初版道(@signbonbon)さんの人気ツイート(リツイート順)

426
泉鏡花は自作が映画化(無声)された時、試写室で「あッ、あの字は違っている」「また違っている」と字幕の誤字にばかり気を取られて、映画の内容をほとんど記憶していなかったとのこと。伝聞を記したものですが、文字に厳しかった鏡花ならありそうな話だと思います。
427
夏目漱石は、卒論の口述試験が不出来だった森田草平に「口述試験に惨憺たるものは君のみにあらず」「試験官たる小生が受験者とならば矢張りサンタンたるのみ」「多数の人は逆境に立てば皆サンタンたるものだ」と書いています。落ち込んでいる時にこんな手紙を先生から貰ったら、泣いてしまいそうです。
428
谷崎潤一郎が永井荷風と夜の街を散歩している時、荷風は有島武郎の心中について「こんな詰まらない死に方はないな、私ならどんなことがあつたつて、決してこんなことで死にはしないな」と語ったそうです。なるほど荷風に情死は似合いませんね。谷崎も「この言葉には故先生の面目が躍如」としています。
429
泉鏡花や三島由紀夫の小説を読むと、難解な言葉を駆使した豪華絢爛な文章に目を奪われます。しかし語彙が豊富なだけで名文が書けるわけではなく、やはりプラスアルファが必要なようです。「文章の中にある言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加へてゐなければならぬ。」芥川龍之介の言葉です。
430
坂口安吾は「日本文学は貧困すぎる。小説家はロマンを書くことを考へるべきものだ」とし、「小説は、たかが商品ではないか」とドキッとするようなことも。しかし続きを読めば、彼の真意が伝わってきます。「そして、商品に徹した魂のみが、又、小説は商品ではないと言ひきることもできるのである。」
431
何か新しいこと、難しいことに挑戦しようとする時、自分にできるのだろうかと不安になるのは当然でしょう。でもそれで躊躇し、止めてしまうのは勿体ないと思います。「人間は自分に何んな事が出来るか、自分の力といふものは、実際に遣つて見なければ自分でも分るものではない。」夏目漱石の言葉です。
432
山の上ホテル内コーヒーパーラー「ヒルトップ」の極上「タルトタタン バニラアイス添え」です。アイスが別添えのタルトタタンが多いけれど、こちらは温かいりんごのタルトケーキの上に、生クリームに覆われた冷たいバニラアイスが乗っていて、その絶妙な触感と味に陶酔します。
433
太宰治は子どもの頃から読書好きだったけれど、兄によれば滅多に人前では読みませんでした。ところが疎開で帰郷した時は、人目を憚らず一心不乱にすごい勢い(人の3倍くらいの速さ)で読んだそうです。若い頃ほど一人で読書をしたいのは、気が散るとかいう問題ではなく、自らを顧みてよくわかります。
434
「真夜中に 格納庫を出た飛行機は ひとしきり咳をして 薔薇の花ほど血を吐いて 梶井君 君はそのまま昇天した 友よ ああ暫らくのお別れだ…… おっつけ僕から訪ねよう!」(三好達治「首途」)   かつて梶井が葡萄酒だと言って渡したコップを満たす喀血。それが薔薇の花の原風景だったのかもしれません。
435
北村透谷の伝説の第一詩集『楚囚之詩』(明治22年)と劇詩『蓬莱曲』(明治24年)の初版本です。この『蓬莱曲』は存在が知られている署名本2冊の内の1冊で、宛名は雑誌『文学界』の盟友戸川残花。もう1冊(勝本清一郎旧蔵本)の所在は存じません。『楚囚之詩』の署名本は、恐らく元々なかったと思われます。
436
太宰治の最後の机辺に遺された6冊と同じ本を、三鷹市に寄贈します。高い本はありませんが、同じ版で揃えるのは結構大変です。太宰治展示室の書斎に置き、来場者が自由に触れられること、という厄介な寄贈条件を快諾していただきました。太宰旧蔵書に付いていない帯の扱いについてはお任せしましょう。
437
井伏鱒二によれば、関東大震災の時「菊池寛は愛弟子横光利一の安否を気づかつて、目白台、雑司ヶ谷、早稲田界隈にかけ、『横光利一、無事であるか、無事なら出て来い』といふ意味のことを書いた旗を立てて歩いた」そうです。事実かどうかは不明ですが、菊池が横光に対してならば、あり得る話でしょう。
438
