初版道(@signbonbon)さんの人気ツイート(新しい順)

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今日は田山花袋の命日です。島崎藤村は死の床の花袋に「この世を辞して行くとなるとどんな気がするかね」と尋ね批判も受けますが、これは「もう自分も死を覚悟しなければなるまい」という花袋の言葉を受けての言葉でした。そして2人は、藤村が『春』の初版本を完成直後に贈る古い関係でもありました。
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萩原朔太郎が与謝野晶子に贈り、晶子が自宅の書庫から持ってきて佐藤春夫に渡し、春夫がその場で読み耽った『月に吠える』初版原本です。一読した春夫は「神経で詩を作ろうとしているらしい」と感じたと回想しています。今からちょうど100年前の話です。
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芥川龍之介夫人の文と佐藤春夫・川端康成。「私たちの結婚生活は、わずか十年の短いものでしたが、その間私は、芥川を全く信頼してすごすことが出来ました。その信頼の念が、芥川の亡きのちの月日を生きる私の支えになったのです。」芥川没後、41年を生きた夫人の言葉です。
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芥川龍之介自殺への感想一文(独断的選択)。泉鏡花「エ﹅﹅夢ぢやないかな、夢であつてくれゝばいゝが、なんで死んでくれたか、うらめしい。」薄田泣菫「芥川氏はもう生きることに飽きたのだ。」久米正雄「かれは要するに第二の北村透谷だ。」室生犀星「今、自分は疲れてゐて、何も云ふことはない。」
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英語教師芥川龍之介は「歯切れの好い発音ですらすらと、自然なアクセントで読んで、さて講義にかゝる。時々芸術的な訳方をしたり、拙訳と巧訳との例を対照して、全く生徒をチャームしてしまふ。休みの時間には文学好きな生徒に取巻かれて、芸術談をやる」とのこと。夏目漱石より楽しそうな先生ですね。
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作家の戒名には「文」が多いです。夏目漱石「文献院古道漱石居士」芥川龍之介「懿文院龍介日崇居士」太宰治「文綵院大猷治通居士」中原中也「放光院賢空文心居士」三島由紀夫「彰武院文艦公威居士」。もちろん「文ナシ」もいて泉鏡花は「幽幻院鏡花日彩居士」。この美しい戒名は佐藤春夫が付けました。
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世の中は偏見に満ち溢れているもので、夏目漱石が好きと言って真面だと思われ、谷崎潤一郎が好きと言って変態と疑われ、太宰治が好きと言って軟弱だと批判され、三島由紀夫が好きと言って右翼と誤解を受けてきました。しかし泉鏡花が好きと言っても人はまず無反応です。多分よく知らないのでしょうね。
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講演会場での芥川龍之介(大正12年)。演題は「プロレタリア文芸」でした。両手が格好いいですね。
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「猫の日」の画像はやはりこちら。夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』上中下編初版本の表紙・カバー・扉・挿絵・カットなど猫尽くしです(上編は8版から中段左の異装カバーとなります)。 #猫の日
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書斎で振り向く芥川龍之介。狂気を孕んだ目だと感じてしまうのは、彼の悲劇を知る者の先入観でしょうか。
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徳田秋聲は泉鏡花の没後、文豪の初期の作には幼稚なものも多いが、鏡花は例外で、「しかも其の天分は老年に迨んでも涸渇しなかつたのである。この点から言へば確かに天才だと言へる。」と讃えました(「天才泉鏡花」)。一度は絶交した同門の秋聲に褒められたことが、泉下の鏡花は嬉しかったでしょう。
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変な格好をしている佐藤春夫(昭和2年)。全く意味不明です。
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本日1月17日の夜は、尾崎紅葉「金色夜叉」の名場面「僕は今月今夜を忘れん〜僕の涙で必ず月は曇らして見せるから」の「今夜」です。そこで「金色夜叉」の自筆原稿・前編初版署名本とその口絵・同じ場面の鏑木清方肉筆画をアップします。雅号「十千万」での献呈で、本書の署名本は他に存じません。
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太宰治くらい行状が批判される作家も少ないですが、「谷崎も大学除籍だし、啄木も借金まみれだし、芥川も妻以外の女性がいたし、有島も心中しています」と擁護する人には、「全部当てはまるのは太宰だけ」などと混ぜ返さないで、「小説家は小説の魅力がすべてだから気にしないで」と言ってほしいです。
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104年前の今日、志賀直哉が武者小路実篤に贈った第一小説集『留女』の初版本です。志賀は発行前に届いた少部数の1冊を、妻房子の郷里福井にいた無二の親友に寄贈。翌大正2年1月3日に受け取った実篤は、翌日「早速二つ読んだ、君に逢ひたくなつた。ゆつくり話がしたい」と手紙を書いています。
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芥川龍之介の法要(昭和9年7月24日) 1列目左から菊池寛・徳田秋聲、1人おいて佐藤春夫・内田百閒、1人おいて長男比呂志・文夫人。3列目左から2人目三好達治・堀辰雄です。場所は芥川馴染みの田端自笑軒。遺徳を偲ぶ人々が集まりましたが、萩原朔太郎と室生犀星の不在が惜しまれます。
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芥川龍之介の葬儀における泉鏡花の弔辞とその下書きです。夥しい修正が、年下ながらも心から敬愛する芥川への別れの言葉に、鏡花が心血を注いだことを物語っています。「生前手を取りて親しかりし時だに、その容を見るに飽かず、その声を聞くをたらずとせし」まさに恋人の死を悼むが如しです。
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留年した学生に「あの夏目漱石だって、落第して進級できなかったことがあるんだよ」と言って励ますのは結構ですが、漱石がその後一念発起して、卒業まで首席を通したことも伝えるべきだと思います。
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夏目漱石(左)と芥川龍之介(右)の書斎。よく似た佇まいが、師を敬慕する芥川の思いを伝えている気がします。
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天皇陛下が退位されたら、かつて「お供も警護もなしに1日を過ごせたら何をなさりたいですか」と問われ「透明人間になって、学生時代よく通った神田や神保町の古本屋さんに行き、もういちど本の立ち読みをしてみたいですね」とお答えになった皇后さまが、神保町を散策できる日も来るかもしれませんね。
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知人の老コレクターが亡くなられました。遺言状に「宮沢賢治とともに天国に行きたいから『春と修羅』を棺に入れてほしいけれど、初版本を燃やすわけにはいかないので復刻本を入れるように」とあったそうです。泣きました。
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太宰治を運ぶ霊柩車のヴィンテージ・プリント。前が太宰用で、後ろが山崎富栄用です。昭和23年6月19日12時40分頃、料亭千草で検視を終えた太宰の遺体は堀ノ内、富栄の遺体は田無の火葬場へ。2階左側の部屋が太宰の仕事場でした。 #桜桃忌
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新婚時代の谷崎潤一郎と2人目の妻丁未子。この写真を目にされたことがある方は少ないでしょう。美貌の妻との結婚生活は、長くは続きませんでした。
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水着姿の谷崎潤一郎。あまり目にしない写真です。撮影者は存じません。
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芥川龍之介の自殺翌日(昭和2年7月25日)の『東京朝日新聞』夕刊。24日は日曜日なので、25日朝刊が第一報でした。各種文学アルバム掲載の夕刊とは、紙面が異なる珍しい版です(26日付)。三島由紀夫を除き、作家の死亡記事で最大でしょう。