医療が逼迫した状況で緩和を進めるなら、政府にはその負の側面、医療対応の限界についても説明責任があるはずです。 幸いコロナの新規感染者数は収束しつつあるようです。重症化・死亡のピークは遅れてくるので、まだまだ気は抜けませんが、ご協力いただいた市民の皆様には心から感謝を申し上げます。
④社会が医療のツケを払っている。 医療は社会の一部です。医療の役割を定義するのは社会の側であるはずです。 日本は命が大切にされる国です。高度な手術にも超高額な抗癌剤にも健康保険が使えます。海外での心臓移植が必要な子どもには数億円の寄付が集まります。素晴らしい社会だと思います。
そんな社会だからこそ医療者も大切な命のために全力を尽くします。 命を守るための医療を守る。医療崩壊しない程度に感染拡大を抑制する。そんな方針でやってきました。 結果、ワクチン接種が行き届くまでの時間を稼ぐことができ、世界的にも人口あたり最小のコロナ死亡で経済活動を正常化させました。
しかし第8波では毎日500人がコロナで亡くなる状況となり、通常医療も逼迫しました。この状況で感染対策緩和を進めていくという政府のメッセージ。 私含め医療者はこれ以上仕事したくないなんて思っていません。ただ、助かるはずの命が助けられない、そんな状況はなんとしても避けたいだけなのです。
②健康保険料を払っているのに対応できないのはおかしい。 平時であれば高水準の医療に容易にアクセスできます。しかし非常時には増大するニーズに対し、限られた資源配分に優先順位をつけざるを得ません。非常時でも平時同様の医療アクセスを保証するには、おそらく現在の健康保険料では足りません。
③やる気がないなら医療をやめろ。 医療もケアも現場は平時からギリギリの人手で回っています。そんな中、専門職はやる気を超え、使命感で仕事をしています。 やりがいも感じます。しかしバーンアウトも増えています。大切なのはやる気ではなく持続可能な医療・ケアを支える仕組みなのだと思います。
ベッドが満床でも、診察を受け入れ続ける救急外来があります。都県境を超えて搬送先を確保してくれる救急隊があります。現場の機転と創意工夫でギリギリの綱渡りで医療をつないでいます。 しかし、一部の地域では災害時に行われるトリアージ(助ける命を選別する)に準ずる状況も生じています。
①病院は公的資金が配分されているのになぜ対応できないのか。 病院運営に必要なのは資金ですが、医療の提供に必要なのは人です。医師や看護師は簡単に増えません。患者数の増加で診療業務は増大、専門職の感染も加わり現場は慢性的に人手不足。お金があればなんとかなるという状況ではありません。
多数のご批判いただきました。 ①病院には公的資金が入っているのに対応しないのはおかしい。 ②健康保険料払っているのに医療にかかれないのはおかしい。 ③やる気がないなら医療をやめろ。 ④医療が社会のツケを払ってるじゃない。社会が医療のツケを払っている。 確かにそうなのかもしれません。
政府のスタンスが感染対策緩和に傾いていく中、医療ニーズの増大に対して人的手当ができないまま現場が疲弊していく状況に、もう後がないという危機感から発信したツイートでした。 しかし、多くの誤解を生じ、不愉快に思われた方も多かったようです。 申し訳ありません。 twitter.com/junsasakimdt/s…
ただ「何があっても医療は通常通り提供されて当然」と考えておられる方が多いことはよくわかりました。 改めてツイートの意図を説明させていただきます。 医療の提供量には限界があります。 それでもこれまで日本の医療は(局所的な被災地を除き)どんな状況でも機能し続けてきました。 コロナ禍でも
そして「コロナのない世界」の住民の方々も、今は少しだけ立ち止まって、この状況について考えてもらえないだろうか。 ある日突然「コロナのある世界」に強制的に押し戻され、厳しい選択を迫られることになる前に。
