初版道(@signbonbon)さんの人気ツイート(新しい順)

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芥川龍之介と室生犀星(大正13年、軽井沢)。芥川の眼がちょっと怖いです。
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「人生は落丁の多い本に似てゐる。 一部を成してゐるとは称し難い。 しかし兎に角一部を成してゐる」(芥川龍之介) ここでは「書物」ではなく「本」と書いています。
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芥川龍之介が『奉教人の死』で触れたキリシタン版の書物を、多くの人が実在すると思い込んだのは有名な話ですが、谷崎潤一郎によれば『春琴抄』でも、春琴と佐助の墓がどこにあるのか、読者から問い合わせの手紙がかなり来たそうです。意図しなくても、それだけ芥川と谷崎の筆は冴えていたのでしょう。
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今日は宮沢賢治の命日です。画像は最初の『宮沢賢治全集』(昭和9〜10年、文圃堂)の内容見本。あまり出てくることがなく、特に予約申込みハガキ付は稀です。賢治の名を世に広めた功労者の一人、横光利一の文章が目を引きます。
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芥川龍之介は雨の日に菊池寛と歩いて、「僕はその時、ぬかるみに電車の影が映つたり、雨に濡れた洋傘が光つたりするのに感服してゐたが、菊池は軒先の看板や標札を覗いては、苗字の読み方や、珍しい職業の名なぞに注意ばかりしてゐた」と。面白いですね。『蜜柑』と『真珠夫人』ほどの違いでしょうか。
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太宰治は女性にモテるイメージが強いけれど、意外にもそうでもなくて、飲み屋でやけになって「僕は太宰治という小説家だ」などと女給に威張ったことも。もっとも相手はそんな名前を知るはずもなく、一緒に行った人たちは抱腹絶倒したとのことです。今だったら間違いなくモテモテだったのに残念でした。
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芥川龍之介は大正時代に文壇で流行ったスポーツやゲームが嫌いでしたが、菊池寛の家で川端康成とピンポンをさせられる羽目に。どちらも非常に下手だったので、中々勝負がつかなかったそうです。芥川と川端がラケットを持つ姿を想像するだけで可笑しくなります。画像は久米正雄のピンポン姿であります。
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岸部四郎さんはその昔、夏目漱石や永井荷風の初版本を熱心に蒐めるコレクターでした。神保町で何度か話しましたが、「初版本いいよね」が口癖で、「初版本からは時代の雰囲気が伝わってくるんだよね」と。背が高くて、飾らない人柄で、優しい笑顔が忘れられません。心よりご冥福をお祈りいたします。
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ご依頼を受け、(仮称)芥川龍之介記念館の令和4年度開設に向けて、色々とご協力することにしました。芥川の名を冠する初めての記念館が、彼や彼の文学を愛するすべての人の聖地になるように、微力ですが努力します。
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佐藤春夫が『田園の憂鬱』の筋を谷崎潤一郎に話したら、大いに褒めて「饒舌つてばかりいないで本当に書くんだよ」と。春夫はここで自信を得なかったら、多分何も書く気になれなかったそうで、「今迄の文学的生涯の中で、一番嬉しかつた事」と大正9年に語っています。二人の奇しき縁のスタートでした。
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太宰治・坂口安吾・織田作之助が揃って収録された戦意高揚の書『辻小説集』(昭和18年、八紘社杉山書店)の初版本です。緒言は久米正雄で、執筆者は谷崎潤一郎・武者小路実篤・菊池寛・小栗虫太郎他。国家統制の前では文学思潮など無関係でした。今となっては後世への戒めの書と言えるのかもしれません。
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家蔵の島崎藤村が菊池寛に送った書簡(昭和18年1月)がNHKのニュースに登場しました。藤村と徳田秋聲の深い親交がよくわかります。ちなみに、二人に賞金を贈ることを菊池と相談したのは武者小路実篤でした。 島崎藤村が菊池寛に宛てた直筆の手紙見つかる | NHKニュース www3.nhk.or.jp/news/html/2020…
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萩原朔太郎『月に吠える』初版本無削除版(大正6年)を落札しました。入手は7冊目です(他に3冊の現存を確認)。削除された好きな詩2篇のページ(これしか開けられなくてゴメンなさい)を捲る時は、何冊目でも変わらぬ興奮と感動があります。宜しければ、新聞記事も併せてどうぞ。asahi.com/area/gunma/art…
