初版道(@signbonbon)さんの人気ツイート(いいね順)

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谷崎潤一郎『春琴抄』(昭和8年、創元社)の朱漆表紙特装本(極美)です。表紙の題名と見返しの署名・花押は金蒔絵により盛り上がっています。両見返しは緞子を使用し、桐箱の題名と署名は谷崎の自筆。この超豪華本は朱黒両表紙あり、昔から計3冊製作と言われますが、6冊実見したので間違いです。
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島崎藤村と北原白秋。『思ひ出』によれば、白秋は実家の火災の折「泥にまみれ表紙もちぎれて風の吹くままにヒラヒラと顫へてゐた紫色の若菜集をしみじみと目に涙を溜めて何時までも何時までも凝視めてゐた」そうです。時に詩王16歳。後に憧れの人藤村と会う日が来るとは、思ってもいなかったでしょう。
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谷崎潤一郎は「自分の作品を単行本の形にして出した時に始めてほんたうの自分のもの、真に「創作」が出来上つたと云ふ気がする」「単に内容のみならず形式と体裁、たとへば装釘、本文の紙質、活字の組み方等、すべてが渾然と融合して一つの作品を成す」と。谷崎の小説を初版本で読みたくなる所以です。
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芥川龍之介は「創作を書き出す前は、甚だ愉快ではない。便秘してゐる様な不快さである」と語っています。お上品ではありませんが、これほどわかりやすい譬えもないでしょうね。ちなみに一年では冬から春にかけての季節、一日では午前が最も創作気分に合っているそうです。
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太宰治は「文学賞を与へるとすれば」というアンケート(昭和11年)で『梶井基次郎小説全集』を挙げるほど高く評価していました。ちなみに太宰の小説「鷗」(昭和15年)で「梶井基次郎などを好きでせうね」と聞かれた主人公は、「このごろ、どうしてだか、いよいよ懐かしくなつて来ました」と答えています。
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森鷗外『渋江抽斎』の自筆原稿発見に関する「朝日新聞」朝刊の記事です(画像掲載許可取得済)。簡単な来歴や文京区の購入の経緯・金額なども記されています。
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三島由紀夫は梶井基次郎について「氏は日本文学に、感覚的なものと知的なものとを総合する稀れな詩人的文体を創始したのであります」と書いています。梶井文学をこれほど適切に表現した言葉を他に知りません。
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泉鏡花は日本でラジオ放送が始まった大正14年に出演しています。鏡花曰く「どうもあの器械の前に立つと、声が吸ひとられて了ふようでうまくゆかぬ、やつぱり腹から声を出さず、咽喉から声を出すのでいかんらしい。」この時の写真を見ると少し緊張しているようですね。残念ながら音声は残っていません。
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川端康成は、ある人物の作品を鑑賞し「私は遂に恐るべきものを見た。現代の日本に我々と共に生ける天才を見た」と絶賛しました。芥川龍之介?太宰治?三島由紀夫?違います。正宗白鳥です。もっとも「白鳥氏は邪神の眼鏡をかけてゐる。天才の業と云ふ外はない」そうだから、何だかよくわかりません。
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ある高校の国語教師が、『羅生門』の授業で生徒を校庭に連れ出して、突然松の枝を折って燃やし、文中の「火をともした松の木片」を実演。インパクトはあったでしょうが、意図したように、生徒の作品への興味を引き出せたのかは存じません。ちなみに、教師は校長から始末書の提出を命じられたそうです。
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今日は芥川龍之介の命日です。今年の東京は、桜桃忌も河童忌も晴天となりました。ちなみに昭和2年7月24日も日曜日でした。 twitter.com/signbonbon/sta…
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坂口安吾によれば、織田作之助は安吾、太宰治との座談会の速記に「全然言はなかつた無駄な言葉を書き加へ」、その狙いは「読者を面白がらせる」ことだったそうです。安吾は「織田のこの徹底した戯作根性は見上げたものだ」と賞賛していますが、果たして太宰は織田の加筆に気がついたのでしょうか。
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坂口安吾から江戸川乱歩宛の『青鬼の褌を洗ふ女』献呈署名入り初版本です。発行は乱歩が『不連続殺人事件』を絶賛する前で、署名した時期は不明。旧乱歩邸の土蔵には旧蔵書の大半が残り、安吾の本も複数ありますが、署名本はないようです。外部に流出した乱歩宛署名本は3冊しか見たことがありません。
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谷崎潤一郎は署名本に印を捺すことが多く、しかも色々な印を用いた数少ない作家です。家蔵の署名本だけで8つの印が使われており、近代作家では突出しています。いくつ読めるでしょうか?
