nikov(@vh7fiap)さんの人気ツイート(古い順)

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家庭学習と言うけれど、家庭ってそもそも無理せず安心してぼーっと過ごせる場所なのが理想だから、家で学校のように勉強させるのは無理あるよ。 学校で勉強できるのは子どもが学校用やる気スイッチ入れてるから。家でもやる気スイッチオンにしたままだと壊れちゃうよ。
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子育てに限界が来てる人に必要なことって、まず1番に子どもと離れて休養休息できる環境なのは明白なのだけど、もっと大事なことは、「子どもと離れて休む」ことに、罪悪感自責感を覚えさせないことだと思う。家族にしても社会にしても。
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社会に出たら理不尽なことがたくさんあるから、子どものうちに理不尽な経験もさせて耐えれるようにしなければという発想は、全く逆で、子どものころに不当に扱われず、自分は大切な存在なんだと感じられることが、大人になってから理不尽な目にあっても、回復していける力や、助けを求める力が育つ。
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心理学におけるレジリエンスの概念は、いわゆる「回復力」「ストレスをはねかえす力」「弾性力(しなやかさ)」のことなんだけど、レジリエンスを高めるには、そのはねかえすための力を、子どものころから蓄えておくことが必要で。 それは、周りの大人や社会に大切に扱われることで培われる。
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子どもをたくさん褒めて可愛がるという話に、「甘やかすとろくな大人にならない」という返答がくることがあるのだけど、子どもを肯定することと甘やかすこと同じではないです。 甘やかすというのは、子どもができることを大人がしてしまったり、子どもがとれるべき責任を大人が肩代わりすることです。
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子どもを肯定するというのは、子どもの存在そのものを認める、尊重する、できていることや挑戦しようとしていることを褒める、大人が手を貸したり環境を整えればできるようになることは、大人が手助けしたり、方法を教えたりする。その繰り返しの中で、子どもは自分自身が肯定されている感覚を育てる。
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子どもができることと、今はできないけど大人や周りの手伝いがあればできるようになることの境目を、「発達の再近接領域」といって、これを見極めて、子どもにかかわるのが大人や社会の責務だと思う。
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手伝わなくてもできることを、大人が先回りしてしてしまうと自立を阻害するし、できないことを精神論根性論で無理やりさせようとしても、追い詰められてしまう。 当然、この境目は、子どもの発達の程度、気質、性格、コンディション、家庭環境、社会との関係性によって違うし、日によっても変化する。
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あと、子どもの「眠い」も危険と言いますね。語彙が少ないから、疲れた、眠いなどでしか表現できないとのことです。 twitter.com/gomi_outlet/st…
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市長のメダルの件、色々フラッシュバックする人いると思う。一連の構図がまさにセクハラパワハラのそれで、社会的強者の戯れ(のつもり)が、その人の今後の人生を左右するほどの傷を与えることがある。大げさではなく、それでずっと傷を抱えて生きてきた人の支援にも携わってる身としてもきつい。
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幼児期の課題って、かなり大雑把にいうと、周りの大人にお世話される段階から、自分で考え自分で動く段階に徐々に移行する時期なのだけど、小1で急に「枠や集団にはめる指導」に移行するから、混乱する子がでてくるのだと思う。じゃあ幼児期から「枠にはめる指導」をすればいいかというと全く逆で。
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パラリンピックを子どもの「教育的効果」のために、「観戦させる」って、社会モデルにおける「障害」の捉え方からは離れてる。「障害」は、もっと日常の暮らしの中に、社会の側にある。コロナウィルス感染という命の危険にさらしてまで実施させようとする発想がもう何が何だか頭が追いつかない。
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日本では「たった一人で反対したら、袋叩きにされるかもしれない」から、「なんか変だな」と思っても声をあげられない。たった一人の「なんか変だな」が社会に反映されたら、みんなが生きやすい社会になるかもしれないのに。
