初版道(@signbonbon)さんの人気ツイート(リツイート順)

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芥川龍之介によれば、ロシア人のエリセーエフ(後に日本文学などのハーバード大学教授)が夏目漱石に「庭に出た」と「庭へ出た」の違いを尋ねたら、「先生は、俺も分らなくなつちやつたと言つて居られた」とのこと。「分らなくなつちやつた」とは、漱石先生、なんとも可愛いらしい表現ですね。
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今日は夏目漱石の命日です。漱石は教職を辞め作家活動に専念する少し前に、「百年の後百の博士は土と化し千の教授も泥と変ずべし。余は吾文を以て百代の後に伝へんと欲するの野心家なり」と森田草平に書いています。そして土や泥はともかくとして、百年の時を経て彼の野心は確かに実現したのでした。
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今日は織田作之助の誕生日です。画像は太宰治・坂口安吾との鼎談「歓楽極まりて哀情多し」のラストの会話(初出雑誌『読物春秋』より)。話が支離滅裂になり、編集部が「今日はこのへんで、どうも」と打ち切っています。この後、3人は銀座のバー「ルパン」に行き、あの有名な写真を撮ったのでした。
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今日は芥川龍之介の命日ですが、ここでは谷崎潤一郎の生誕135年を祝います。近代文豪数多くあれど、「豪華絢爛」という言葉が谷崎ほど相応しい作家はいないでしょう。「谷崎潤一郎氏は現代の群作家が誰一人持つてゐない特種の素質と技能とを完全に具備してゐる作家なのである。」永井荷風の言葉です。
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書斎で振り向く芥川龍之介。狂気を孕んだ目だと感じてしまうのは、彼の悲劇を知る者の先入観でしょうか。
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芥川龍之介はヘビースモーカーで、最もお気に入りの銘柄は、中原中也や太宰治も好んだゴールデンバット。箱に印刷されたSWEET & MILDから「吸うと参るぞ」とダジャレも。妻によれば 「煙草がなければよい考も出ない」と語っていたそうです。愛煙家が肩身の狭い現代に生まれなくてよかったと思います。
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雑誌の口絵に登場した谷崎潤一郎(大正10年)。天才で、しかもハンサム。羨ましい限りです。
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墓の名前を書いた人(前編) 芥川龍之介→小穴隆一、石川啄木→宮崎郁雨、泉鏡花→笹川臨風、岩野泡鳴→本人、上田敏→岡田正美、尾崎紅葉→巌谷一六、梶井基次郎→中谷孝雄、川端康成→東山魁夷、国木田独歩→田山花袋、斎藤茂吉→本人、志賀直哉→上司海雲、島崎藤村→有島生馬、田山花袋→島崎藤村
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「猫の日」の画像はやはりこちら。夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』上中下編初版本の表紙・カバー・扉・挿絵・カットなど猫尽くしです(上編は8版から中段左の異装カバーとなります)。 #猫の日
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英語教師芥川龍之介は「歯切れの好い発音ですらすらと、自然なアクセントで読んで、さて講義にかゝる。時々芸術的な訳方をしたり、拙訳と巧訳との例を対照して、全く生徒をチャームしてしまふ。休みの時間には文学好きな生徒に取巻かれて、芸術談をやる」とのこと。夏目漱石より楽しそうな先生ですね。
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太宰治に師事した作家小野才八郎によれば、「太宰治が三島由紀夫を殴ったと、なんとかいう雑誌のゴシップ欄で読みましたけど、本当ですか」と尋ねたら、太宰は「ばか。おれが暴力を振うかい。ただ、こう言ってやったんだよ。『お前のパンツ汚いぞ』って」と答えたそうです。面白すぎて信じられません。
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「初版本、初版本」と騒いで(?)いるのは、初版本に関心を抱く人が激減し、絶滅危惧種だからです。読書は文庫本でも電子書籍でもできるし、安価で手軽に読めることは非常に重要でしょう。しかし作者が心血を注いだ作品を本として初めて世に送り出した初版本も、後世に残るべき大切なものだと思います。
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川端康成は「日本の小説は源氏にはじまって西鶴に飛び、西鶴から秋聲に飛ぶ」と語りました。前段は菊池寛の言葉の引用で、後段が川端のオリジナル。秋聲をいかに高く評価していたかわかります。ちなみに「西鶴から」を受ける作家として、川端はもう一人の候補者を挙げています。谷崎潤一郎です。
