351
「居場所づくり」とか「居場所をつくりたい」ってつい私も使っちゃう言い方だけど、やっぱ嫌だなぁと。居場所は作るものじゃない。他者が勝手に作った枠に誰かを押し込めてもそこが「居場所」になるわけじゃない。居場所は作られるものじゃなく、人と空間の有機的なつながりのなかで「なって」いくもの
352
「保護施設に入ってるなら生活保護いらない」というリプいただきましたが誤認です。民間のシェルターにはいろんな運営形態があります。例えばうちはシェルター事業はどこからも委託・助成を受けてないので運営費は完全に持ち出しです。で、家賃は家主さんのご協力でタダですが水光熱費はかかります→
353
ただでさえ数が減って困ってる子はいるのに。子どもだけじゃない。携帯電話を持たせてもらえない、監視されてる、そんなDV被害者にとっても公衆電話は大切なツールです。誰かの命に関わるものは、経済性の物差しで測っちゃいけない。
354
つまり同意云々関係なく「出さないが正解」です
あとね、実は大抵の人はよそんちのお子さんの写真にあまり興味ありません。もし強い興味を引かれる人がいたらそれは「よくない興味」かもしれないのでとにかく出さないが吉。子どもの安全は日常の小さなことで侵され、それは権利侵害の土壌になります
355
教員による同様のツイート目にする度にいつも思うけれど、こういう具体的なエピソードをTwitterに書くことについてお子さんそして親さんの承諾得てるのかなぁ、と。これは親さんの職業まで開示してますよね。子どもの手紙云々の前に大人が振り返ること多すぎなんじゃ…?
356
「前よりマシ」になった。もちろんマスク苦しい黙食つらいって子もいる。ポストコロナにおける一定のルールは必要でも、どうか「黙食は良くない・正しくない」という一方的なジャッジでルール設定しないでほしい。それは「班になって向き合っておしゃべりつらい」子たちの存在をまた見えなくしてしまう
357
クリスマス大晦日お正月成人式と年末年始は「当たり前の家族の幸せ」幻想の押し売りがキツい。クリスマスのプレゼントやディナーも年末年始のご馳走や団欒も成人式の振袖もこの日本ではもはや誰もが「当たり前」に得られるものじゃないのにそれが当たり前だという幻想が振りまかれる。そりゃ調子崩れる
358
中絶の権利が覆された米国の判決。理不尽は突然降ってきたものじゃない、ひとりひとりの選択と行動の積み重ねの結果国の代表が選ばれ、判事が選ばれ、女性の安全と権利が奪われた。日本も同じ。たった1回の選挙、たった1回の選択、その積み重ねが私たちの権利を守ることもあるし、奪うこともある
359
そして基本的にまだまだ男性優位。女性の従事者は多いのに、権威は男性に集中している。
「対人支援職なのにまさか」でも「対人支援職にかぎって」でもない。「対人支援職だからこそ」の視点で性加害事案を振り返り、抑止していかなきゃならないと思う。
360
こういう事態が生じるから、「ネットワーク」の類とはどうしても距離を置いてしまう。当事者不在の組織化によってミッションよりも組織の運営と延命が優先され、やがて地に足がつかなくなってしまうだろうから。
361
子どもの支援や権利擁護に取り組む人たち(私たち)の中には子ども時代に学校や家庭に苦痛や理不尽があってそれが動機づけになっている人もいる。だから「子どものため」が自分の怒りや恨みを晴らすためにすり替わるリスクがある。子どもの声が聴けなくなる。聴けなくなっていることにも気づけなくなる
362
不登校の子を持つフルタイムひとり親に対して「一人で過ごす時間が多い」「放置してる」っつっても、だからどうしろと?そう言うなら働く時間減らしても充分生活していける資金か昼間「見守り」してくれる手立てを出してくださいな。対人援助職としてそれができないなら、黙ってようね
363