経済活動は制限しない、子どもたちに普通の学校生活を。大変結構だ。その方向で進めてもらって構わないと思う。 しかし「コロナのない世界」のツケを医療介護の現場に一方的に後始末を押し付ける前に、それに伴う痛みについて国民にきちんと説明すべきだ。その方が医療介護の専門職も割り切れる。
このような状況でも「コロナのない世界」から戻っていただけないのなら、自分や家族が感染した時、あるいはコロナ以外の疾患や事故に遭遇した時に、これまで当たり前だった医療やケアが受けられない可能性があるということは受容していただくしかない。
いま介護の現場は専門職の使命感だけで支えられていると言っても過言ではない。みんな家族がいる。中には高齢者や基礎疾患のある人もいる。特に介護職には自身が高齢で基礎疾患をもつ人も多い。同僚が感染で離脱していく中、現場を守るために長時間・高頻度のシフトを緊張感の中で支え続けている。
介護の現場も深刻だ。介護は医療よりも長時間の密着したケアが求められるにも関わらず、それに相応の評価が存在しない。施設や在宅でのケア提供体制が崩壊すれば、感染した高齢者はコロナ病床に入院するか、その場で放置されるかのいずれかだ。前者は医療崩壊に拍車をかけ、後者は死亡者を増やす。
重症化する若年層の多くはワクチン未接種者。悪化した時に入院治療を希望するくらいなら、まずはワクチンを接種しておいてほしい。 米国では12月に入ってオミクロン派生株XBB.1.5が急拡大、すでに日本にも上陸している。オミクロン対応型ワクチンが、重症化・死亡リスクを下げる効果が期待されている。
ワクチンの接種回数が3回未満、または前回接種から半年以上経過している人は、ご自身の重症化を防ぐためだけではなく、医療を守るためにも、ワクチン接種を強くお願いしたい。重症化率が下がったとはいえ、感染者が増えれば、当然重症化する人も増える。ワクチンは医療現場の負担を軽減できる。
厳格な制限は必要ない。だけど医療崩壊をさせない程度には感染拡大を抑制する。これが私たちが学んできたコロナ対応の基本でなかったか。 「コロナのない世界」のツケを払い続けているのはコロナから目をそらすことを許されない医療と介護。しかし現場はこれ以上の負荷には耐えられない。
それでも重度化した感染者には医療が求められる。医療を選択しない高齢者にもケアは必要だ。誰も見殺しにはされない。忘年会を楽しむ若年層も自身や家族がコロナに感染すれば、必要な医療やケアを要求する。そして医療や介護の専門職は、要求されなくとも、目の前の「いのち」に真摯に向き合い続ける。
これまでは医療を守るために協力してくださった市民の間にも、コロナで死ぬのは、どうせ近い将来死ぬ運命にある高齢者、高齢者の死因が一つ増えたと思えばいいじゃないか、そんな割り切った意見も聞かれるようになった。
マスクはしている。アクリル板もある。だけど、もはやコロナはただの風邪、大したことはない。多くの人はそう考えている。ワクチンを打った基礎疾患のない多くの若年層については確かにその通りかもしれない。だけど、感染防御のガードが下がったことで、感染の波は医療や介護の現場にも押し寄せる。
要介護高齢者の多くがワクチン5回接種を完了している。しかしコロナに感染すると、10人中6人は軽微な症状で済むものの、4人は衰弱が加速、うち1人は酸素投与が必要な状況になる。4人のうち2人は回復するが、2人はそのまま衰弱が進行し、明らかに死期が早まる。インフルエンザはここまでひどくない。
ワクチンでコロナ肺炎は激減した。しかし、新型コロナ感染症が特に高齢者にとっては脅威であることには変わりはない。超過死亡を加味すると60歳以上の実際の致死率は3.14%とする試算も。30人に1人が死ぬ計算だ。20代までの死亡も116人、インフルエンザで若者は死なない。mhlw.go.jp/content/109000…
ケアの現も深刻だ。介護職の多くは、私生活を含め慎重な行動を強いられている。それでも高齢者ケアの現場はクラスターが多発、介護・看護職員の感染によるマンパワー低下の中、感染した高齢者のケアをなんとか継続しようと必死だ。精神科病棟も密かに厳しい状況になりつつあるらしい。