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「能力のある者は退社しろ、能力のない者は残れ」文藝春秋社が傾きかけた時の菊池寛の言葉です。能力のある者はどこでも働けるからでしたが、普通の経営者ならば逆でしょう。誰一人辞めなかったのは、こんな素晴らしいオーナーから離れたくなかったのだと思います。そして会社はすぐに立ち直りました。
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97年前の今日、関東大震災当日の芥川龍之介の様子。沈着冷静に見えますが、妻子をおいて外に飛び出し「赤ん坊が寝ているのを知っていて、自分ばかり先に逃げるとは、どんな考えですか」と文夫人に激怒され、「人間最後になると自分のことしか考えないものだ」とひっそり言ったことは記されていません。
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太宰治は音痴だったようで、知人に「先生のお歌には、かいもくリズムといふものがありません。密林のなかでライオンが吠えてゐるやうなものです」と指摘され、「さては見破られたか。何をかくさう。俺は音痴なのだ」と認めたそうです。どんなに音痴でもいいから太宰の歌を聴いてみたかったと思います。
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『新潮』大正12年7月号合評会の写真(田端自笑軒)です。左から芥川龍之介・千葉亀雄・菊池寛・中村武羅夫・久米正雄・久保田万太郎・徳田秋聲の豪華メンバー。あまり目にしませんが、芥川が話をしている写真(口が少し開き、みんなが芥川を注目)は非常に少ないので貴重だと思います。
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議論(口論)の最中にうまい言葉が出て来なくて、後で悔しい思いをされたことはないでしょうか?でもそれは頭の良し悪しとは関係ありません。「人と議論した後ではいつでもさう思ふんだ。なぜあの時あゝ言はなかつたんだらうと。いろんないい言葉が後になつて出てくるんだ」かの芥川龍之介の言葉です。
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徳田秋聲と谷崎潤一郎。「顔」という企画にしても大きすぎる気がします。
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「松葉杖をつける芥川龍之介氏」「活動写真機を携へたる久米正雄氏」「菜園の中なる小川未明氏」(「文壇諸家の近影」) 未明先生のラスボス感が凄いです。
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「文芸の新潮社」が森鷗外を蠅にしてしまった致命的な記事(大正5年)です。直前には「氏が一度眼を通せば、一字一画の誤植もないさうだ」とあり、偶然にせよ誠に皮肉な話ではあります。ただ、誤植で落ち込む世の編集者・校正者の皆さんの慰めにはなるかもしれません。自分のミスは蠅よりもマシだと。
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尾崎紅葉夫人によれば、関東大震災の後で紅葉の墓に行くと、倒れていたであろう石が元通りになっていました。花屋の仕事かと思ったら、実は泉鏡花が友人たちと直したのです。しかも人知れず。「力がないので定めし困つたことでせう」と笑って語る夫人は、鏡花に心から感謝していたのに違いありません。
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坂口安吾は「日本文学は貧困すぎる。小説家はロマンを書くことを考へるべきものだ」とし、「小説は、たかが商品ではないか」とドキッとするようなことも。しかし続きを読めば、彼の真意が伝わってきます。「そして、商品に徹した魂のみが、又、小説は商品ではないと言ひきることもできるのである。」
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芥川龍之介の中国旅行送別会の写真(大正10年3月9日、上野精養軒)。芥川が挨拶をしている貴重な写真ですが、あまり見ないのは顔がぼやけているからでしょうか。しかしよーく見ると、目や鼻が微かにわかります。そして注目は芥川の向かって右隣。卓上の花の向こうに顔だけ見える久米正雄であります。
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谷崎潤一郎は「自分の作品を単行本の形にして出した時に始めてほんたうの自分のもの、真に「創作」が出来上つたと云ふ気がする」「単に内容のみならず形式と体裁、たとへば装釘、本文の紙質、活字の組み方等、すべてが渾然と融合して一つの作品を成す」と。谷崎の小説を初版本で読みたくなる所以です。