初版道(@signbonbon)さんの人気ツイート(リツイート順)

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『文豪たちが書いた耽美小説短編集』(彩図社)です。このラインナップを「耽美小説」で一括りにするのは無理があるけれど、なかなか良く考えられたセレクションだと思います。
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萩原朔太郎は梶井基次郎について「梶井君がもし大成したら、晩年にはドストエフスキイのやうな作家になつたか知れない。或はまたポオのやうな詩人的作家になつたかも知れない」と書いています。芥川龍之介ですら、これほど朔太郎に評価されることはありませんでした。梶井に聞かせてやりたかったです。
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「梶井君が、一人の三好達治君を親友に持つて居たことは、同君のために生涯の幸福だつた。」「梶井君は三好君に対してのみ、一切の純情性を捧げて、娘が母に対するやうに甘つたれて居た。おそらくあの不幸な孤独の男は、一人の三好君にのみ、魂の秘密の隠れ家を見付けたものであらう。」by 萩原朔太郎
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坂口安吾は「太宰とつきあつて、腹をたてるのは、たてるほうが馬鹿だよ。ああいふ種類の作家は遠くから見てゐればいいんだよ」と言ったそうです。全くその通りでしょう。しかし太宰の周囲の人々は、それを承知の上で彼に近づいたのだと思います。人たらしと言われようが、それもまた太宰の魅力です。
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中学校で国語を教えている知人によると、最近は夏休みの宿題で課題図書の読書感想文を書かせる学校が減っているそうです。理由はネットで「模範例文」を簡単に検索できるからとのこと。何であれ、子どもに強制して本を読ませ、感想を人前に晒させる愚かな宿題が少なくなるのは大変結構だと思います。
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一昨日亡くなられた羽田雄一郎参議院議員の祖父武嗣郎氏(元衆議院議員)は昭和12年羽田書店を創業し、宮沢賢治の『風の又三郎』『グスコーブドリの伝記』などを出版。武嗣郎氏の長男孜元総理大臣は、父親が賢治顕彰に貢献したことを誇りに思うと私に語っていました。雄一郎議員のご冥福をお祈りします。
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室生犀星は、いつも牛乳を飲むと「愛情を溶かしたものではなからうか」と感じ、「牛乳ほど愛情のこまやかな飲料は古今に稀であらう」と書いています。母乳の話ではありませんが、生後すぐに実母から引き離された犀星の悲しみを連想してしまうのは、思い込みが強すぎるでしょうか。
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芥川龍之介の若手研究者のフォロワーさんが素晴らしい仕事をされました。「漱石や芥川、太宰などは研究され尽くしている」などという言葉がいかに妄言であるか明らかです。 芥川龍之介の取材手帳を復元 1921年、大阪毎日新聞の特派員時代 | 毎日新聞 mainichi.jp/articles/20220…
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「人生は落丁の多い本に似てゐる。 一部を成してゐるとは称し難い。 しかし兎に角一部を成してゐる」(芥川龍之介) ここでは「書物」ではなく「本」と書いています。
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かつて高校国語教科書に採録されたことがある、ちょっと(かなり?)意外な近代文学作品 ①萩原朔太郎「殺人事件」(よくぞこれを) ②芥川龍之介「藪の中」(あのストーリーなのに) ③江戸川乱歩「押絵と旅する男」(遺憾ながら教員の評判は悪かったそうです) ④太宰治「人間失格」(なんとなく採録ゼロかと)
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芥川龍之介は知りあったばかりの堀辰雄に「そのままずんずんお進みなさい」と励ましています(大正12年11月18日付書簡)。夏目漱石が「鼻」を激賞した書簡で「頓着しないでずんずん御進みなさい」と激励してから7年9か月。芥川は亡き師の言葉を片時も忘れたことはなかったのでしょう。
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泉鏡花は小説を書くことについて「何よりも楽しい、嬉しい、懐しいものだと思つて居る」と語っています。「小説を書くのが実につらい」とこぼしていた芥川龍之介が聞いたら卒倒しそうです。
