初版道(@signbonbon)さんの人気ツイート(リツイート順)

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太宰治の墓前で自殺を図り亡くなった田中英光の第一小説集『オリンポスの果実』の初版本(昭和15年、高山書林)。帯は超ウルトラ珍しいです。英光はボートのオリンピック選手だったので、表紙の上部に五輪マークがあります。太宰の序文を読むと、文才は小説のみではなかったことが、よくわかりますね。
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今日2月17日は、梶井基次郎の誕生を祝うもよし、命日の坂口安吾を偲ぶのもよいでしょう。しかし文豪森鷗外の誕生日(新暦)であることも、どうぞお忘れなく。
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今、目の前に調査の依頼を受けた太宰治直筆の新出資料があります。80年以上前に書かれ、もちろん全集未掲載です。お酒を飲むよりもサウナに行くよりも、こういう物を見ている方が一日の疲れが飛んでいくのはおかしいでしょうか。いやきっと、このアカウントをご覧の皆様はわかってくださると思います。
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谷崎は食べるのが速いので、よく煮たもの以外箸をつけない鏡花は鍋の中に仕切りを置き「君、これは僕が喰べるんだからそのつもりで」と。しかし谷崎は忘れ、鏡花が「あツ君それは」と言っても間に合わず。その時の鏡花の情けない顔つきが可笑しくて、谷崎はわざと食べてしまったことも。悪い奴ですね。
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芥川龍之介(の文学)が好きな人の中には、太宰治(の文学)は嫌いという人も結構いますが、太宰は好きで芥川は嫌いという人は少ない気がします。太宰は芥川が好きだったけれど、芥川は太宰を知らなかった(だから好きも嫌いもない)ことが影響しているのでしょうか。ちなみに二人とも好きです。
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太宰治・坂口安吾・織田作之助の作品が掲載された『現代文学』昭和18年新年号「特輯 傑作短篇二十人集」です。いわゆる無頼派三羽烏の作品が揃って登場する雑誌は、恐らくこれしかないと思います。
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雑誌に掲載されたツーショットの写真に抗議する室生犀星と萩原朔太郎。犀星は「まるで下駄が眼鏡をかけてゐるやうだ」「僕は人一倍つらを気にする男だ」と憤慨し、朔太郎も「特に室生君のはヒドい」と援護しました。ちなみに抗議文と同じ号に載った2人の顔(両端、佐藤惣之助撮影)はよく見えません。
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明治時代に書かれた泉鏡花の新出の俳句が、令和になって大量に見つかるのだから、くどいようですが日本近代文学は眠れるお宝がまだまだ山のようにあります。発掘するのは皆さんかもしれません。
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萩原朔太郎は堀辰雄に「自分は怪談と云ふものを好まない。ちつとも怖いと思つたことがない。しかし、さう云ふ怪談にエロチツクな要素が這入つてくると、それが妙に怖くなり出す」と語り、『牡丹燈籠』を好みました。朔太郎が江戸川乱歩の作品を愛したのも「エロチツクな要素」が一要因かもしれません。
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伊藤左千夫『野菊の墓』の初版本(明治39年、俳書堂)です。発表当時、左千夫は無名でしたが、流石に具眼の士である夏目漱石は絶賛しました。初版は日本近代文学館が復刻原本を探すのに苦労したほど極稀。しかも破損・褪色しやすい装丁です。恐らくこれが現存する最善本でしょう。
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芥川龍之介は室生犀星について、「僕を僕とも思はずして、『ほら、芥川龍之介、もう好い加減に猿股をはきかへなさい』とか、『そのステツキはよしなさい』とか、入らざる世話を焼く男」だが、「僕には室生の苦手なる議論を吹つかける妙計あり」と書いています。「僕を僕とも思はずして」がいいですね。
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芥川龍之介「僕の佐藤春夫評は当てにならん、概して佐藤の書いたものを悪かつたと思つたことは稀だからな。」田山花袋「そんなに好いですか。」芥川「ちよつと気持ちが贔屓なのですね、だから公平な判断は外の人から聞いた方が好いかも知れない。」これを読んだ春夫は、さぞかし嬉しかったでしょうね。
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【初版本で読む中原中也の詩】 「サーカス」「汚れつちまつた悲しみに・・・」(『山羊の歌』より)、「一つのメルヘン」(『在りし日の歌』より)です。すべて知っている方も多いのでしょうね。「初版本で読むと詩の内容まで良くなる。」中也と並び称される抒情詩人立原道造の言葉です。
