初版道(@signbonbon)さんの人気ツイート(リツイート順)

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今日は芥川龍之介の命日「河童忌」です。芥川は解剖されておらず、死因は永遠の謎。多量の睡眠薬の服用説が一般的ですが、衰弱した彼に飲むことができたのか。だが青酸カリ説は入手経路の問題があり(諸説あるも実証不可能)、夫人の証言とも矛盾します。ちなみに芥川の死亡診断書は見つかっていません。
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志賀直哉が若い頃に夏目漱石の小説を愛読したことは有名ですが、泉鏡花の小説にも熱中する時期がありました。志賀は「自分が実母を失つた経験から鏡花の亡き母親を憶ふ物語には心を惹かれた」と回想しています。鏡花が母を亡くしたのは9歳の時でした。名はすゞ。奇しくも生涯を共にした妻と同名です。
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自ら命を絶った作家はしばしばその行為を批判されます。しかし暖衣飽食の批評家が与り知らない苦悩と闘いながら、彼らは一つ一つの作品を残したのに違いありません。「文学はね、骨身を削る仕事なんだ。恥部を曝けだすわざなんだ。あくまで孤独に耐えなければならない苦業なんだ。」太宰治の言葉です。
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小説を書いているものの、自分の想像力(空想力)に自信のない方に、「私は多少でも自分で実際に経験した事で無ければ、一行も一字も書けない甚だ空想が貧弱の物語作家である」という一文を贈ります。誇張に満ちているけれど、誰にも負けず読まれている近代作家の言葉ですから。太宰治です(『舌切雀』)。
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芥川龍之介は、もし生まれ変わるとするならば「もう少し、頭が良くて、肉体が丈夫で、男振りが好い人間に生まれかはりたい」と語っています。肉体はよいとしても、残りの二つは「それは贅沢ですよ、芥川先生」と言いたくなりますね。
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10月30日は「初恋の日」。明治29年、島崎藤村が「初恋」の詩を『文学界』に発表したことに因んだそうですが、同誌で藤村と共に同人だった上田敏は、「そんなことよりも今日は私の誕生日だ!」と言いたいところでしょう。もっとも泉鏡花にとって10月30日は、尾崎紅葉の命日でしかありえないと思います。
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谷崎潤一郎が初めて萩原朔太郎・室生犀星と会ったのは大正6年、伊香保温泉でした。谷崎は朔太郎の話しぶりを「非常に静かに、決して抑揚をつけることなく、低い調子で、うすい唇を神経質にふるはせながら、縷々として物語る」と書いています。同年刊行の『月に吠える』のイメージそのものですね。
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萩原朔太郎の『月に吠える』無削除版を前橋市に寄贈したことにより(前橋文学館所蔵)、紺綬褒章を受章しました。本1冊の寄贈で同章が授与された例は過去にないそうで、大変光栄です。近代文学に導いてくれた前橋女子高校出身の母も、きっとお墓の中で喜んでいると思います。 youtu.be/N0JHhgT_Qkk
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もし芥川龍之介があと10年生きていたら、作家としての太宰治は、そして彼の人生はどうなっていたでしょうか。芥川賞を目指すことなく、第一小説集のタイトルも『晩年』ではなかった気がします。『斜陽』も『人間失格』も生まれないのは困るけれど、太宰に芥川と話をさせてあげたかったなあと思います。
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三好達治が梶井基次郎と最後に会ったのは昭和6年10月末のこと。三好が帰る時、既に病が進行し衰弱していたものの、梶井は制止をきかず門の外まで見送りに出ました。再会を約して急いでバスに乗った三好が振り返ると、梶井はまだそこに立ち尽くしていたそうです。これが二人の永遠の別れとなりました。
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母が小学校6年生の誕生日にプレゼントしてくれた手作りの「近代作家リスト」の一部です。武者小路実篤は健在でした。改めて見返すと、このリストに出ている作家の初版本を蒐めたことに気が付きます。感謝の言葉しかありません。
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日本の近代文学に関心がある方に、明治以降の日本の近代史を一通り知ることをお勧めします。作家の思想形成にも作品の内容にも、周囲の環境だけでなく時代や社会の動きが影響を与えていることも多いからです。時代背景の知識は、文学作品の鑑賞をより楽しく、味わい深いものにしてくれるでしょう。