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今年の大学入試センター試験の国語に上林暁の「花の精」が登場。渋い作家だけれど、昔は初版本を探す熱心なファンも多かったです。珍本もあって、フルコンプリートに15年位かかりました。太宰治とも親交があり、太宰の「黄金風景」と上林の「寒鮒」が「短篇小説コンクール」で当選を分け合っています。
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武者小路実篤は、人生を暗く考えているらしい若者と会った時「自分は死を考えても悲観許りはしていられないと思うが、そう思えとその人には言えなかった」と書いています。悩んでいる人、辛い思いをしている人に「人生いいこともあるよ」と励ますことが、常に正しいわけではないと実篤から学びました。
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芥川龍之介は酸味のない果物を好み、特に無花果が一番の好物で、嫌いな筆頭格は蜜柑だと語っています。その蜜柑を題材にしてあの珠玉の名作を書いたのだから、やはり凄い作家です。ちなみに当初『蜜柑』は「私の出遇つた事」の総題の下で書かれ、菊池寛は芥川から口頭でこの話の粗筋を聴いたそうです。
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芥川龍之介自殺への感想一文(独断的選択)。泉鏡花「エ﹅﹅夢ぢやないかな、夢であつてくれゝばいゝが、なんで死んでくれたか、うらめしい。」薄田泣菫「芥川氏はもう生きることに飽きたのだ。」久米正雄「かれは要するに第二の北村透谷だ。」室生犀星「今、自分は疲れてゐて、何も云ふことはない。」
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今日は泉鏡花の誕生日です。子どもの頃に母親を亡くした鏡花は、終生母への思慕が消えませんでした。母親の愛情に飢えていたのは夏目漱石や芥川龍之介も同じで、それが彼らの文学の源泉の一つだったのかもしれません。ちなみに鏡花の母と妻の名前は共にすゞ。鏡花にふさわしいロマンチックな話ですね。
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文豪 森鴎外の直筆原稿の一部 新たに見つかる | NHK www3.nhk.or.jp/news/html/2022…
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文章を書く時に、読点(、)をどこに打つか迷うことも多いと思いますが、あまり悩まなくてもよいのかもしれません。芥川龍之介でさえ「読点はいかにうつべきか、といふ法則がないので、これが一ばん困りますね」と言っていますから。
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72年前の今日、『朝日新聞』朝刊に「太宰治氏家出か」という記事が掲載され大騒ぎに。ただ太宰の「自殺未遂歴」を知る多くの人は、彼が死んだとは思っていませんでした。しかし美知子夫人は16日朝、「今度だけは本当に死ぬような気がする」と河盛好蔵に話しています。感じるものがあったのでしょうか。
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「梶井基次郎、中島敦、太宰治の三人のことを、いまの文学青年の「三種の神器」と称するそうである」と安岡章太郎が書いたのは昭和39年です。それから55年。平成から令和になろうとしている今日でも、この「三種の神器」は変わっていないのかもしれませんね。
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永井荷風から谷崎潤一郎宛書簡(昭和19年3月7日)。死を意識した荷風は、谷崎に全集制作について色々と託し、「小生著書既刊本蒐集者」として4人の名前を挙げています。荷風の住む偏奇館は、翌年3月10日の東京大空襲で焼失。荷風が書いて谷崎が読んだ手紙を手にした感動は、言葉にするのが難しいです。
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昨日の朝ドラ「エール」で、戦前の古本屋に来た若い女性が『吾輩は猫である』の表紙を見て初版と察知。理由は上巻に「上」の表記がないから。戦後の複製本が小道具なのも気にならないほど感動しました。ただし8版までの表紙は「上」の表記がないので、厳密には表紙だけで初版かどうかはわかりません。
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芥川龍之介が死の少し前に出席した日露芸術家座談会の写真です(前列右から2人目)。遅れて加わった芥川は一度も発言せず、話を振られても答えませんでした(画像2枚目)。末尾の手記(画像3枚目)を読んでも、既に精神をかなり病んでいることが窺えます。