初版道(@signbonbon)さんの人気ツイート(古い順)

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今は昔、「親も教師も誰も自分をわかってくれない」と言って投げやりになっていた高校生に『人間失格』の文庫本を渡したことがありました。翌日飛んできて「もっとこの人の本を読みたい」と。彼は今、僻地の中学校で国語を教えています。きっと目を輝かせて『走れメロス』を教えているのでしょう。
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太宰治の長女である津島園子さんがお亡くなりになりました。平成27年に太宰治展を開催した折、事前に許可をお願いしたら(法的には不要)、喜んで快諾してくださいました。母の美知子さんの後を継ぎ、父の顕彰に努めた功績は大きかったと思います。ご冥福をお祈りいたします。
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太宰治の次女の作家津島佑子さんは、昔お会いした時「父は文学史の中の人です」と語り、好きな作品は『黄金風景』と即答されました。今日、長女の園子さんも旅立たれ、今ごろ太宰は妻と子ども3人と72年ぶりに揃って、海に石の投げっこをして笑い興じているかもしれませんね。『黄金風景』のように。
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大正8年冬、友人宅で萩原朔太郎の『月に吠える』を手にした宮沢賢治は「ふしぎな詩だなあ」と言いながらページを捲り、目が異様な輝きを帯びてきたそうです。後に「心象スケッチ」の原稿を読んだ友人が「ばかに朔太郎張りじゃないか」と指摘したら「図星をさされた」と。『春と修羅』誕生の背景です。
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三島由紀夫『仮面の告白』の初版本です。カバー・帯・月報が付いて完本。この傑作に出会ったのは小学校3年生の時でした。異様な世界に魅了され彼の小説を読み漁る中、4年生の時に三島事件がありました。『仮面の告白』の原稿は行方不明で、河出書房のロッカーの上に置かれていたとも。見てみたいです。
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室生犀星は早くに太宰治を評価していた作家の一人でした。『虚構の春』について「人を莫迦にした作品だといふ人もゐたが」「萩原朔太郎氏の初期の詩も北原白秋氏の『邪宗門』もともに当時にあつて変梃子な風変わりなものであつた」と。昭和11年になっても朔太郎と白秋を例に挙げるところが犀星ですね。
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三好達治が梶井基次郎と最後に会ったのは昭和6年10月末のこと。三好が帰る時、既に病が進行し衰弱していたものの、梶井は制止をきかず門の外まで見送りに出ました。再会を約して急いでバスに乗った三好が振り返ると、梶井はまだそこに立ち尽くしていたそうです。これが二人の永遠の別れとなりました。
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佐藤春夫によれば、泉鏡花は作品中で「紅葉」(もみじ)という文字を避けて「霜葉朱葉その他の文字」をわざわざ使ったそうです。「紅葉」が一度も出てこないかは知りませんが、確かに「折から菊、朱葉の長廊下を」(『妖魔の辻占』)など用例はたくさんあります。鏡花を弟子に持った尾崎紅葉は幸せですね。
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中学生の時、作文で一生と生涯の両方を使ったら「同じ意味の言葉は一つにしなさい」と先生に言われました。そこで「三島由紀夫は2.3行ごとに同じ言葉が出てこないように注意して「病気」と書いたら次に「やまひ」と書こうとしたそうです」と話したら「お前は三島ではないだろ」と。残念な先生でした。
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谷崎は食べるのが速いので、よく煮たもの以外箸をつけない鏡花は鍋の中に仕切りを置き「君、これは僕が喰べるんだからそのつもりで」と。しかし谷崎は忘れ、鏡花が「あツ君それは」と言っても間に合わず。その時の鏡花の情けない顔つきが可笑しくて、谷崎はわざと食べてしまったことも。悪い奴ですね。
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猫好きの谷崎潤一郎は「犬はジヤレつく以外に愛の表現を知らない。無技巧で単純です」と書き、犬好きの志賀直哉は猫について、「うるさくて、きたならしくて、僕は猫はキライなんだ」と語っています。身贔屓の強さでも、両文豪は一歩も引けを取らないようです。
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6月13日は太宰治が山崎富栄と入水した日です。太宰の服装は白のワイシャツにねずみ色のズボンでした。長雨により、太宰の捜索は難航を極めました。そして三鷹は今日も雨。富士には月見草がよく似合いますが、やはり太宰には雨がよく似合う気がします。
