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三島由紀夫の「僕は太宰さんの文学はきらひなんです」は有名ですが、太宰が亡くなった年に「太宰が何故死んだかといふ問題だが、民衆にうつかり白い歯を見せてしまつたので、民衆が寄つてたかつて可愛がつて殺してしまつたんだと僕は思ふんだ」と語っているのはご存知でしょうか。意味は不明です。
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萩原朔太郎は梶井基次郎について「梶井君がもし大成したら、晩年にはドストエフスキイのやうな作家になつたか知れない。或はまたポオのやうな詩人的作家になつたかも知れない」と書いています。芥川龍之介ですら、これほど朔太郎に評価されることはありませんでした。梶井に聞かせてやりたかったです。
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芥川龍之介の亡き後、菊池寛が文壇で最も信頼していたのは横光利一です。横光の通夜で人目を避けて焼香を済ませた菊池は、物陰に身を隠し、眼鏡を外して涙をぬぐい、そそくさと立ち去りました。そして葬儀で弔辞を捧げた僅か2か月後に亡くなっています。それはまさに跡を追うかのような死でした。
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志賀直哉は昭和8年の日記に「小林多喜二二月二十日(余の誕生日)に捕へられ死す、警官に殺されたるらし、実に不愉快、一度きり会はぬが自分は小林よりよき印象をうけ好きなり」と。ちなみに志賀宛の『蟹工船』は日本近代文学館蔵。改訂版しか手許にない多喜二は、古本屋で初版本を買って寄贈しました。
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川端康成は、ある人物の作品を鑑賞し「私は遂に恐るべきものを見た。現代の日本に我々と共に生ける天才を見た」と絶賛しました。芥川龍之介?太宰治?三島由紀夫?違います。正宗白鳥です。もっとも「白鳥氏は邪神の眼鏡をかけてゐる。天才の業と云ふ外はない」そうだから、何だかよくわかりません。
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「若いころの室生君はおもしろかったよ、浅草の草津という料亭に僕を招いてくれた時のことだが、その席に侍った太っちょのロシア女の肌を見て、『君、君、君の肌は昆虫の羽のようだね、僕に触らせてくれませんか』などと大袈裟な物の言い方をするんだよ。」OKが出たかは存じません。「僕」は白秋です。
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「梶井君が、一人の三好達治君を親友に持つて居たことは、同君のために生涯の幸福だつた。」「梶井君は三好君に対してのみ、一切の純情性を捧げて、娘が母に対するやうに甘つたれて居た。おそらくあの不幸な孤独の男は、一人の三好君にのみ、魂の秘密の隠れ家を見付けたものであらう。」by 萩原朔太郎
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三島由紀夫は「何がきらひと云つて、私は酒席で乱れる人間ほどきらひなものはない」と書いています。三島が中原中也と酒を飲んだら、間違いなく大嫌いになっていたでしょう。ちなみに酒席で中也に絡まれ、三島にもその文学が嫌いだと言われた気の毒な作家は太宰治。それでも太宰は酒が好きでした。
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夏目漱石は、卒論の口述試験が不出来だった森田草平に「口述試験に惨憺たるものは君のみにあらず」「試験官たる小生が受験者とならば矢張りサンタンたるのみ」「多数の人は逆境に立てば皆サンタンたるものだ」と書いています。落ち込んでいる時にこんな手紙を先生から貰ったら、泣いてしまいそうです。
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国木田独歩が島崎藤村に付けたあだ名はイソギンチャク。どうしてかは知りません。本人が聞いたら嬉しくないと思いますが、悪気はなかったようです。ちなみに、柳田国男によれば「国木田君は好く言へば無造作、悪く言へば無茶な男だつた」とのこと。「無造作」は決して褒め言葉ではないのですが・・・。
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谷崎潤一郎は弟精二と絶縁状態にあった時、彼の妻の告別式に参列し、手紙の往復が復活しました。「他人でも、兄弟でも、喧嘩をしたらまづ目上の方から折れて出るものです。君もよく覚えておきなさい。」精二の早稲田大学での上司吉江喬松の言葉です。喧嘩の理由にもよるけれど、よい言葉だと思います。
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志賀直哉と三島由紀夫が『斜陽』の敬語の使い方を批判したのは有名ですが、ドナルド・キーン氏は、外国語訳で読めばその「欠点」は消えてしまうから、二人も最後まで読んでくれたかもしれないと書いています。もっとも、三島は太宰治の「自己憐愍」を嫌い、太宰文学の英訳に猛反対したそうです。
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芥川龍之介は室生犀星について、「僕を僕とも思はずして、『ほら、芥川龍之介、もう好い加減に猿股をはきかへなさい』とか、『そのステツキはよしなさい』とか、入らざる世話を焼く男」だが、「僕には室生の苦手なる議論を吹つかける妙計あり」と書いています。「僕を僕とも思はずして」がいいですね。
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坂口安吾と中原中也は酒場の同じ女給を好きになり、安吾によれば彼女は彼に好意を抱き、それを知った中也は「ヤイ、アンゴと叫んで、私にとびかゝつた」そうです。ところがこれが切っ掛けで二人は親密な中に。安吾は「彼は娘に惚れてゐたのではなく、私と友達になりたがつてゐた」と。本当でしょうか?
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三島由紀夫は谷崎潤一郎を「内心は王者をも挫ぐ気位を持つてゐたらうが、終生、下町風の腰の低さを持つてゐた人」と評し、三島が席に忘れたコートを、追いかけて渡してくれたことを回想。「文士の世界では、どんなヒヨッコでも一応、表向きは一国一城の主として扱へ」というモラルを教わったそうです。
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室生犀星は、いつも牛乳を飲むと「愛情を溶かしたものではなからうか」と感じ、「牛乳ほど愛情のこまやかな飲料は古今に稀であらう」と書いています。母乳の話ではありませんが、生後すぐに実母から引き離された犀星の悲しみを連想してしまうのは、思い込みが強すぎるでしょうか。