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室生犀星は早くに太宰治を評価していた作家の一人でした。『虚構の春』について「人を莫迦にした作品だといふ人もゐたが」「萩原朔太郎氏の初期の詩も北原白秋氏の『邪宗門』もともに当時にあつて変梃子な風変わりなものであつた」と。昭和11年になっても朔太郎と白秋を例に挙げるところが犀星ですね。
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大正8年冬、友人宅で萩原朔太郎の『月に吠える』を手にした宮沢賢治は「ふしぎな詩だなあ」と言いながらページを捲り、目が異様な輝きを帯びてきたそうです。後に「心象スケッチ」の原稿を読んだ友人が「ばかに朔太郎張りじゃないか」と指摘したら「図星をさされた」と。『春と修羅』誕生の背景です。
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太宰治の次女の作家津島佑子さんは、昔お会いした時「父は文学史の中の人です」と語り、好きな作品は『黄金風景』と即答されました。今日、長女の園子さんも旅立たれ、今ごろ太宰は妻と子ども3人と72年ぶりに揃って、海に石の投げっこをして笑い興じているかもしれませんね。『黄金風景』のように。
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太宰治の長女である津島園子さんがお亡くなりになりました。平成27年に太宰治展を開催した折、事前に許可をお願いしたら(法的には不要)、喜んで快諾してくださいました。母の美知子さんの後を継ぎ、父の顕彰に努めた功績は大きかったと思います。ご冥福をお祈りいたします。
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今は昔、「親も教師も誰も自分をわかってくれない」と言って投げやりになっていた高校生に『人間失格』の文庫本を渡したことがありました。翌日飛んできて「もっとこの人の本を読みたい」と。彼は今、僻地の中学校で国語を教えています。きっと目を輝かせて『走れメロス』を教えているのでしょう。
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某テレビ局の報道部から「古本屋の現状を知りたいので、今、危ない所を教えてほしい」と聞かれたので、「それは神保町のA書店の主人でしょう。今も昔も危ないですよ」と答えたら、「そういう危ないではなくて」と説明し始めたので黙って電話を切りました。「無礼者!」と言ってから切るべきでした。
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新型コロナウイルスに最高の警戒が必要なのは当然ですが、過度のストレスは免疫力を弱めるので注意してください。「恐るべき神経衰弱はペストよりも劇しき病毒を社会に植付けつつある。」夏目漱石の言葉です。
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「人生は狂人の主催に成つたオリムピツク大会に似たものである。」
こんな言葉を百年近く前に残した芥川龍之介は、やはり天才です。
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今日3月1日は芥川龍之介の誕生日であるとともに久米正雄の命日です。ちなみに芥川の命日7月24日は谷崎潤一郎の誕生日。久米の誕生日11月23日は樋口一葉の命日です。
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「『人間失格』の初版本が手に入りません。もう死にます」というDMが来たので、放置もできず「死なないと約束するなら差し上げます」と返信。約束してくれたので送ったら、受領の連絡もなくアカウントが削除されました。残念だけれど元気でいてくれれば。「死にます詐欺」ではなかったと信じたいです。
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もし芥川龍之介があと10年生きていたら、作家としての太宰治は、そして彼の人生はどうなっていたでしょうか。芥川賞を目指すことなく、第一小説集のタイトルも『晩年』ではなかった気がします。『斜陽』も『人間失格』も生まれないのは困るけれど、太宰に芥川と話をさせてあげたかったなあと思います。
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今日は石川啄木と志賀直哉の誕生日です。志賀が三歳年上ですが、文壇デビューは啄木の方がずっと早く、明治38年に処女詩集『あこがれ』を刊行した時、志賀はまだ学習院高等科の生徒でした。そして大正2年、志賀の第一小説集『留女』が出た時、既に啄木はこの世の人ではなかったのです。
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太宰治の展覧会は、一昨年「没後70年」、昨年「生誕110年」と銘打って開催されました。今年は「生誕111年」が大義名分。これは漱石や芥川でもなかったことですが、太宰は迷惑ではないでしょう。「太宰君は、自分がピエロで周囲をにぎやかにして人を喜ばすことが好きであった」(井伏鱒二)そうですから。
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萩原朔太郎は堀辰雄に「自分は怪談と云ふものを好まない。ちつとも怖いと思つたことがない。しかし、さう云ふ怪談にエロチツクな要素が這入つてくると、それが妙に怖くなり出す」と語り、『牡丹燈籠』を好みました。朔太郎が江戸川乱歩の作品を愛したのも「エロチツクな要素」が一要因かもしれません。
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