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30代後半になり、若い人たちと接する上で「自分はもうおじさんだ」という自覚を持たなければと思うのですが、色々なおじさん達を観察してみて思うのは、清潔感やユーモアも大切ですが、一番重要なのは「距離感」だと思う。物理的心理的距離感。相手がこれ以上踏み込んで欲しくないラインを見極める力。
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慕われている、信頼されている「おじさん」は、自分が踏み込んで欲しくないラインを守ってくれる。この人と話していて、自分は何も脅かされない、プライベートなことに不当に踏み込まれない、雑に扱われたり、茶化されたりしないと思わせる何かがある。まぁもちろんおじさんに限らずなんだけど。
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自分と相手の距離感を見誤ると、自分だけ楽しくて相手が不快になってることに気付かない。なぜ「おじさん」に言及するかというと、年齢や地位があがると、それを教えてくれる人も減るから。気付かぬ間に誰かを傷つけてたり不当に扱ってても、相手の我慢によって会話が成立している場合もある。
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「自分はもうおじさんだ」という言葉は、自己卑下でも、何かの免罪符にしたいわけでもなく、「自分の気づかないところで、相手を脅かす距離に踏み込んでしまっているかもしれない。それを指摘してくれる人がいない可能性がある」という自覚をもったおじさんでありたいという意思表明(?)です。
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コロナウイルスのパンデミックは、「見えない災害」という記事が流れてたけど、同時に「見ようとしない災害」でもあると思う。人によって見ようする、もしくは見ていたい景色があまりにも違いすぎる。政治家やメディアを筆頭に。これが地震や津波などの災害とは決定的に違う点だと思う。
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鬱病の人が、回復目的で筋トレひたすらしたら、鬱は一向によくならず、マッチョな鬱病患者が出来上がったという話があって、後日談で、転職したら、筋トレしなくても鬱が回復したという話があるらしいのだけど、結局、ストレス要因と治療のバランスで、どちらが上回るかという話のような気がする。
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確かに、筋トレやランニングは、その間は心を無にできるから、抑うつ気分から解放されるし、運動は努力が結果に結びつきやすいので、自尊心の保持には良いと思うのですが、そもそものストレス要因や、心が疲弊するだけの心理的負荷を取り除かないと、根本的治療にはなりにくいのかなと。
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常に脳みそが自動的に働いてしまう、もしくは脳みそ働いていないと落ち着かない民の話で、家に本があったり親が本を読むからそうなったというより、もともと脳みそ動かしとかないと落ち着かない民が、活字を好むという話ではないかと思う。純粋に「脳みそ休めるって睡眠以外にどんな状態?」という。
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今回のパンデミックで、いかに医療、福祉、教育、保育、公衆衛生等、人々の生活を支える事業に、公的財源を正しく使わないといけないかが明白になったと思う。保健師や医療職が疲弊し離職休職に追い込まれ、教員に感染対策を丸投げし、福祉施設がリスクを抱え、保健所が公衆衛生を守れない事態は異常。
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「普段機嫌が悪い人には情報が集まらない」、「ポジティブな人には相談がしやすい」は真実だと思うのだけど、「ポジティブに振る舞っている人には、理不尽に仕事が振られる」、さらには「普段機嫌が悪い人の仕事の尻拭いまでさせられる」まであるのもまた真実だと思う。
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組織や上司は、普段ポジティブに振る舞っている人に甘えてはいけないと思う。上司が不機嫌な人に気を使い、ポジティブな人を都合よく使っていたら、理不尽な中で耐え忍ぶしかなくなる。反撃してもさらに理不尽な目にあうことさえある。普段、誰が何を支えてくれているかを見極めないといけない。
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嫌な人に遭遇したとき、反撃する、相手より嫌な人になる、我慢する、逃げる、選択肢は色々あると思うんだけど、いい人ほど反撃したり嫌な人間になるのは自責感が生まれてしまうから「我慢する」を選択しがちになる。我慢の限界で、声をあげたら、「そんなに怒らなくても」と言われることさえある。