さいたま文学館の責任者から元ツイートの削除を求められ一蹴しました。不都合な事実なのでしょうが、言論封殺の愚行に屈する人間ではありません。誤植ではない図録奥付の1行5文字を削除するのに、修正の貼付では足らず印刷し直すのはなぜなのか。『国語教科書の闇』の次は『文学館の闇』を書こうかな。 twitter.com/signbonbon/sta…
439
芥川龍之介は与謝野晶子に「奥さん、私は平凡な女の最初の良人になるより、秀れた女の十一人目の恋人になる事を望みます」と語りました。なぜ「十一人目」なのかは不明です。『みだれ髪』の大歌人を「奥さん」と呼ぶのは違和感を覚えますが、夏目漱石も手紙で「与謝野の細君」と。そういう時代でした。
440
明治45年4月13日、石川啄木危篤の報を受けた若山牧水は急ぎ駆け付けました。啄木は牧水の顔を見つめ、かすかに笑ったそうです。啄木が最も心を許した歌人は牧水だったはずだから、彼に最期を看取ってもらえたのは幸せでした。後年、牧水は啄木の故郷を三回訪問。盛岡には二人の友情の歌碑があります。
441
梶井基次郎は大正14年、友人と武者小路実篤を訪ね、「檸檬」収録の『青空』創刊号を贈呈しました。実篤は上機嫌で応対し、帰り際に「他に用はなかったの」とやさしく尋ねたそうです。梶井たちが推測したように、金の無心を言い出しかねていると慮ったのでしょうか。人柄が滲み出た良い話だと思います。
442
萩原朔太郎と萩原恭次郎は同郷・同窓・同姓の詩人でした。しかも「太郎と次郎」ですが、血縁関係はありません。朔太郎は恭次郎を「芸術的兄弟」と語り、恭次郎は朔太郎を終生敬慕しつつ異なる詩風を志向しました。『月に吠える』無削除版と『死刑宣告』の初版本が並んだ画像はこれが世界初(笑)です。
443
一昨年の「太宰治展」で来場者にプレゼントした『人間失格』初版本30冊の内の20冊です。「プレゼントするために買った」のではなく、何となく買っていたら増えてしまいました。でも役に立つ日が来たからよかったと思います。今は帯付本が7冊残っているだけです。 #何で同じ本を何冊も買うの
444
散歩中に麦のリードが外れ、一人で走り出しました。まだ生後5か月で家の場所はわかりません。慌てて追ったら転んで足を負傷。痛みに耐えて起き上がろうとした時、麦が振り向き駆け寄ってきて、「どうしたの?大丈夫?」という顔で飛びついてきました。どんな初版本を手に入れた時よりも嬉しかったです。
445
芥川龍之介が亡くなった昭和2年に全国各地で開催された追悼講演会の入場券です。場所は愛知県岡崎市。錚々たるメンバーですね。ちなみに、こんなものまで蒐めているのは、漱石と鏡花と芥川と賢治と太宰だけであります。
446
坂口安吾は太宰治の文学の本質を実によく見抜いていました。「自ら孤独をいたはることは文学ではない」「太宰は文章家としてのカンと、やはり戯作者だといふ点・・・彼は戯作者稟質を持つ、僕はそこを買つてる」「彼の小説には、初期のものから始めて、自分が良家の出であることが、書かれすぎてゐる」
447
菊池寛『真珠夫人』前後編2冊揃いの初版本を新たに入手しました。これだけコンディションの良い本は久しぶりの登場。『真珠夫人』は、今では菊池の本で一番人気になったようです。理由は言うまでもありませんね。
448
萩原朔太郎「月光と海月」(『純情小曲集』所収)チョコレート(クラゲから抽出したコラーゲン入、EYECON SHOP)です。文字は銀座の中村活字による金属活字(明朝)組版の清刷を使用、銀色のアルミには活版印刷(空押し)という凝りよう。一口でチョコの美味しさと朔太郎の詩の素晴らしさが同時に楽しめます。
449
フォロワーさんにプレゼントした芥川龍之介の初版本が、台風19号により水没してしまったそうです。大切にされていたようで嘆き悲しみが深く、少しでも慰めになればと願い、後日同じ本を差し上げることにしました。改めて、天災や戦災を免れて現存している書物のありがたさを感じないではいられません。
450
今日は武者小路実篤の誕生日です。実篤を始め志賀直哉・谷崎潤一郎などは、 当時の平均寿命を遥かに超えて生き、近代文学史に大きな足跡を残しました。いつの時代も、芥川龍之介・中原中也・太宰治など若くして亡くなった作家に人気は集まりがちですが、天寿を全うした誠にあっぱれな人生であります。