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72年前の今日、『朝日新聞』朝刊に「太宰治氏家出か」という記事が掲載され大騒ぎに。ただ太宰の「自殺未遂歴」を知る多くの人は、彼が死んだとは思っていませんでした。しかし美知子夫人は16日朝、「今度だけは本当に死ぬような気がする」と河盛好蔵に話しています。感じるものがあったのでしょうか。
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太宰治が芥川賞候補となったのは1回だけ(第1回)です。佐藤春夫との応酬が有名なので、第3回も候補だったと誤解している方が結構いますが、予選候補にすら入っていません。それにしても、72年前には太宰の遺体がまだ発見されていなかった今日、お孫さんが芥川賞候補と発表されたことに宿命を感じます。
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昨日の朝ドラ「エール」で、戦前の古本屋に来た若い女性が『吾輩は猫である』の表紙を見て初版と察知。理由は上巻に「上」の表記がないから。戦後の複製本が小道具なのも気にならないほど感動しました。ただし8版までの表紙は「上」の表記がないので、厳密には表紙だけで初版かどうかはわかりません。
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若き日の文豪が、ある女性に恋したことを友人に告げた手紙の一節を紹介しましょう。「僕は其の人に欺かれてもよい、弄ばれてもよい、殺されてもよい。」「其の人の夫となれずば、甘んじて其の人の狗、其の人の馬、其の人の豚とならう。」文豪の名前は書くまでもありませんね。もちろん谷崎潤一郎です。
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中原中也は若い人に人気が高い一方で、大人になるまで読んだことがない人には敬遠されることも。しかし、大人が鑑賞しても素晴らしい詩ばかりです。信じられない方に小林秀雄の『山羊の歌』推薦文を贈ります。「嘘だと思つたら詩集を買つて読んでごらん。彼が当代稀有の詩人である事がわかるだらう。」
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梶井基次郎に『伊豆の踊子』の校正をしてもらった川端康成は、自分の作品が裸にされた恥かしさを感じ、「彼は私の作品の字のまちがひを校正したのでなく、作者の心の隙を校正したのであつた」と語っています。「作品のごまかしはすつかり掴んでしまつた」とも。川端にこう言わせるとはさすが梶井です。
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夢野久作の幻魔怪奇探偵小説『ドグラ・マグラ』の初版本(左)と6版本(右)では、背と扉の出版社名が松柏館書店から春秋社に変わっています。奥付と函の背は変化なし。表裏一体のような両書店ですが、理由は存じません。
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『140字の文豪たち』(秀明大学出版会、税込千円)が完成しました。来週末から発売ですが、小出版社による少部数の本なので、紀伊國屋書店(全国に配本)と神保町の東京堂書店以外は大きな店舗しか置かれません。お近くの書店にない場合は、お手数をかけますが店舗かネットでご注文いただければ幸いです。
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檀一雄に「君は(中略)天才ですよ。沢山書いて欲しいな」と言われた太宰治は「身もだえるふうだった。しばらくシンと黙っている。やがて、全身を投擲でもするふうに、「書く」私も照れくさくて、ヤケクソのように飲んだ。」(檀一雄『小説太宰治』)身もだえる太宰も、自分で言って照れる檀も可愛いです。
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横光利一『蠅』の原稿を受け取った菊池寛は「君の蠅は、のせる。君のだけが小説だ」と書き送り、『文芸春秋』大正12年5月号に掲載され出世作となりました。「君のだけが小説だ」、新人作家にとってこれ以上の誉め言葉があるでしょうか。横光はこの手紙を読んだ時の感激を終生忘れなかったと思います。
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坂口安吾によれば、織田作之助は安吾、太宰治との座談会の速記に「全然言はなかつた無駄な言葉を書き加へ」、その狙いは「読者を面白がらせる」ことだったそうです。安吾は「織田のこの徹底した戯作根性は見上げたものだ」と賞賛していますが、果たして太宰は織田の加筆に気がついたのでしょうか。
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中原中也の詩『サーカス』の「茶色い戦争」はなぜ「茶色」なのか。音楽評論家の吉田秀和は、「セピア色」ではなく「中原の頭のなかにあったのは中国の大地や砂塵でした。本人から聞いたから間違いない」と(小池民男『時の墓碑銘』)。ちなみに中也は、生後半年で父親(軍医)の赴任地中国に行っています。
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武者小路実篤は、人生を暗く考えているらしい若者と会った時「自分は死を考えても悲観許りはしていられないと思うが、そう思えとその人には言えなかった」と書いています。悩んでいる人、辛い思いをしている人に「人生いいこともあるよ」と励ますことが、常に正しいわけではないと実篤から学びました。