初版道(@signbonbon)さんの人気ツイート(リツイート順)

401
今日は北原白秋の誕生日です。白秋は萩原朔太郎や室生犀星などに影響を与えただけでなく、自ら主宰する雑誌に作品発表の機会を与えた点でも日本の近代詩発展に大きな貢献をしました。夏目漱石がいなくても芥川龍之介は登場したと思いますが、白秋なくして朔太郎も犀星も生まれなかったかもしれません。
402
太宰治は「文学賞を与へるとすれば」というアンケート(昭和11年)で『梶井基次郎小説全集』を挙げるほど高く評価していました。ちなみに太宰の小説「鷗」(昭和15年)で「梶井基次郎などを好きでせうね」と聞かれた主人公は、「このごろ、どうしてだか、いよいよ懐かしくなつて来ました」と答えています。
403
芥川龍之介と室生犀星(大正13年、軽井沢)。芥川の眼がちょっと怖いです。
404
桜桃忌に相応しい雨模様の中、三鷹に行かれている方は、ぜひ太宰治文学サロンにもお立ち寄りください。明日までの特別企画を開催中です。写真撮影も自由。画像は展示されている全署名本7冊です。
405
谷崎潤一郎の『人魚の嘆き』(大正6年、春陽堂)初版無削除本に異装版が出現しました。表紙が白色でタイトルと著者名の書体が異なります。この版は、初版削除本と重版本(共に挿絵2枚)の存在は知られていたものの、挿絵が4枚揃った初版無削除本は初登場。『人魚の嘆き』は拘ってきた本だけに嬉しいです。
406
芥川龍之介は夏目漱石の死の直後「僕一身から云ふと、外の人にどんな悪口を云はれても先生に褒められゝば、それで満足だつた。同時に先生を唯一の標準にする事の危険を、時々は怖れもした」と。「センセイキトク」の電報をもらい「歓びに近い苦しみを感じてゐた」(『或阿呆の一生』)を思い出させます。
407
二葉亭四迷の妻によれば、夫が船中で亡くなった時、遺体の枕の下から「遺族のことをよろしく頼みます」と書かれた坪内逍遥宛の手紙が出てきました。逍遥はすぐに内田魯庵と遺稿集『二葉亭四迷』を編纂し、鷗外・漱石・露伴・藤村らが執筆。彼は以後も遺族をサポートし、二葉亭の願いに応えたのでした。
408
今日は芥川龍之介の命日です。今年の東京は、桜桃忌も河童忌も晴天となりました。ちなみに昭和2年7月24日も日曜日でした。 twitter.com/signbonbon/sta…
409
太宰治は「新しいということは文学のいのちです。そして真に新しい作品は、どんなに年月がたっても、少しも古くはならないものです」と語ったそうです。発表から70年以上経っても、全く古くならない『人間失格』を書いた作者の言葉だけに、盤石の重みがあると思います。
410
太宰治の友人の作家中村地平によれば、太宰は志賀直哉と谷崎潤一郎を比較した議論で「もちろん志賀さんがいい」と。また何度も志賀を褒めていたのを聞いたとも。「志賀さんの素朴は太宰の感傷を認めようとしなかつた。そこに太宰の不満があつた」という中村の意見は、正鵠を射ているのかもしれません。
411
三島由紀夫は大蔵省勤務時代に大臣の演説の草稿を書き、課長に文章が下手だと言われ、上司が根本的に直した文章は「感情や個性的なものから離れ、心の琴線に触れるやうな言葉は注意深く削除され」ていたそうです。三島が早くに大蔵省を辞めたことは、日本の近代文学にとって誠に幸運だったと思います。
412
今日は夏目漱石の155歳の誕生日です。明治は遥か遠くになりましたが、今でも漱石の作品は年齢性別を問わず多くの人々に愛されています。綺羅星の如き近代作家の中でも、漱石ほど国民作家という言葉にふさわしい文学者を他に知りません。これからもこの国がある限り、永遠に読み継がれていくでしょう。
413
「佐藤春夫は詩人でもない小説家でもない、その中間の変なもの。それでも現文壇では一番好いのだ・・・」中原中也が日記に残した言葉です。芥川にも谷崎にも書けない中也ならではの表現だと思います。
414
