初版道(@signbonbon)さんの人気ツイート(新しい順)

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今日は芥川龍之介の命日「河童忌」です。昭和2年7月は連日猛暑で、今年も東京は真夏日でした。「僕は一番暑い日に死んで、みんなを困らしてやるんだ」と言っていた芥川は、天国で微笑んでいるでしょう。ちなみに内田百閒は「あんまり暑いので、腹を立てて死んだのだろうと私は考えた」と語っています。
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草野心平語録 ①「若い文学の友よ。どうか白秋を読んでくれ。その厖大さに遠慮なく驚いてくれ。」 ②「現在の日本詩壇に天才がゐるとしたなら、私はその名誉ある「天才」は宮沢賢治だと言ひたい。」 ➂「中原よ。地球は冬で寒くて暗い。ぢや。さやうなら。」  心平も間違いなく天才詩人だと思います。
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「新聞で紹介された初版道コレクション」その①芥川龍之介『鼻』自筆完成原稿(平成24年10月3日付『毎日新聞』夕刊一面より) 自前の芥川龍之介展で初公開することになり、まず芥川と縁の深い『毎日新聞』が掲載。その後各紙が取り上げました。長く行方不明でしたが、久米正雄宅で発見された原稿です。
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夏目漱石の全集未掲載の文章を発見しました。内容も非常に興味深いです。「日本の古本屋」で近代文学専門店ではない古本屋から購入。ネットは誰もが公平に資料を入手できるチャンスがあります。 漱石が語る文学観 作家は「如何に世の中を解釈するか」:朝日新聞デジタル asahi.com/articles/ASM5Y…
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夏目漱石とシャーロック・ホームズが殺人事件に挑む画期的な小説が、島田荘司『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』(昭和59年、集英社)です。漱石とホームズの性格が実によく描かれ(特に初対面のシーン)、文庫本で読めます。人に小説を薦めることは滅多にありませんが、2人を愛する人に読んでほしい傑作です。
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室生犀星は毎年早春になると、泉鏡花に軽井沢のウドとワラビを送っていましたが、必ず電報でお礼状が来て、翌日には虎屋の羊羹が届いたそうです。いかにも鏡花らしい律義さに、同郷の後輩である犀星は恐縮したとか。それにしても、昔も今も虎屋は大したものであります。
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今日は武者小路実篤の誕生日です。実篤を始め志賀直哉・谷崎潤一郎などは、 当時の平均寿命を遥かに超えて生き、近代文学史に大きな足跡を残しました。いつの時代も、芥川龍之介・中原中也・太宰治など若くして亡くなった作家に人気は集まりがちですが、天寿を全うした誠にあっぱれな人生であります。
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今日は二葉亭四迷の命日です。その死を朝日新聞社の同僚夏目漱石が知ったのは5月15日で、日記には「二葉亭印度洋上ニテ死去。気の毒なり。遺族はどうする事だらうと思ふ」と。漱石は葬儀後の数時間で「長谷川君と余」23枚を脱稿。これを入手した時は初めての漱石の自筆原稿だったので嬉しかったです。
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『文藝別冊 永遠の太宰治』(河出書房新社)に「初版本『晩年』をめぐる物語」を寄稿しました。土井雅也さんの「資料で読み解く太宰治の生涯」、斉藤壮馬さんのインタビュー「朗読する太宰治」など、とても読み応えがあります(中の画像のアップは版元の許可を取得済)。5月11日発売です。
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川端康成の「坂口安吾氏の文学は、坂口氏があってつくられ、坂口氏がなくて語れない」という弔辞は有名だし名言に違いないけれど、個人的には「安吾はよく書き、よく褒めた。褒めるのは自分の書いたものにきまっている」という石川淳の言葉の方が好きです。
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次に紙幣の人物が変わる時は与謝野晶子を入れてほしいです。『みだれ髪』で短歌の革新を成し遂げ、源氏物語を現代語訳し、11人の子どもを育て、教育と女性の地位向上に尽力した晶子。「君死にたまふことなかれ」が紙幣登用の逆風になってはいけないと思います。令和に相応しい平和を願う歌なのだから。
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泉鏡花は小説を書くことについて「何よりも楽しい、嬉しい、懐しいものだと思つて居る」と語っています。「小説を書くのが実につらい」とこぼしていた芥川龍之介が聞いたら卒倒しそうです。
