426
427
428
谷崎潤一郎は「自分の作品を単行本の形にして出した時に始めてほんたうの自分のもの、真に「創作」が出来上つたと云ふ気がする」「単に内容のみならず形式と体裁、たとへば装釘、本文の紙質、活字の組み方等、すべてが渾然と融合して一つの作品を成す」と。谷崎の小説を初版本で読みたくなる所以です。
429
芥川龍之介は「創作を書き出す前は、甚だ愉快ではない。便秘してゐる様な不快さである」と語っています。お上品ではありませんが、これほどわかりやすい譬えもないでしょうね。ちなみに一年では冬から春にかけての季節、一日では午前が最も創作気分に合っているそうです。
430
太宰治は「文学賞を与へるとすれば」というアンケート(昭和11年)で『梶井基次郎小説全集』を挙げるほど高く評価していました。ちなみに太宰の小説「鷗」(昭和15年)で「梶井基次郎などを好きでせうね」と聞かれた主人公は、「このごろ、どうしてだか、いよいよ懐かしくなつて来ました」と答えています。
432
三島由紀夫は梶井基次郎について「氏は日本文学に、感覚的なものと知的なものとを総合する稀れな詩人的文体を創始したのであります」と書いています。梶井文学をこれほど適切に表現した言葉を他に知りません。
433
434
川端康成は、ある人物の作品を鑑賞し「私は遂に恐るべきものを見た。現代の日本に我々と共に生ける天才を見た」と絶賛しました。芥川龍之介?太宰治?三島由紀夫?違います。正宗白鳥です。もっとも「白鳥氏は邪神の眼鏡をかけてゐる。天才の業と云ふ外はない」そうだから、何だかよくわかりません。
435
ある高校の国語教師が、『羅生門』の授業で生徒を校庭に連れ出して、突然松の枝を折って燃やし、文中の「火をともした松の木片」を実演。インパクトはあったでしょうが、意図したように、生徒の作品への興味を引き出せたのかは存じません。ちなみに、教師は校長から始末書の提出を命じられたそうです。
436
今日は芥川龍之介の命日です。今年の東京は、桜桃忌も河童忌も晴天となりました。ちなみに昭和2年7月24日も日曜日でした。 twitter.com/signbonbon/sta…
437
坂口安吾によれば、織田作之助は安吾、太宰治との座談会の速記に「全然言はなかつた無駄な言葉を書き加へ」、その狙いは「読者を面白がらせる」ことだったそうです。安吾は「織田のこの徹底した戯作根性は見上げたものだ」と賞賛していますが、果たして太宰は織田の加筆に気がついたのでしょうか。
438
440
武者小路実篤は「夏目さんを一番敬愛」し、大学では学科が違うのに漱石の講義を2回聴講しました。『白樺』創刊号の「『それから』に就て」を褒める漱石の手紙に大喜びした実篤は、志賀直哉に電話をかけ、文面を読み聞かせたそうです。ちなみに漱石宅に電話が付いたのは2年後。さすがは実篤であります。
441
442
443
小林秀雄は、日本には真に詩人の名に値する者は稀だと言った武田麟太郎に、憤然として雑誌『四季』のあるページを示し、「君はこの詩人を認めないのか」と怒鳴りました。「この詩人」の名前は書く必要もないくらいでしょうね。もちろん中原中也です。
444
445
446
447
井伏鱒二によれば、関東大震災の時「菊池寛は愛弟子横光利一の安否を気づかつて、目白台、雑司ヶ谷、早稲田界隈にかけ、『横光利一、無事であるか、無事なら出て来い』といふ意味のことを書いた旗を立てて歩いた」そうです。事実かどうかは不明ですが、菊池が横光に対してならば、あり得る話でしょう。
448
450
夏目漱石は、卒論の口述試験が不出来だった森田草平に「口述試験に惨憺たるものは君のみにあらず」「試験官たる小生が受験者とならば矢張りサンタンたるのみ」「多数の人は逆境に立てば皆サンタンたるものだ」と書いています。落ち込んでいる時にこんな手紙を先生から貰ったら、泣いてしまいそうです。