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日本では給料以上の働きをすることが良きこととされがちだけど、給料以上に仕事しちゃうと、それで仕事が回っちゃうから、予算も人も増えんのよね。ただもうそれが前提で社会が回ってしまってるから、善人が損する。給料分しか働かないと会社や組織が困るはずが、利用者が困るようになってしまってる。
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心療内科で眠剤初めてもらったとき、お医者さんから、お薬飲んで、「布団に入ったら寝られる」って脳に学習させることが大事。布団に入っても寝られないのを繰り返しているのは、布団=入眠って脳が理解できてないからみたいなこと言われて、妙に納得した。
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新社会人の皆様、「困ったらなんでも聞いてね」という先輩や上司よりは、「こんなことが起きたら報告してね」「この内容は先に相談してね」「ここまでは自分で決めてね」って、細かく言ってくれる先輩や上司のことを信用しましょう。はじめは口うるさく感じるかもしれないけど、その方が育ちます。
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おじさん構文の話、他者視点(今回の場合、相手の女性視点)に立てるかどうかということだと思うのだけど、「自分のコミュニケーション方法が相手にどう受け取られるかが想像できる」って、コミュニケーションの核心だと思う。
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大人になってから困難な状況になっても、支援機関や行政に自ら頼りにくい人たちの中には、かつて学校で失敗体験叱られ体験を繰り返している人が多いように思う。公的な機関に助けを求めても「怒られるかもしれない」「責められるかもしれない」という感情が根強くあるのではないか。
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子どもへの本の読み聞かせって、本好きにさせるというより、その時間を共に過ごす、親が他のことに手を止めて、子どもとの良質な時間を過ごすという意味で、すごく大切な時間ではないかと、生まれてから8年間夜の寝かしつけをしてきて思う。
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今の社会は、一度進学や就職したら方向転換するハードルがとても高いように感じる。勉強や仕事しながら、途中で方向転換したり、違うことにも挑戦してみたり、そんな幅や余裕があるほうがいいように思う。実際にそれができるのは経済的環境的に恵まれている人に限られてしまっている。
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管理職とかになって、立場や年齢があがっていくと、ダメなところはダメと指摘してくれる人は減っていく。むしろ指摘してくれる人を排除できる力も持ってしまう場合もある。指摘してくれる人を貴重と思うかどうかって、重要な分かれ目だと思う。
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娘が不機嫌そうなときに、「何が嫌だったん?どうしたん?」て聞いてたら、横にいた妻に「いまそれ聞かれるのが嫌だと思う」って言われて、その通りだなと思ったのだけど、これは親側の不安なんだなと思った。子どもの言動の理由を知りたいのは、親が不安だからなのもあるよなと思う。
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あまり理解されないかも知れないのだけど、経済的に困窮してるのに、頻回に、移動にタクシーを使ったり、食事はデリバリーを頼んだりする人は意外といて、背景には能力面や育った環境、メンタル面など様々なものがあるのだけど、「貧困」の問題は、それほど根深い。
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筋トレしたりランニングしてると、今さらモテたいのみたいなこと言われるときあるけど、シュッとしたおじさんになりたいただの自己満足です。女性がネイルしたり化粧したりお洒落するのは、男ウケじゃなくて自分のテンションあげるためっていう意味が、おじさんになってわかった気がする。
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例えばバナナが床に落ちてるとして、滑って怪我人がでないように、何度となくゴミ箱に捨てるけど、誰にも知られず、評価もされず、たまたま知らない間に捨てられたバナナで滑って転んだ人がいたら、バナナ捨てるな!って、世間から怒られるような仕事してる人たち、今日もおつかれさまでした。
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執拗に、誰かを攻撃する気持ちや支配欲が生まれるとき、背景に自分の親に認められたかった気持ちが成仏していないということはあるかもしれない。だからといって攻撃が正当化されるわけではなく、自分の過去の満たされなさとは切り離す作業は必要だよなと思う。
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管理職になって、勝手に意識してることがあって、仕事中、相手が年下でも部下でも女性でも男性でも、苗字にさんづけで呼ぶ、敬語や丁寧語で話す、自分が座っていて相手が立って話しかけてきたら、自分も立って目線を合わせること。尊敬する上司がそうしていて、すごく気持ち良いなと感じたから。
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4630万円の誤送金の件、町長の責任逃れな記者会見が話題になってるみたいだけど、「決裁印を押すということは、一切の責任を負うということです」って言ってた上司を見習って欲しい。組織の長になるというのは、部下の責任を負う覚悟を持つということではないかと思う。
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コロナだ、戦争だというときに、相変わらず面白いツイート(いい意味で)しているアカウントを見ると、ちょっとホッとする自分もいるのだけど、かつて震災で被災した子どもたちが、当時を振り返って、ささいなことでも変わらない日常があったことで安心したという話を思い出すな。
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子どもに関わる仕事を長くしてきて、親の代わりにはなれない、なっちゃいけない、誰かの役割を奪ってはいけない、その子の人生の責任を最後まではとれない、とる立場でもない、でも、目の前の子どもの今に、何ができるか、という葛藤は、常に持ち続けているな。
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友達や恋人には自分のいいところを見せたい気持ちってよくわかるけど、長く関係が続く相手は、自分の弱いところやダメなところを見せられる人だよなと思う。
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支援者が、自分の支援について「思い」を持つのはもちろん大切なのだけど、知識や経験などに裏付けされた「技術」が伴ってないと、「技術なき思い」は時に暴走しまう。「暴走した思い」は、「相手のため」を思って、意図せず、傷つけたり追い詰めたりしてしまう。
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こども食堂もヤングケアラー支援も、それら支援に従事する人たちには敬意を払うばかりなのだけど、本来は、そのような支援を必要とする子どもたちを生み出さないための施策や公金投入が必要なんだと思う。今困っている子どもたちは、いずれ大人になって、社会を作っていく人たちになるんだから。
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メンタル健康な人は、不安を遠ざけることができるから、回復が早いらしい。メンタル不調な人ほど、麻痺させることで回避しようとしがちだから、不調な状態が長く続いてしまうのだと思う。
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感情労働のダメージはあんまり軽く見ないほうがいい。支援者ではない自分を大切にしたほうがいいし、それができる環境を整えることは、結果的に良い支援に繋がる。「良質な支援は、健康なこころとからだに宿る」という言葉を、制度設計する人たちには重々わかってほしい。
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ヨシタケシンスケさんの「ころべばいいのに」を小2娘に読み聞かせてたら「えっ、パパも嫌いな人いるの!?」と驚いてて「嫌いな人も苦手な人もいるよ」と話したら、なんか安心したような顔してた。嫌い人がいてもいい、その気持ちとどう折り合いをつけるかが大事って子どもが学ぶ機会って少ないよな。
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生活困窮世帯や弱い生活基盤、家族機能が低下している方々にかかわっていて感じるのは、多くの大人(親)自身が、幼少期や子ども時代になんらかつまずいた経験を持つけど、適切にケアされていなかったり、支援につながっておらず、大人になってから精神面や健康面で崩れやすい状態になってしまっている。
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子育てって正解はないし、何をしてもうまくいかないときはあるんだけど、「1分後も1時間後も1年後も自分の安心安全は守られているはずだ」という感覚を、子どもに身につけてもらえることが、ひとつの目標ではないかなと思ってる。