私たち「支援者」だっていろんな困り事を抱えてる。自分や家族に病気や障害がある、子が不登校、DVがある、低賃金でお金ない、借金がある、物質に依存してたり言えない過去があるetc.でも目の前の人からは「ちゃんとした仕事をして安定した生活を送ってる人」に見える。その眼差しは常に意識している
364
そして生徒を家に泊める、愛車に乗せるといった行為は、例えそれが「善意」だとしても、それは「良い教師」の行いではありません。教師とは生徒という強弱のある関係性において境界線を踏み越えてくる行いは、たとえ「その子にとって」良かったとしても「良い教師」として評価されてはいけないものです
365
何を書いても火に薪をくべるだけ、火の粉が自分にも降りかかりかつ様々な価値観の対立が起きている中で、意見表明を避けている支援職も多くいるかと思います。ですがこのツイートには価値観や立場や職種を超えて、特に若者・子どもの支援に従事する人たちは明確にNOと意思表示すべきではないでしょうか
366
福祉ってそもそも「つながり」が断たれた、つながりから置き去りにされた人たちのためにこそある。でも日本の福祉はむしろつながりに依存しようとしてる。「つながり」や「シェア」をキーワードに活動を展開する民間団体は多いけど、福祉のつながり依存に加担してないかセルフチェックが必要だと思う
367
差別的・加害的な言動を指摘すると「その意図はありませんでした」という反応をいただくことが多々あるけれど、はい、まさに私が問題にしてるのもその意図とやらではなく行動であり言葉なんですよね
368
子どもたちにあだ名や呼び捨てを禁止する前に、教師が生徒を呼び捨てするのを禁止してほしいんだけどな
369
いやいやこども家庭庁って「少子化対策」目的じゃないよね。こどもの権利を守ることがミッションだよね。ちゃんと報道たあげて?
って思ったけど別の動画で大臣本人が「子どもを産み育てやすい国に!」って言ってて萎えた。こども真ん中って「子どもを家の中に」って意味? mainichi.jp/articles/20230…
370
「子ども支援」してると「子ども好きなの?」と訊かれることが度々あるけど、子どもを中心に支援するのは行使できる権利が最も制限され、故に最も搾取される存在だから。好きか嫌いかなんて関係ない。そもそも「子ども好きなの?」って質問自体が大人と子どもとの非対称性を表してる。それが支援の理由
371
虐待への介入が遅れ子どもに深い傷を負わせてしまい、時に死に至らしめる事案は枚挙に遑がない。でも素早い介入で最悪の事態を未然に防げた事例もある。多くある。ただしそれはほとんど誰にも知られない。「何か」を防いだから。知られないだけでなく「ことを無駄に荒立てた」と非難されることすらある
372
子どもが不機嫌だったり、むすっとして部屋に閉じこもったり、問いかけにきちんと答えなかったりするとつい「その態度はなんだ」などと叱りたくなるけど、実は子どもなりに自分の中のイライラやもやもやを必死に押さえ込んで、外に出さないように最大限頑張って対処している最中だったりします
373
子どもが勉強を苦痛に感じる(めんどくさいとか嫌いとか苦手ではなく)のはなぜか、子どもたちと話すことがある。できないと叱られる、馬鹿にされる、比べられる、自分のペースが許されない、そんな声があがる。勉強そのものではなく周囲の大人の態度や言葉なんだよね。新しい取り組みを追加する前に→
374
エビデンスのないなんとかセラピーのセラピストを名乗って「発達障害を治せます」と言う人からたまにFBフレンドリクエストが届くのだけどTLを覗くと似非科学やら陰謀論界隈との繋がりが濃厚な上にプロフィールに公立学校で特別支援敎育支援員やってますとかあって、なんかもうなんだかなと
375
「是非を論じる」のではなく、子どもたちの声を聴きながら子どもたちの見ているものを見ながら、それぞれの場所や時間軸での最善を一緒に見つけていってほしい。そして揺れ幅を許容してほしい。是が非かの問いではないはずだから。