太宰治の展覧会は、一昨年「没後70年」、昨年「生誕110年」と銘打って開催されました。今年は「生誕111年」が大義名分。これは漱石や芥川でもなかったことですが、太宰は迷惑ではないでしょう。「太宰君は、自分がピエロで周囲をにぎやかにして人を喜ばすことが好きであった」(井伏鱒二)そうですから。
415
徳田秋聲は泉鏡花の没後、文豪の初期の作には幼稚なものも多いが、鏡花は例外で、「しかも其の天分は老年に迨んでも涸渇しなかつたのである。この点から言へば確かに天才だと言へる。」と讃えました(「天才泉鏡花」)。一度は絶交した同門の秋聲に褒められたことが、泉下の鏡花は嬉しかったでしょう。
416
芥川龍之介は「今までよく皆に悪く云はれた小説で先生にだけほめて頂いたのがありますさう云ふ時には誰がどんな悪口を云つても平気でした先生にさへ褒められればいいと思ひました」と手紙に書いています。「先生」はもちろん夏目漱石、宛先は鏡子夫人です。こんな風に思える先生と出会いたかったです。
417
最近「自己肯定感」という言葉をしばしば耳にしますが、「自尊心」との違いがよくわかりませんでした。近代文学にも詳しい心理学者に尋ねたら、英語を交えて説明した後で「例えば太宰治は自尊心は強いけれど、自己肯定感は低いわけです」と。そうなのでしょうか。不慣れな言葉は使わないことにします。
418
芥川龍之介は小学生の時、「可愛いと思ふもの」と「美しいと思ふもの」を「象」と「雲」と答えたら、「雲などはどこが美しい?象も唯大きいばかりぢやないか」と先生が×印が付けました。正解がない問題こそ、教師は子供の自由な発想を否定しないでほしいものです。先生は忘れても、子供は覚えています。
419
中原中也は初対面の横光利一に「僕はあなたに注告をしますが、あなたはもう人と逢はずに街の中へ越して来なさい。そして、電話をひいてときどき話をするやうにしませんか」と言い、横光は「この詩人はこれはただの詩人ではない」と思ったそうです。確かに、ただの詩人でなかったのは間違いありません。
420
森鷗外に傾倒していた太宰治は、無名時代の昭和10年、「鷗外の作品、なかなか正当に評価されざるに反し、俗中の俗、夏目漱石の全集、いよいよ華やかなる世情、涙いづるほどくやしく思ひ」と『東京日日新聞』に書きました。後年になって漱石も評価していますが、「俗中の俗」とは思い切った物言いです。
421
漱石や芥川や太宰や三島を小学生の時から読み始めて、本当によかったと思います。もちろん大人になれば内容の理解は深まるけれど、みずみずしい感性で読めるのは若い時だけです。子どもの頃に出会いたかった作家・作品も少なくありません。だから若い方には興味のある分野の本を沢山読んでほしいです。
422
芥川賞作家の西村賢太さんが死去されました。初めて会ったのは30年以上前。神保町の古本屋太秦文庫(店主が玉英堂書店の先輩店員)でした。その後、西村さんが始めた古本屋「野狐書房」の目録に必ず出品協力をしたものです。時折見せる人懐っこい笑顔が忘れられません。心よりご冥福をお祈りいたします。
423
川端康成は、ある人物の作品を鑑賞し「私は遂に恐るべきものを見た。現代の日本に我々と共に生ける天才を見た」と絶賛しました。芥川龍之介?太宰治?三島由紀夫?違います。正宗白鳥です。もっとも「白鳥氏は邪神の眼鏡をかけてゐる。天才の業と云ふ外はない」そうだから、何だかよくわかりません。
424
中島敦「山月記」の初出単行本『光と風と夢』(昭和17年、筑摩書房)初版本より冒頭ページ。戦時下のため紙は粗悪ですが、これもまた初版本の醍醐味だと思います。『舞姫』『心』『羅生門』と並ぶ高校国語教科書の定番小説になったことを教師だった彼が聞いたら、どんな感想を漏らすのでしょうか。
425
芥川龍之介は、取材記者が「雑誌の〆切が今日なんで、是非かういふ問題でー」と切り出したのに対して、「僕は、雑誌のことなんてどうでもいいんだけれども、君のために話しませう」と語ったそうです。面と向かってこんなことを言われたら、どんな記者でも芥川の信奉者になってしまうでしょうね。