301
シェルターが少ない
公営住宅は条件が厳しいし数も少ない
食料やお金の現物支給は世帯単位が基本で世帯の中で暴力や搾取やネグレクトの被害に遭ってる人や子どもには届かない
これは全て制度の問題。行政が直接携わるべきことがらです
302
誰かを見て「ズルい」と言う子がいたら、その子自身がその場にいることや自分の扱われ方に何らかの苦痛や不満や違和を感じてるかもしれない。「ズルい」と言う子を叱ることも、「ズルいと言う子がいるから」を理由に他の誰かを我慢させることも、どちらも子どもの苦しみを放置、抑圧することになります
303
特に重要①→相談段階における扶養義務者の状況の確認について、扶養義務者と相談してからでないと申請を受け付けないなど、扶養が保護の要件であるかのごとく説明を行うといった対応は不適切であるので、改めてご留意願いたい。
304
「好きな人と食べてください。ひとりでもいいです」だとそれはそれだ歪みが出るから(私もそうだった。班の給食も辛いしたまにあった「好きな人と自由に」も辛かった。どこにも入れないのが辛かったし、ひとりがいいのに「ひとりは惨め」な空気の中で可哀想な子扱いされるの辛かった)
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特に重要②→生活に困窮する方が、所持金がなく、日々の食費や求職のための交通費等も欠く場合には、申請後も日々の食費等に事欠く状態が放置されることのないようにする必要があり、こうした場合の速やかな保護決定について、5月 26 日付事務連絡等において依頼しているところである。
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うん?「人権問題が好ましくない」ではなくて「人権問題への抗議が好ましくない」とな。W杯も五輪も既に政治的イベントです。人権のない民主主義は存在しない。こういうところががっかりでサッカー好きなスポーツなのに観るのも楽しむのもあれこれ躊躇しちゃうのよね www3.nhk.or.jp/news/html/2022…
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大きなことじゃなくていい。眠れない時に一緒に寝てくれたとか、体調悪い時に休ませてくれたとか、落ち込んだ時に好きなもの食べさせてくれたとか、子ども時代にちょっと困った時の小さな願い事を身近な大人に叶えてもらった経験が大人になってからの「困った時誰かに頼れる力」の下地になるんだと思う
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親支援・大人支援へのアレルギー反応を緩和するために「子どもの貧困」という言葉は作られた。でもその結果、支援の矛先は問題の本質からどんどん逸れてしまった。
貧困の中暮らす子どもはたくさんいるけれど、それは「子どもの」貧困ではない。そろそろちゃんと大人の貧困・親の貧困に向き合おう。
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貧困という構造的問題に対し「こども食堂」にできることには限りがある。場所づくり、つながりづくり、見守り、相談できる関係性…そういった役割は大切でも「貧困対策」ではない。それを「子どもの貧困対策にはこども食堂」という文脈にすり替えることで→
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女だから大学なんて
女だから勉強しても無駄
女の子だから一人暮らしはやめなさい
女の子だからお手伝いしなさい
そんな言葉を(直接的・間接的に)浴びて育てば「ひとりで生きていける」自信と力はどんどん削がれていく
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それ以外の「良くない評判をきいた」について私は基本的に関わりません。繰り返しますが、それはきっと私たちも他で言われてることだから。それをわざわざSNSで仄めかすようなことをしたのでは、それ自体が私たちへの信頼を下げる行為になります
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我々の現場、女性支援・困窮者支援の現場でもあるあるです。そしてそういう「助言」をする人たちもまた「世の中を良くするため」の活動や発信をしていたりする。関わらずにいられるのにわざわざ関わる姿勢を「善行」と呼ぶのかもしれない。でも関わらずにいららる特権を手放さず、特権に意識を向けずに
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不機嫌で他者をコントロールする大人がかつて身近にいたせいか、今も大きな足音やドアを閉める音を聞いたり話しかけても返事がないと心臓がバクバクして手に汗をかいてしまう。そして「不機嫌で他者をコントロールできる」ことを学んでしまったので、自分も子に対してそうしてしまうのではないかと怖い
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これはとても大切なことなんだけれど、子どもを遠くの習い事に通わせられる(そもそも習い事をさせられる)のは経済的時間的にゆとりを生み出せる家庭に限られてしまう。意識はあってもできない家庭は多い。だから子どもの日常の動線上に「学校外のつながり」を作れる場所が必要なんだと思う。 twitter.com/Megumidayo/sta…
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だからね、本来なら行政の責任で制度整備されるものだと思う。民間に丸投げするんじゃなくて。必要なのは事業ではなく制度。そうでなければ受益者が偏りすぎてしまう。だけどどんなに制度化しても必ず隙間は生じて、私ら民間はあくまでもその隙間を埋める小さな存在でありたい。と、個人的には思ってる
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行政や大企業に対して本来の「対策」に充てられるべき予算や取り組みを縮小させるエクスキューズを与えてしまっている。「こども食堂」というキャッチーなアイコンを貧困対策と紐づけることで、貧困対策そものもががどんどん軽んじられてしまっている
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「諦めず助けを求めてください」と言われても、願いや要求を拒絶され否定され自分の話なんて誰も聞いてくれない誰も助けてくれないって信じてしまう体験の蓄積で現在の困窮があるわけなので、助けを求めるってハードルがまず高い。困窮する人に「助けて」って言わせるのは(国として)恥ずべきことだよ
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目の前の人が心理的負荷や葛藤(そして時間的制約や移動等の負担)を乗り越えて、あるいはそうせざるをえないほど追い詰められて、そして相談することと引き換えに何かを損なっているかもしれないことを前提に、自分の振る舞いに意識を向けたい。相談は受けるよりする方が、多分ずっと難しい。
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駅や公共施設よりもむしろ「何もないところにポツンとある」電話が大切なんです。駅や市街地には常に人がいていざとなれば誰かに助けを求められる可能性がある。でも徒歩で行ける圏内に商店も公共施設も交番もない、そんな僻地に暮らす人たちがいて、彼らにとってこそ公衆電話は命綱なんです。
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特権って社会的地位とか経済力とか多数派であるとかじゃない。「気にしなくていられる」こと。だから誰かが何かに対してとても不安に思ったり恐れたり苦痛を感じている時、「気にしすぎ」と相手をジャッジするんじゃなくて、自分の側に「気にしないでいられる特権がある」と思いたいし思ってほしい
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「子どもの貧困」という言葉が広がったのは「大人(親)の貧困」だと自己責任論によって支援への支持が得られないから。子どもには無条件で同情が集まる。それを「子どものため」に利用しようとした結果「応援」の対象が子どもの自助になり、最も必要な社会保障による親支援の拡充は後回しにされていく
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【募集※不用な家具家電】
シェアハウス(シェルター)を出てひとり暮らしを始める女の子がいます。あれこれ用意しなければならないものが多く、負担を減らすため皆さまからのご支援をいただけないでしょうか。リプ欄にあるもので、まだ使えるけれど不用になった品があればご連絡ください→
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最後には「聞こえるように言わなかったお前が悪い」と言われ、最初に戻る。いつまで続くのこれ
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こんなに子どもを、母親を大切にしない国で「産む」ばかりが推奨される。使われるのは女性の身体、危機にさらされるのは女性の命。どんなディストピアだろう
#代理出産合法化に反対します
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「誰かの役に立ちたい」という想いは尊いけれど、「誰の役にも立てない自分はダメだ」になるとそこから「(誰かの/世の中の)役に立たない人間に価値はない」までわりと距離が近いから、注意が必要。