nikov(@vh7fiap)さんの人気ツイート(リツイート順)

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人に助けを求められない、求めたくない、抵抗がある、自責感が強い場合、こころの奥底の自分の気づかないところに深い傷つきがあるのかもしれない。過去に、助けを求めても、救ってもらえなかった経験、無視された経験、もっと傷つけられた経験、裏切られた経験…助けを求められないだけの背景がある。
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親に褒められたかった気持ちって、未消化のままだと、大人になってからすごく厄介なように思う。自覚することも難しかったりする。怨念化してしまうと、立場の弱い人に向けてしまう場合もある。本当は親に褒められたかっただけなんだって気付けるだけでも、すごいことだと思う。
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メンタル不調なときほど、刺激の強いものを求めてしまうときって、ある種の自傷的な側面もあるような気がする。刺激を強めて不安を麻痺させるみたいな。でもつい、さらに不安を想起させるものに自ら突っ込んでいってしまって、自爆することもある。
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仕事でも家庭でも、自分の成功や平穏な日常が、もしかしたら誰かの気遣いや我慢で成り立っているかもしれないという発想は、いつも持っておかないといけないなと思う。
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理由はわからないけど、なんとなくこの人と一緒にいると心がざわざわするという直感は大事にしたほうがいいと思う。そんな悪い人じゃないしとか、こんなことしてくれたしと、ざわざわした気持ちを打ち消さないほうがいい。いいところはあるけど苦手という人がいてもなんら不思議なことでもない。
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支援が必要な人ほど支援に繋がりにくいのって、子どものころ学校でうまくいかず、怒られることが多かった結果、公的機関や支援機関には「怒られるかもしれない」という気持ちが強いのではないかと思う。「支援を求める」こと自体、支援者が思っている以上に、ハードルが高いのではないかと感じる。
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養育者や大人から、長期に渡って人格否定された子どもは、大人になってからも影響が長く続く。何をやるにも自信がない、常に不安を感じる、失敗への耐性が弱い、成功しても自分を認められない、他者の評価にとらわれる、うまく人に頼れない。こころの傷が出血して化膿したまま、治療されていない状態。
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無茶な要求をする人がいなくなればいいとか、公的機関はクレームも我慢して働くべしとかそういう断片的な話ではなくて、公的機関への財源を削ると、支援が必要な人が見過ごされてしまう可能性があるのだと思う。必要な支援を見過ごさないことも、公的機関で働く人を守ることも、どちらも必要だと思う。
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人間関係でいちばん怖いのって、理解をしているつもりの無理解のような気がする。悪意なく無理解である自覚がないから、距離感を間違えたり、相手に踏み込みすぎたりする。多くの場合、「あなたのためを思って」と言う。拒否したら、一転して悪意に変わる可能性すらある。
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本当に自分の気持ちをわかって欲しい人や感情をぶつけたい人に、それをしても無駄だと理解したとき、行くあてのない負の感情は、立場の弱い人に向かっていくということは、往々にしてあると思う。集団が閉鎖的であればあるほど、立場の弱い人が追い詰められる。
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学校とかでよく「自分がされたら嫌なことは人にしない」と教えるけど、裏を返せば「自分が嫌じゃなければ、人にしていい」なので、「人がされたら嫌なことはしない」「嫌かどうかは相手が決める」と、「自分が嫌なことは自分で決めていい」を教えてあげてほしいな。
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人と対話するのって、脳みその疲労がすごい。相手の話や態度から意図を汲み取り、自分が伝えたいことを、なるべく相手が理解しやすい形にして、言葉や身振りに変換し、その反応も確認しつつ、次の展開を予想しながら、言語化する作業の繰り返し。文字通り、脳みそが疲れる。脳みそお風呂に入れたい。
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疲労がたまると、雑音や周辺の話し言葉が耳から脳みそに刺さってしんどい。わかってくれる人いるかな。
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同じ「出来る」状態でも、「頑張ったら出来る」のと、「頑張らなくても出来る」には、天と地の差がある。そして、それは周りから見ても簡単にはわからないということを、人を育てる立場の人は知っておく必要があると思う。
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心療内科や精神科通院って、風邪ひいたときの内科と同じように、心の不調があったら治療しにいくというだけの話なんだけど、社会のネガティブイメージと、受ける不利益が大きくて、受診への抵抗ある人多いと思う。
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「心因性」とか「心の病」とかの言葉が、心が弱いから、気持ちがしっかりしてないから、という印象を与えがちだけど、「脳のイレギュラーである」という考えが広まってほしいと思う。身体は器質的には問題がなくても、症状や苦痛は確かにあり、気合いで治るものでもない。
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福祉や教育などの対人援助職は、受容共感傾聴などの寄り添いベースの対人スキルは学ぶけど、威圧や不当要求に対して、「あなたの行動は認められないのでこれ以上は応じられません」と、うまい具合に相手に伝える対人スキルは案外教えられてきていないのではないかと思う。 twitter.com/NyoVh7fiap/sta…
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気持ちを言葉にするには時間がかかる。特にこころが傷ついたときは、自分が傷ついた事実と向き合って、気持ちを整理して、言葉にして表現するまでに、時間がかかるし、エネルギーもいる。傷つきが深いほど、言葉にできない時間を過ごす、ただ誰かに寄り添ってもらうという時間も重要だと思う。
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怒りの瞬発力が高すぎたら、自分の感情に飲み込まれてしまう場合もあるから、バランスが難しい。言い過ぎてしまったら後々罪悪感に襲われる場合もある。不当な言動に対して、正攻法でサクッと反発したり言い返したりできるようになるのも、練習が必要なのだと思う。
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社会では、「自分の意見を言語化できる力」が求められるのだけど、「自分の意見が言える環境で育てられる」ことが、実は恵まれているという現状があると思う。子どもたちの権利が守られる社会が、子どもたちが意見を言える環境が、これからの社会を豊かにしていくのではないかと思う。
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パパ育てへの批判として、母親に比べて、父親が子育てを教えてもらえる環境がない、社会構造的な問題だというパパ垢のツイートみたけど、それは母親も父親も同じだと思う。社会的構造というなら、母親は自ら学ばざるをえない環境に置かれるけど、父親は必ずしもそうではないという問題はあると思う。
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「疲れた」という言葉に、反射的に、「自分も疲れた、こんなことやあんなことがあって…」って、自分の話にすり替えてしまうタイプの人、もしや、共感してるつもりなのかな。共感してほしい人と、共感できない人のすれ違いではなく、「共感」そのもののすれ違いなのかと考えると、なんか合点がいく。
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これの怖いところは、ストーカーのほうは、相手が思い通りにならないと、徹底して被害者ポジションにいると思っていること。自分の思い通りにならないのは相手が悪い⇨自分は気持ちをわかってもらえない被害者⇨だから自分の攻撃には正当性がある、という思考回路の人が少なからずいる。 twitter.com/NyoVh7fiap/sta…
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虐待やDV、性被害などなんらかの支配や抑圧を受けてきた方達の支援の軸は、「主体性を取り戻す」ことにある。自分で何かを選ぶことや自分の人生を歩むことを、強烈な支配関係により奪われてきたから。
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毒親という言葉の是非はともかく、刺さってほしい人には刺さらず、刺さって欲しくない人に刺さるやつですね。一方で、「親との関係をしんどいと思っていい」「自分の感情は自分だけのもので、大切にしてもいいんだ」と子ども側が気付けることは救いではあると思う。