初版道(@signbonbon)さんの人気ツイート(リツイート順)

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永井荷風はフランスから帰国後「日本に帰つて先ず感ぜられるのは、亜米利加や仏蘭西などの生活状態に比べて、我国の其れは、如何にもセカセカして余裕もなければ、趣味にも乏しいと云ふ事だ」と書いています。もし今、荷風が蘇ったら、21世紀になっても日本は殆ど変わっていないと嘆くかもしれません。
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芥川龍之介の法要(昭和9年7月24日) 1列目左から菊池寛・徳田秋聲、1人おいて佐藤春夫・内田百閒、1人おいて長男比呂志・文夫人。3列目左から2人目三好達治・堀辰雄です。場所は芥川馴染みの田端自笑軒。遺徳を偲ぶ人々が集まりましたが、萩原朔太郎と室生犀星の不在が惜しまれます。
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さいたま文学館の特別展「永井荷風」(明日スタート)の図録が完成しました。しかし県の役人から奥付の表記について不思議な指摘を受け、印刷をやり直し、当面は修正紙を貼って販売するそうです。即ち無削除版・削除修正版・改訂版の3種類の図録が存在するわけで、誠に荷風展に相応しい話ではあります。
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武者小路実篤は夏目漱石と親しく交流していましたが、あることを契機に疎遠に。しかし漱石死去の報に「本当にがつかりした」実篤は、滅多に行かない葬式に参列しました。「僕は今でも夏目さんのことを思ふと、何となく愛されてゐたような温い気持ちを受ける。」実篤らしい、漱石没後23年目の言葉です。
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今日は中原中也の誕生日です。昭和2年4月29日の中也の日記には「幼時より、私は色んなことを考へた。けれどもそれは私自身をだけ養ったことで、それが他人にとっては何にもならないことを今知ってる。あゝ歌がある、歌がある!進め。」と。或いは二十歳になった中也の決意表明だったのかもしれません。
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『人間失格』で「何か面白い本が無い?貸してよ。」と頼まれた主人公は、「漱石の『吾輩は猫である』といふ本を、本棚から選」んでいます。原稿を見ると、最初に「本棚から出」と書いた跡が。恐らく中学時代の太宰の本棚にもあったのでしょうね。尊敬した芥川の師漱石とのささやかな接点です。 #猫の日
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泉鏡花は日本でラジオ放送が始まった大正14年に出演しています。鏡花曰く「どうもあの器械の前に立つと、声が吸ひとられて了ふようでうまくゆかぬ、やつぱり腹から声を出さず、咽喉から声を出すのでいかんらしい。」この時の写真を見ると少し緊張しているようですね。残念ながら音声は残っていません。
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谷崎潤一郎は泉鏡花の文学を「しばしば異常な物や事柄が扱はれているにも拘はらず、そこには何等病的な感じがない。それは時として神秘で、怪奇で、縹渺としてはゐるけれども、本質に於いて、明るく、花やかで、優美で、天真爛漫でさへある」、そしてその世界は純粋に「日本的」だと。全く同感です。
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谷崎潤一郎は弟精二と絶縁状態にあった時、彼の妻の告別式に参列し、手紙の往復が復活しました。「他人でも、兄弟でも、喧嘩をしたらまづ目上の方から折れて出るものです。君もよく覚えておきなさい。」精二の早稲田大学での上司吉江喬松の言葉です。喧嘩の理由にもよるけれど、よい言葉だと思います。
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島崎藤村と北原白秋。『思ひ出』によれば、白秋は実家の火災の折「泥にまみれ表紙もちぎれて風の吹くままにヒラヒラと顫へてゐた紫色の若菜集をしみじみと目に涙を溜めて何時までも何時までも凝視めてゐた」そうです。時に詩王16歳。後に憧れの人藤村と会う日が来るとは、思ってもいなかったでしょう。
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三島由紀夫は「率直に申し上げますと」とか「正直に言わせてもらえれば」といった前置きが嫌いでした。「一言のいつはりもすこしの誇張も申しあげません」とか「生涯いちどの、生命がけのおねがひ申しあげます」と手紙の冒頭に書く太宰治は、そうでもなさそうです。
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武者小路実篤は「夏目さんを一番敬愛」し、大学では学科が違うのに漱石の講義を2回聴講しました。『白樺』創刊号の「『それから』に就て」を褒める漱石の手紙に大喜びした実篤は、志賀直哉に電話をかけ、文面を読み聞かせたそうです。ちなみに漱石宅に電話が付いたのは2年後。さすがは実篤であります。
