初版道(@signbonbon)さんの人気ツイート(いいね順)

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本日、川端康成や三島由紀夫など多くの作家が愛し、檀一雄『火宅の人』の舞台となった御茶ノ水の山の上ホテルが新装オープンしました。超絶美味しいマンゴープリンも健在。もちろん綺麗になったけれど、落ち着いた雰囲気はそのまま。オリンピックもインバウンドも無縁なところが大きな魅力なのです。
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昔から初版本で読むと、復刻本で読むよりも目が疲れませんでした。本への愛着の差かと思っていたのですが、かつて印刷所を営んでいた方から「活版は微妙な紙の凹凸と、僅かな文字のかすれがあるので目に優しいんですよ」と伺い納得。活版の魅力は陰影や温もり・懐かしさだけではないことを知りました。
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梶井基次郎について、萩原朔太郎は「稀れに見る真の本質的文学者であつた」、横光利一は「静といふものをこれほど見極めて描いた作家は、まだ日本に一人もゐなかつたと思ふ」、川端康成は「その文業は不滅の輝き」と語っています。夭折が惜しまれる小説家は数多くあれど、樋口一葉と双璧でしょう。
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凄い写真集が出ました。『素顔の文士たち』(田村茂、河出書房新社)です。太宰治の「最期の27枚」を初めて完全収録。鎌倉文庫前の川端と久米、猫と戯れ破顔一笑する若き三島、煙草をくゆらす春夫、実篤の絵を飾った光太郎、息子を肩車する安吾など81人が登場。本棚がたくさん写っているのも嬉しいです。
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芥川比呂志は昭和21年、「新ハムレット」上演許可のため青森県金木町の太宰治を訪問。津島家の女性たちは「芥川さんのご令息が!」と驚き、女中の一人は「いい男だな」と。太宰はすぐに許可を与え、そしてひっきりなしに話し、笑ったそうです。初対面の比呂志に父龍之介の面影を重ねたのでしょうね。
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太宰治・坂口安吾・織田作之助の対談より(「どんな女がいいか」) 太宰「おれは乞食女と恋愛したい。」 安吾「ウン。さういふのも考へられるね。」 織田「もう何でもいいといふことになるね。」 これが無頼派らしい会話なのかはよくわかりませんが、志賀直哉が読んだら不快感を催すのは確実でしょう。
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家蔵の島崎藤村が菊池寛に送った書簡(昭和18年1月)がNHKのニュースに登場しました。藤村と徳田秋聲の深い親交がよくわかります。ちなみに、二人に賞金を贈ることを菊池と相談したのは武者小路実篤でした。 島崎藤村が菊池寛に宛てた直筆の手紙見つかる | NHKニュース www3.nhk.or.jp/news/html/2020…
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芥川龍之介に作家を食物に見立てた随筆があります。菊池寛「あの鼻などを椎茸と一緒に煮てくへば、脂ぎつてゐて、うまいだらう。」谷崎潤一郎「西洋酒で煮てくへば飛び切りに、うまいことは確である。」など皆褒められて(?)いる中で、なぜか室生犀星だけは「干物にして食ふより仕方がない。」でした。
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萩原朔太郎が与謝野晶子に贈り、晶子が自宅の書庫から持ってきて佐藤春夫に渡し、春夫がその場で読み耽った『月に吠える』初版原本です。一読した春夫は「神経で詩を作ろうとしているらしい」と感じたと回想しています。今からちょうど100年前の話です。
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三鷹市には「女と心中するような男に税金をかけるな」といった声が根強くあり、太宰治を顕彰する活動は容易ではありません。「文学サロン」も「展示室」も関係者の努力と献身の末に生まれたものです。太宰文学を愛し、三鷹市で生まれ幼少期を過ごした者として、これからはもっと応援しようと思います。
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芥川龍之介の甘いもの好きは有名ですが、次の文章がよくそれを伝えています。「芥川氏はこゝまで一気に語つて菓子をつまんで口の中へ入れ、いつまでも口中菓子だらけにしてもがもがする。」(「芥川龍之介氏縦横談」大正8年) もがもがしている芥川が目に浮かんでくるようです。
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一生の中で真の友と呼べる人はそう多くないでしょう。そんな人に死なれると本当に辛いものがあります。「人が百人の友の中から、その一人を失ふことは苦痛がすくない。けれども僅か二人、もしくは三人の友の中から、その一人を失ふことは耐えがたいかな。」芥川龍之介の死を悼む萩原朔太郎の言葉です。
