176
太宰治・坂口安吾・織田作之助の対談より(「どんな女がいいか」)
太宰「おれは乞食女と恋愛したい。」
安吾「ウン。さういふのも考へられるね。」
織田「もう何でもいいといふことになるね。」
これが無頼派らしい会話なのかはよくわかりませんが、志賀直哉が読んだら不快感を催すのは確実でしょう。
177
178
179
芥川龍之介は亡くなる2年半前、記者に一番懐かしい人物を聞かれ「それは夏目先生です」と。そして「先生が我儘な位正直な所も宜いですね。それから先生の趣味も好きですね。それから非常に親切だつたことも嬉しかつたですね」と語っています。2人の交流が僅か1年だったことが本当に残念でなりません。
180
181
読書週間が始まると、メディアは必ず「若者の読書離れが深刻」といった暗い話題を流しますが、たまには「文豪の小説を初版本で読みたいという若者が増えてきた」といった明るい話題も提供してもらいたいものです。
182
「アベック」は既に死語だそうですが、使わなくても知っている人は多いでしょう。でも「クメル」をご存じの方はほとんどいないと思います。「失恋(する)」という意味で、久米正雄の小説『破船』に由来し、大正末から昭和初め頃まで学生の間で流行しました。この言葉に対する本人の感想は不明です。
184
尾崎紅葉夫人によれば、関東大震災の後で紅葉の墓に行くと、倒れていたであろう石が元通りになっていました。花屋の仕事かと思ったら、実は泉鏡花が友人たちと直したのです。しかも人知れず。「力がないので定めし困つたことでせう」と笑って語る夫人は、鏡花に心から感謝していたのに違いありません。
185
昭和28年の今日、堀辰雄が死去。「君にあつたほどの人はみな君を好み、君をいい人だといつた。そんないい人がさきに死ななければならない、どうか、君は君の好きなところに行つて下さい、堀辰雄よ、さよなら」師事した室生犀星の弔辞です。堀は天国のもう一人の師、芥川龍之介の所へ行ったのでしょう。
186
彼の芥川龍之介に「夜半の隅田川は何度見ても、詩人S・Mの言葉を越えることは出来ない」と言わしめるのだから、やはり室生犀星も凄い詩人です。ちなみに犀星の言葉とは「羊羹のやうに流れてゐる」であります。
187
檀一雄に「君は(中略)天才ですよ。沢山書いて欲しいな」と言われた太宰治は「身もだえるふうだった。しばらくシンと黙っている。やがて、全身を投擲でもするふうに、「書く」私も照れくさくて、ヤケクソのように飲んだ。」(檀一雄『小説太宰治』)身もだえる太宰も、自分で言って照れる檀も可愛いです。
188
森鷗外「渋江抽斎」自筆原稿の一部見つかる sankei.com/article/202207… @Sankei_newsより
189
誰も信じてくれないけれど本当の話。初版本コレクターを極めると、芥川龍之介と太宰治の初版本の匂いを嗅ぎ分けることができます。
190
191
大正8年冬、友人宅で萩原朔太郎の『月に吠える』を手にした宮沢賢治は「ふしぎな詩だなあ」と言いながらページを捲り、目が異様な輝きを帯びてきたそうです。後に「心象スケッチ」の原稿を読んだ友人が「ばかに朔太郎張りじゃないか」と指摘したら「図星をさされた」と。『春と修羅』誕生の背景です。
192
芥川龍之介の「理由は一つしかありません。僕は文ちやんが好きです。それでよければ来て下さい」というプロポーズの言葉は素敵ですが、その前の「僕はからだもあたまもあまり上等に出来上がつてゐません。(あたまの方はそれでもまだ少しは自信があります。)」も謙虚すぎて可愛いですね。
#求婚の日
193
友人に「もうツイッターで(笑)を使わない方がいいよ。古いから」と言われましたが、芥川龍之介が(笑ふ。)と書いているのだから(多少違いますが)、大丈夫だと思います。
194
今日は谷崎潤一郎の命日です。三島由紀夫は「これだけの作家が亡くなれば、国家が弔旗をかかげてもいいし、国民が全部黙祷してもいいんじゃないかと思いますがね」と語りました。谷崎にも桜桃忌・河童忌のような作品由来の文学忌がほしいですね。「刺青忌」「春琴忌」など皆さんも考えてみてください。
195
196
菊池寛は「漱石全集は文学に志す人、文学を愛読する人は一度は読んで置くべきだ」とした上で、「漱石、白鳥、秋声の作を読まずに月々出る雑誌の創作欄ばかり読んでゐるやうな人は結局つまらぬ文学青年でしかあり得ない」と断じています。漱石と並べて白鳥、秋声の名前を挙げるところが興味深いですね。
197
198
今日、さいたま文学館を訪れ、永井荷風の机に懐かしむように触れていた高齢の女性は、17歳の時、荷風と浅草の蕎麦処「尾張屋」で会ったそうです。そこの店主が教えてくれました。「いつもストリップの帰りに来るんだよ」と。ちなみに彼女は神保町に住み、なんと古本屋の娘。ドラマのような話ですね。
199
横光利一によれば、芥川龍之介は「逢ふと必ず志賀直哉を賞めてゐた人」だったそうです。太宰治が志賀の批判に過剰な反発を示した一因は、敬愛する芥川が一目置くほどの人物だからこそ、認めてほしいという思いの裏返しでしょう。「二行でもいいから讃めて貰へばよかつた」井伏鱒二の志賀への言葉です。
200
今日6月13日は太宰治の命日です(戸籍上は14日死亡)。命日よりも遺体発見日(桜桃忌の19日)の方が有名なのは、世の中で太宰くらいでしょう。しかも19日は彼の誕生日。郷里では生誕祭も行われますが、墓前でも供養と共に「おめでとうございます」と言ってあげたいです。