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今日は横光利一の命日。昭和23年1月3日、葬儀で無二の親友川端康成は「君の名に傍へて僕の名の呼ばれる習はしも、かへりみればすでに二十五年を越えた。君の作家生涯のほとんど最初から最後まで続いた」と最大の賛辞を贈りました。『御身』は新感覚派の旗手の代表的著書。川端宛は「1番本」でしょう。
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今日は梶井基次郎の命日です。『檸檬』から『のんきな患者』まで、彼の実質的な作家活動はわずか7年で、完成した小説は20編にすぎません。しかし梶井の命の炎は儚く消えたけれど、残された作品は今もなお眩いばかりの輝きを放ち続けています。梶井基次郎は永遠に日本近代文学の至宝です。
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太宰治の署名本7冊が三鷹市の「太宰治文学サロン」に向けて出発しました。桜桃忌前後の15日から20日まで展示されます。入場制限がありますが、太宰ファンの皆さんに少しでも楽しんでいただければ嬉しいです。
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夢野久作の幻魔怪奇探偵小説『ドグラ・マグラ』の初版本(左)と6版本(右)では、背と扉の出版社名が松柏館書店から春秋社に変わっています。奥付と函の背は変化なし。表裏一体のような両書店ですが、理由は存じません。
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菊池寛『心の王国』(大正8年、新潮社)初版本の芥川龍之介による跋文。素直な推薦文でないところがいかにも芥川ですが、そんなことは百も承知で依頼した菊池は、これを読んで喜んだと思います。
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誤植は本につきものですが、奥付で間違いがあっては困ります。特に著者名のミスは致命的。処女歌集『みだれ髪』の初版本で「昌子」とされた与謝野晶子は気の毒でした。木下杢太郎の場合は本名の太田正雄を知らなければ誤植に気がつかないでしょう。徳田秋声の場合は・・・誰でもすぐにわかりますね。
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今は昔、「親も教師も誰も自分をわかってくれない」と言って投げやりになっていた高校生に『人間失格』の文庫本を渡したことがありました。翌日飛んできて「もっとこの人の本を読みたい」と。彼は今、僻地の中学校で国語を教えています。きっと目を輝かせて『走れメロス』を教えているのでしょう。
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今日は樋口一葉の誕生日です。泉鏡花は「紅葉先生の書かれるものでも、露伴先生の書かれるものでも、どうかすると、私にも、書けないことはないと私は思つた。しかし一葉の『たけくらべ』は私には絶対に書けないと思つた」と。神の如き師紅葉や大文豪露伴を引き合いに出すほど高く評価していたのです。
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芥川龍之介の3回忌法要の写真。遺族に寄り添うかのような菊池寛の姿が印象的です。掲げられた遺影は、書斎での有名な写真でしょうか。
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「小説は作家がいかに人生に処したかの報告書であり、またいかに処すべきかの意見書でもある」菊池寛の言葉を誕生日に一つ挙げるとしたらこれを選びます。彼もまた真摯に小説と向き合った作家でした。
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梶井基次郎のことを「志賀直哉の文章で泉鏡花の幻想をつづった作家」、すなわち「インテリの鏡花」だと言ったマイナー作家がいます。なかなか鋭いですね。
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高校入試で面接試験があり、「最近読んだ本は?」という質問に「菊池ヒロシの『恩讐の彼方に』です」と答えたら、面接委員が「ヒロシではなくカンだよ」と鬼の首を取ったかのように。そこで「いえ、本名はヒロシです」と言ったらむっとされました。幸い合格しましたが、決してマネをしないでください。
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太宰治の「本を読まないということは、そのひとが孤独でないという証拠である」という有名な言葉に対して、「現代の若者には全く当てはまらない。孤独であっても本を読まないから」という意見があるそうです。恐らく太宰が誰に対して、どんな思いで吐き出した言葉か知らないのでしょうね。