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「新聞で紹介された初版道コレクション」その①芥川龍之介『鼻』自筆完成原稿(平成24年10月3日付『毎日新聞』夕刊一面より) 自前の芥川龍之介展で初公開することになり、まず芥川と縁の深い『毎日新聞』が掲載。その後各紙が取り上げました。長く行方不明でしたが、久米正雄宅で発見された原稿です。
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武者小路実篤「芥川君の死」(『中央公論』昭和2年9月号)の自筆原稿。「同君のものを第一あまり沢山よんでゐない」「自殺といふものは、そのものとして僕は賛成出来ない」「生命力が強く、動物力が強かつたら死なずにすめたと思ふ」など、芥川の死を惜しみつつも正直な言葉が、実篤らしく印象的です。
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萩原朔太郎『月に吠える』初版本無削除版(大正6年)を落札しました。入手は7冊目です(他に3冊の現存を確認)。削除された好きな詩2篇のページ(これしか開けられなくてゴメンなさい)を捲る時は、何冊目でも変わらぬ興奮と感動があります。宜しければ、新聞記事も併せてどうぞ。asahi.com/area/gunma/art…
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海軍機関学校時代の芥川龍之介。晩年の病的な顔を見慣れているせいか、穏やかな表情だと思いますが、よく見ると左目が・・・
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太宰治・坂口安吾・織田作之助が揃って収録された戦意高揚の書『辻小説集』(昭和18年、八紘社杉山書店)の初版本です。緒言は久米正雄で、執筆者は谷崎潤一郎・武者小路実篤・菊池寛・小栗虫太郎他。国家統制の前では文学思潮など無関係でした。今となっては後世への戒めの書と言えるのかもしれません。
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志賀直哉と三島由紀夫が『斜陽』の敬語の使い方を批判したのは有名ですが、ドナルド・キーン氏は、外国語訳で読めばその「欠点」は消えてしまうから、二人も最後まで読んでくれたかもしれないと書いています。もっとも、三島は太宰治の「自己憐愍」を嫌い、太宰文学の英訳に猛反対したそうです。
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昔の文学好きな女性(石川県の方だと思います)が雑誌や新聞を切り抜いた作品集です。手作りの表紙も素敵だけれど、ヤフオクで他に誰も入札せず、スタート価格の1100円×2点で落札。読書の幅の広さと、欠落箇所を手書きで埋める熱意は素晴らしく、100年前に近代文学を愛読した大先輩に敬意を表します。
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森鷗外が夏目漱石に献呈した『涓滴』です。明治43年10月18日の両名の日記に授受の記載があり、漱石は修善寺の大患により入院中でした。鷗外は漱石に6冊の本を贈呈していますが(逆は4冊)、本書以外にも現存するのでしょうか。ちなみに漱石がお返しに贈った『門』は、文京区立森鷗外記念館にあります。
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高齢の初版本コレクターがお亡くなりになって、遺言により処分を任されました。本には1冊ずつ購入した金額を書いたメモが挟まっていて、それを見た遺族の期待値はマックスまで高まり、先日は相続税の心配を。「今の売却価格の相場は買値の十分の一以下です」とはとても言い出せない雰囲気でした。
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川端康成の「坂口安吾氏の文学は、坂口氏があってつくられ、坂口氏がなくて語れない」という弔辞は有名だし名言に違いないけれど、個人的には「安吾はよく書き、よく褒めた。褒めるのは自分の書いたものにきまっている」という石川淳の言葉の方が好きです。
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三島由紀夫の自衛隊市ケ谷駐屯地バルコニーでの演説は、隊員の怒号とヤジで聴き取るのも容易ではありません。後に野上弥生子は「私がもし母親だつたら、『何でマイクを忘れたの?』とその場に走つて届けに行つてやりたかつたでせうよ」と語りました。「三島事件」に関する誰のコメントよりも涙します。
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徳田秋聲と谷崎潤一郎。「顔」という企画にしても大きすぎる気がします。
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森鷗外『渋江抽斎』の自筆原稿発見に関する「朝日新聞」朝刊の記事です(画像掲載許可取得済)。簡単な来歴や文京区の購入の経緯・金額なども記されています。