う意見や価値観を持っても、望まない行動をしても、それを認めるということ。自分と違う存在だと認めないのは、愛ではなくただの支配と執着だよ」と伝えた。 という夢を見た。寝た気がしねぇぇぇぇ