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運動会のシーズンの学校はちょっと苦しい。先生たちの怒声が響いてて。
言ったでしょ!
聞いてなかったのか!
揃ってない!
何度言えばわかるんだ!
やり直し!
お父さんとお母さんががっかりするよ!
耳と心が痛くなる。誰のための、なんのためのイベントなんだろう
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あとついでに。「他の団体からこんなことされました」「あそこは何もしてくれなかった」という話は私もよく聞きます。ですがそれはきっと私たちも他で言われてることです。制度に隙間が多すぎて「願ったとおりにいかない」支援なんてザラですし、マンパワーも部屋数も限られてる
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そして困窮する人から声が奪われる。福祉が痩せ細る。世の中はより生きづらくなる。そもそも子どもを個とみなさない、親の生活状況や所得で子どもが受けられるサービスが制限されてしまうというのは福祉サービスの弱点なわけで、そこに「子どものために」を掲げる事業が乗っかってしまうのは残念に思う
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「ひとりでいていい」は、大人になるまで生きててよかったって思えることのひとつ。
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知りもしない2人の結婚の是非についてあれこれ言うつもりはないけど、「男性に女性を養えるだけの稼ぎがあるか」が度々話題になるのが疑問。女性も大学まで学んで幼少期から公務というキャリアを積んでる。それを活かして働く道はたくさん思うんだけどな。なぜ彼女は「養ってもらう」前提なんだろう
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「学校を休まない」ための健康じゃないんですよ、健康という土台があった上での学びであり教育なんですよ。
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「話を聴いてくれたり認めてくれたり助けてくれる大人が周りに誰もいなければ、私たち子どもはどうしたらいいんですか?」
という真っ直ぐな質問を度々受ける。「どこかにはきっといるから諦めないで」なんて簡単に言えない。なぜ子どもたちが「助けてくれる大人探し」の努力をしなきゃいけないの?
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追記。そもそもこども食堂というシステムは「貧困対策」になり得ないわけで。しかしながら子ども食堂と貧困対策とを紐付けしたのは他ならぬこども食堂(を増やそうとしている)側で、その結果貧困のステレオタイプ化や貧困に見えない子の排除、スティグマの強化が進んでしまうとしたら本当に悩ましい
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「こどもの貧困」は大人の貧困だけど、じゃあ大人(親・養育者)を支援すればそれで良いかというとそうじゃない。親を支援しても子どもにお金が行かない、届かないことがままある。貧困は「お金が入ってこない」のみを意味しないから。子どもに直接支援が届く仕組みがほしい
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「波風立てない」「器用にふるまう」「(男性を)上手に巻き込む」スキルは私が発言する機会を力を得るのを手助けしたかもしれないけど、結果として不均衡を温存することになったのだと思う。子どもたちに受け継ぎたくない、だから子どもたちにこの姿を見せたくない。でもできなかった。悔しい
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「社会はもっと厳しいぞ」は学校が子どもにルールを守らせるための常套句。社会を持ち出すのであれば「社会」で通用する価値観を教えてほしい。たしかに社会は厳しい、でもその厳しさから自分を守るための権利がある。学校ルールはただその権利を奪う。学校ルールほど「社会」に出て使えないものはない
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子を産みなさい社会に貢献しなさい犠牲になりなさい自立しなさい。そう追い詰めて力と選択肢を奪いつつ「シングルマザーと交際したい欲求を持つ男性」とマッチングさせる。非常にグロテスクな芯が通っていると思います。
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教育や児童福祉、貧困対策を「未来への投資」と表するやり方にはかねてから賛同できなかった。投資は回収が目的になる。もし期待した通りに「回収」できなかった場合(例えば税収が増えなかったなど)教育も福祉も不要ということになる。易々と乗ってはいけない文脈だと思う
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努力して成功した、幸せになった、それは誇れること。でもその努力を当たり前のものとして他者に要求する前に、自分の努力の土台に「努力できる幸運」があったかどうかを少しだけでいいから振り返ってみてほしい。努力できる幸運を認めたとしても、あなたの努力の価値はちっとも損なわれないから
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もちろん働いていない。「働かずとも自分が養うから問題ない」と配偶者は言う。
疾患や障害で本当に運転が「無理危ない」ってわけじゃなく、ただ一方的に運転=自由な移動が禁じられ、女性の側も「不便だけど今までなんとかなってきた」し「稼いでもらっている」し、そして→
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子どもに「将来の夢」を書かせたいのは誰か、言わせて安心したいのは誰かと問いたい。
震災のあと、地元紙で「未来の福島を担う子どもたち」とか何とかいうタイトルで子どもたちが書いた「将来の夢」が掲載された紙面があった(311メモリアルの特集だったかも)。私はそれがとても気持ち悪かった
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「私は絶対にいじめをしません」と言う人を信用できない。いじめの被害者であっても。私もいじめを受けた。でも私も誰かを排除したり傷つけたことがある。意識的にでも無意識的にでも、きっと誰にでもある。私にいじめのつもりがなくても相手にとっては違うかもしれない。私の「つもり」なんて関係ない
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「話の聴き方(いわゆる傾聴の技法)」について研修講師を依頼されることが度々あるけど、話の聴き方よりも「なぜ話が聴けなくなるのか」を知る方が大切だと思う。相手との関係性、自分の状態や欲求、自分の中で何が起きているかと何がそれを引き起こしているのか、その原因と対処
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傷つけられ裏切られ続けてきた人たちと、ギリギリの条件環境で活動している私たち、その間のコミュニケーションにすれ違いや葛藤が生じることも多々あります。他団体についての訴えの中に明らかな暴力や搾取、権利侵害や違法行為なら然るべきところに調査を依頼すればいいしそうします
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注意書きの先に露骨な性描写があるわけじゃない。だから「この程度のことで?」と思う人もいるかもしれない。そう、「この程度のこと」で傷つき尊厳を損なわれてきた人が沢山いるんです。そして注意書き以降の展開がまさに「この程度のことで?」と言う人たちにNOを突きつけてくれている
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「マイペース」をゆるされた結果の「男の子後伸び論」がどれほど多くの女の子から機会を奪ってきたか。教育者を名乗るなら当然ご存知のはずではないでしょうか。
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「問題行動」を繰り返していた子が「落ち着いた」り、逆に「落ち着いていた」子が「問題行動」を起こすようになったり。その子が変わったように見えるけど、変わったのは環境=周囲にどんな大人がいるか、だったりすることが多々あるんだよなぁ。でも大人の目には「その子が変わった」としか見えてない
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相談窓口は抗議のツールではありません。援助を必要とする人たちのためのものです。回線やメールボックスに無関係な問い合わせが殺到することで支援を必要とする人との繋がりが絶たれる恐れがあります。それは誰かの命を奪うに等しい、暴力です twitter.com/colabo_yumeno/…
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「私は差別をしません」と言う人が増えても世の中から差別はなくならない。「私は差別をしてしまう」からその行動を抑制する手立てが生まれる。これ、学校の人権教育にまるっと欠けてる要素なんだよね