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三島由紀夫は大蔵省勤務時代に大臣の演説の草稿を書き、課長に文章が下手だと言われ、上司が根本的に直した文章は「感情や個性的なものから離れ、心の琴線に触れるやうな言葉は注意深く削除され」ていたそうです。三島が早くに大蔵省を辞めたことは、日本の近代文学にとって誠に幸運だったと思います。
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芥川比呂志は昭和21年、「新ハムレット」上演許可のため青森県金木町の太宰治を訪問。津島家の女性たちは「芥川さんのご令息が!」と驚き、女中の一人は「いい男だな」と。太宰はすぐに許可を与え、そしてひっきりなしに話し、笑ったそうです。初対面の比呂志に父龍之介の面影を重ねたのでしょうね。
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「梶井基次郎、中島敦、太宰治の三人のことを、いまの文学青年の「三種の神器」と称するそうである」と安岡章太郎が書いたのは昭和39年です。それから55年。平成から令和になろうとしている今日でも、この「三種の神器」は変わっていないのかもしれませんね。
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新元号の出典が「万葉集」だったので、天国の太宰治も喜んでいるでしょう。彼のペンネームの由来については諸説入り乱れているけれど、本人は妻美知子と女優関千恵子に「万葉集」と明言していますから。ちなみに、金子みすゞの「みすゞ」は「万葉集」の枕詞(の誤読)に由来するそうです。
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武者小路実篤「芥川君の死」(『中央公論』昭和2年9月号)の自筆原稿。「同君のものを第一あまり沢山よんでゐない」「自殺といふものは、そのものとして僕は賛成出来ない」「生命力が強く、動物力が強かつたら死なずにすめたと思ふ」など、芥川の死を惜しみつつも正直な言葉が、実篤らしく印象的です。
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坂口安吾は「芥川は太宰よりも、もつと大人のやうな、利巧のやうな顔をして、そして、秀才で、おとなしくて、ウブらしかつたが、実際は、同じ不良少年であつた」「芥川も、太宰も、不良少年の自殺であつた」と書いています。太宰はともかくとして、芥川を不良呼ばわりできる安吾は凄いです。
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太宰治の墓前で自殺を図り亡くなった田中英光の第一小説集『オリンポスの果実』の初版本(昭和15年、高山書林)。帯は超ウルトラ珍しいです。英光はボートのオリンピック選手だったので、表紙の上部に五輪マークがあります。太宰の序文を読むと、文才は小説のみではなかったことが、よくわかりますね。
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芥川龍之介にロシヤ煙草を買い占めたと抗議された上山草人は、ほぼ全部を贈呈しましたが、芥川はそれを返送。送り状には「こんなに戴いては申しわけがない」「御好意に背かないために一本だけ頂戴する」と。他人への心遣いは命を縮める一因になったけれど、そんな彼を周囲の誰もが愛したのです。
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「だまされる人よりも、だます人のはうが、数十倍くるしいさ。地獄におちるのだからね。」(by太宰治) 太宰の言う「地獄」は来世のそれではなく、「生き地獄」のことなのかもしれませんね。
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【初版本で読む中原中也の詩】 「サーカス」「汚れつちまつた悲しみに・・・」(『山羊の歌』より)、「一つのメルヘン」(『在りし日の歌』より)です。すべて知っている方も多いのでしょうね。「初版本で読むと詩の内容まで良くなる。」中也と並び称される抒情詩人立原道造の言葉です。
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「初版本で読む名作の書き出し」芥川龍之介『羅生門』、志賀直哉『城の崎にて』、梶井基次郎『檸檬』、太宰治『人間失格』です。残念ながら、画像ではインクの匂いや紙の手触りはわかりませんが、活字やふりがなの違いなどを意識しながら読んでいただけたらと思います。
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中島敦「山月記」の初出単行本『光と風と夢』(昭和17年、筑摩書房)初版本より冒頭ページ。戦時下のため紙は粗悪ですが、これもまた初版本の醍醐味だと思います。『舞姫』『心』『羅生門』と並ぶ高校国語教科書の定番小説になったことを教師だった彼が聞いたら、どんな感想を漏らすのでしょうか。
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谷崎潤一郎が永井荷風に寄贈した私家版『細雪』上巻。雑誌連載が中止となった翌年の昭和19年に刊行された、戦前唯一の単行本です。奥付に200部とあるも、実際は248部発行。戦後、荷風は谷崎との対談で、この本を盗まれたと語っています。ちなみに谷崎も荷風の私家版『濹東綺譚』を盗まれたそうです。