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今は昔、売り出し中のIT企業経営者とラジオ番組で対談し、彼が「紙の本はあと10年もしたら絶対に消えます」と言ったので、「いや、50年後にも必ず出版されています」と応じました。それから約30年。もちろん紙の本は健在です。20年後も同じでしょう。そして皮肉にも、消えたのは彼自身だったのでした。
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室生犀星は毎年早春になると、泉鏡花に軽井沢のウドとワラビを送っていましたが、必ず電報でお礼状が来て、翌日には虎屋の羊羹が届いたそうです。いかにも鏡花らしい律義さに、同郷の後輩である犀星は恐縮したとか。それにしても、昔も今も虎屋は大したものであります。
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谷崎潤一郎は北原白秋の雑誌追悼号で、「もう十年、氏を盲目の世界に生かして置いたら、どんな境地まで進展したであらうかと思つて、それを限りなく惜しむのみである」と語っています。追悼文としてユニークなこと他に比類なく、さすがは「春琴抄」の作者としか言いようがありません。
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久米正雄が撮影した芥川龍之介のあまり目にしない写真です(大正11年8月)。避暑のために久米が借りた鎌倉の家を訪ねた時の姿で、女性は小島政二郎の婚約者。芥川は水着を着ているのかと思いましたが支那服とのこと。もっと面白い写真もあったそうですが、百年以上経てば、これでも十分楽しめます。
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芥川龍之介は海軍機関学校教官時代に「いまごろ、ヨーロッパでは、ばかなことをしているだろうな?」と呟き(第一次世界大戦)、理由を尋ねた生徒に「君には、それがわからんのか?人殺しをやってることがばからしいことなのだよ」と。130回目の誕生日の今日もロシアの為政者にそう言っているでしょう。
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川端康成が16歳の娘と同棲するために、親しくもない菊池寛に仕事の紹介を依頼したら、洋行を間近に控えた菊池は詮索もせず、家賃と生活費を援助した上で、「君の小説は雑誌に紹介するやうに芥川によく頼んでおいてやる」と。菊池のずば抜けた面倒見のよさと、芥川への信頼がうかがえるエピソードです。
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昭和2年、芥川龍之介は谷崎潤一郎に森鷗外の『即興詩人』重版本を贈りました。谷崎が神戸の古本屋で買いそびれたのを聞いたからで、「初版でなくつてもよござんすかね」と確認したそうです。芥川の死後、谷崎はそれが形見分けだったと気がつきます。両文豪が手にした『即興詩人』の行方は存じません。
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太宰治の作品中の「天国」 「私には天国よりも、地獄のほうが気にかかる。」『佐渡』 「天国へ行くか地獄へ行くか、それは神様まかせだけれども、ひょっとしたら、私は地獄へ落ちるかも知れないわ。」『貨幣』 「地獄は信ぜられても、天国の存在は、どうしても信ぜられなかったのです。」『人間失格』
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「初版本で読む名作の書き出し」芥川龍之介『羅生門』、志賀直哉『城の崎にて』、梶井基次郎『檸檬』、太宰治『人間失格』です。残念ながら、画像ではインクの匂いや紙の手触りはわかりませんが、活字やふりがなの違いなどを意識しながら読んでいただけたらと思います。
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小林秀雄は太宰治没後の正宗白鳥との対談で、「太宰つていう人はバカじやありません。ヒステリイです。バカとヒステリイは違いますからなあ。ヒステリイにはヒステリイの智慧がある」と語りました。小林は太宰に中原中也と近いものを感じていたのではないか、これを読むたびにそう思ってしまいます。
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太宰治が青森中学時代に主宰した超稀覯雑誌『蜃気楼』12冊揃いが山梨県立文学館に収蔵、公開されます。他に現存確認は日本近代文学館の2冊のみ。なかなか終の棲家が決まらず、行方不明のリスク回避のため一時は自分で買おうかと思ったけれど、担当者の熱意が実を結びました。太宰ファンは必見です!
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芥川龍之介の家の手伝いをしていた森梅子によれば、芥川は死の前日の7月23日、「三年ぶり」という客2人と自宅で夕食を共にしたそうです(10時半頃帰る)。芥川が酒を飲み「大変元気にお話し遊ばされ」たという2人は名乗り出ておらず、いまだに特定できません。最後の晩餐での会話の内容が気になります。