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中原中也の誕生日にあたり、誰も言及したことがないであろう細かすぎる情報をひとつ。『山羊の歌』の署名本を見ると、ほぼ全ての本で献呈署名の対抗ページに文字が映っています(画像参照)。これは明らかに墨が乾く前に本を閉じたからで、もしかしたら中也は少しせっかちだったのかもしれませんね。
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「だまされる人よりも、だます人のはうが、数十倍くるしいさ。地獄におちるのだからね。」(by太宰治) 太宰の言う「地獄」は来世のそれではなく、「生き地獄」のことなのかもしれませんね。
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芥川龍之介の死を悼む名言はたくさん残されていますが、個人的には菊池寛の弔辞や泉鏡花のコメントと並んで、広津和郎の言葉が胸を打ちます。「芥川は、死ぬ時、兜のなかに香を入れておくやうな心がけの男であつたなあ・・・やつぱり、芥川は、ういやつであつたなあ・・・」
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かつて芥川也寸志さんと会った時「お父さんもこの声に近かったのかな」と思いました。龍之介は「低く静かな、それでいて力強く、たくましいとさえ言ってよい声」「名鐘の余韻に近いような声」だったという証言があります。個人的には、漱石芥川賢治中也太宰が、肉声を聴きたかった近代作家五人衆です。
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『若菜集』『みだれ髪』『一握の砂』『道程』『月に吠える』『春と修羅』『山羊の歌』等々、第一詩歌集に名著が多いのは、たとえ思想的に、あるいは技巧的に未熟であっても、その1冊に青春のすべてを賭けた著者の思いが、読者の胸に響くからでしょう。又だからこそ、その初版本が欲しくなるのです。
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あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。さて令和4年は寅年。近代文学で虎と言えば、すぐに思い浮かぶのは中島敦『山月記』でしょう。ちなみに今年は『山月記』発表から80年にあたり、中島没後80年(与謝野晶子・北原白秋・萩原朔太郎も)です。色々と催しもあると思います。
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太宰治の初版本に関する嬉しい新発見のお知らせをいただきました。間違いなく、この情報で日本一興奮するのは自分なのですが、太宰ファンであれば誰でも喜んでくださるでしょう。今月中に発表があると思います。どうぞお楽しみに!
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芥川龍之介の中国旅行送別会の写真(大正10年3月9日、上野精養軒)。芥川が挨拶をしている貴重な写真ですが、あまり見ないのは顔がぼやけているからでしょうか。しかしよーく見ると、目や鼻が微かにわかります。そして注目は芥川の向かって右隣。卓上の花の向こうに顔だけ見える久米正雄であります。
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中学生の時、作文で一生と生涯の両方を使ったら「同じ意味の言葉は一つにしなさい」と先生に言われました。そこで「三島由紀夫は2.3行ごとに同じ言葉が出てこないように注意して「病気」と書いたら次に「やまひ」と書こうとしたそうです」と話したら「お前は三島ではないだろ」と。残念な先生でした。
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三鷹市の「太宰治展示室」に行ってきました。限られたスペースなのに、予想をはるかに超えるクオリティの高さでした。これをきっかけに、今度こそ太宰治記念館ができることを願います。なお、ささやかな寄贈を申し出たので、いずれ書斎を再現した部屋で、皆さんに手に取っていただけるかもしれません。
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大学生の時、読書家だった友人が急に本から離れたので理由を尋ねたら、「1日1冊読破という目標を達成しようとするあまり、本を読むのが楽しくないを通り越して、苦痛にさえなってしまった」と。何事も目標がノルマに変わってはいけないということでしょう。
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室生犀星は早くに太宰治を評価していた作家の一人でした。『虚構の春』について「人を莫迦にした作品だといふ人もゐたが」「萩原朔太郎氏の初期の詩も北原白秋氏の『邪宗門』もともに当時にあつて変梃子な風変わりなものであつた」と。昭和11年になっても朔太郎と白秋を例に挙げるところが犀星ですね。