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「本を読まないで語彙力がアップする方法はありますか」という質問を受けました。自分は本を読んで語彙を増やした人間なので、「谷崎も芥川も太宰もみんな読書家でした」と問いの期待に反する回答しかできません。ネットでは「会話による語彙力アップ」が出てきますが、相手を選ぶのが難しそうです。
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扶桑書房の3冊100円コーナー(初版本9割)です。恐らく業界最安値でしょう。
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泉鏡花に心酔していた中島敦が「今時の女学生諸君の中に、鏡花の作品なぞを読んでいる人は殆んどないであろうと思われる」と書いたのは昭和8年。しかし85年後の今日でも、難しい鏡花の文章を読もうと努力している女子学生(もちろん男子学生も)が数多く存在することを中島に教えてあげたいと思います。
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97年前の今日、関東大震災当日の芥川龍之介の様子。沈着冷静に見えますが、妻子をおいて外に飛び出し「赤ん坊が寝ているのを知っていて、自分ばかり先に逃げるとは、どんな考えですか」と文夫人に激怒され、「人間最後になると自分のことしか考えないものだ」とひっそり言ったことは記されていません。
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檀一雄に「君は(中略)天才ですよ。沢山書いて欲しいな」と言われた太宰治は「身もだえるふうだった。しばらくシンと黙っている。やがて、全身を投擲でもするふうに、「書く」私も照れくさくて、ヤケクソのように飲んだ。」(檀一雄『小説太宰治』)身もだえる太宰も、自分で言って照れる檀も可愛いです。
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「小説の神様」と称され、同時代の作家はもちろん、後世の作家にも絶大な影響を与えた志賀直哉。その没後50年に、出版社が企画や特集を組むこともほぼなく、コロナ下とはいえ大きな展覧会もありませんでした。昨年の三島由紀夫との比較は無理ですが、芥川龍之介や谷崎潤一郎の時と比べても気の毒です。 twitter.com/signbonbon/sta…
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93年前の今日、芥川龍之介は自らの命を絶ちました。この年は暑い日が続いたものの、昭和2年7月24日の東京は終日雨でした。友人知人達は降りしきる雨の中を駆けつけたのです。ちなみに芥川を敬慕した太宰治の遺体が発見された昭和23年6月19日も雨。稀代の天才作家達の死に天も涙したのかもしれません。
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3月1日は芥川龍之介の生誕日であると共に親友久米正雄の命日です。芥川が自死に際し「或旧友へ送る手記」を書き「或阿呆の一生」の原稿を託した久米が、脳出血で倒れたのは昭和27年2月29日。芥川の誕生日を待っていたかのように、翌1日午前0時30分(小谷野敦『久米正雄伝』による)に亡くなっています。
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今日は森鷗外の命日、鷗外忌です。芥川龍之介は夏目漱石を敬慕し、太宰治は芥川を敬愛していましたが、二人とも鷗外に対する尊敬の念はそれに劣らないものでした。他人への評価が厳しい永井荷風・日夏耿之介も鷗外信奉者。没後100年という節目の年に、この大文豪にもっと光が当たることを望みます。
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その昔田中角栄の演説を聞いた人が、「広い会場で自分だけに話してくれている錯覚を抱いた」と言っていました。太宰治の小説も、熱狂的な読者は自分だけに語りかけていると思います。角栄と太宰。今なお絶大な人気を誇る二人は、職業こそ異なれども、人を虜にする点では相通じるものがあったようです。
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泉鏡花は尾崎紅葉から「何でも構わず多く読め」「銭さへあれば本を買つて置け、どんな本でも三年立つうちには必ず役に立つ」と教えられました。鏡花によれば、紅葉は朝から深夜まで原稿を執筆しても、いつも床に入ってから読書をしたそうです。死期が迫る中、百科事典を購入した逸話を思い出します。
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萩原朔太郎『月に吠える』初版無削除版を前橋文学館に寄贈します(画像は本日付「朝日新聞」夕刊。掲載許可取得済)。寄贈書は、初めて手に入れた最も思い入れが強い無削除版です。文学の道に導いてくれた母が亡くなってもうすぐ1年。前橋の高校を卒業した母も、きっと喜んでくれると思います。
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菊池寛は、横光利一の葬儀で弔辞を読んだ2か月後の昭和23年3月6日、狭心症で急死しました。葬儀委員長は久米正雄。菊池の恩に何度も謝する川端康成の弔辞は、「私は菊池さんの生前一度も先生と呼んだことがありませんでしたのでここでもやはり菊池さんと言わせていただきました」で結ばれています。