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武者小路実篤は「夏目さんを一番敬愛」し、大学では学科が違うのに漱石の講義を2回聴講しました。『白樺』創刊号の「『それから』に就て」を褒める漱石の手紙に大喜びした実篤は、志賀直哉に電話をかけ、文面を読み聞かせたそうです。ちなみに漱石宅に電話が付いたのは2年後。さすがは実篤であります。
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前橋文学館「ふだん着の詩集、よそゆきの詩集-萩原朔太郎著作展」(9月17日~12月11日)に全面協力します。生前の単著(珍しい異装版を含む)をほぼ網羅した空前の企画展。関連イベント「『月に吠える』初版無削除版を手にとって読んでみよう!」は一生に一度のチャンスかもしれません。是非どうぞ。
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山の上ホテル内コーヒーパーラー「ヒルトップ」の極上「タルトタタン バニラアイス添え」です。アイスが別添えのタルトタタンが多いけれど、こちらは温かいりんごのタルトケーキの上に、生クリームに覆われた冷たいバニラアイスが乗っていて、その絶妙な触感と味に陶酔します。
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小林秀雄は、日本には真に詩人の名に値する者は稀だと言った武田麟太郎に、憤然として雑誌『四季』のあるページを示し、「君はこの詩人を認めないのか」と怒鳴りました。「この詩人」の名前は書く必要もないくらいでしょうね。もちろん中原中也です。
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芥川龍之介の法要(昭和9年7月24日) 1列目左から菊池寛・徳田秋聲、1人おいて佐藤春夫・内田百閒、1人おいて長男比呂志・文夫人。3列目左から2人目三好達治・堀辰雄です。場所は芥川馴染みの田端自笑軒。遺徳を偲ぶ人々が集まりましたが、萩原朔太郎と室生犀星の不在が惜しまれます。
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菊池寛が最初の『芥川龍之介全集』のために書いた推薦文。有名な弔辞に比べ知る人は少ないと思いますが、こちらも名文です。「彼の創作集は、その形式に於て、彼の芸術の延長だつた。」百年の時を経ても芥川の初版本が光り輝き、それを探す人が絶えない理由の一端が、ここにあるのかもしれません。
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太宰治の墓前で自殺を図り亡くなった田中英光の第一小説集『オリンポスの果実』の初版本(昭和15年、高山書林)。帯は超ウルトラ珍しいです。英光はボートのオリンピック選手だったので、表紙の上部に五輪マークがあります。太宰の序文を読むと、文才は小説のみではなかったことが、よくわかりますね。
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井伏鱒二によれば、関東大震災の時「菊池寛は愛弟子横光利一の安否を気づかつて、目白台、雑司ヶ谷、早稲田界隈にかけ、『横光利一、無事であるか、無事なら出て来い』といふ意味のことを書いた旗を立てて歩いた」そうです。事実かどうかは不明ですが、菊池が横光に対してならば、あり得る話でしょう。
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芥川龍之介が亡くなった昭和2年に全国各地で開催された追悼講演会の入場券です。場所は愛知県岡崎市。錚々たるメンバーですね。ちなみに、こんなものまで蒐めているのは、漱石と鏡花と芥川と賢治と太宰だけであります。
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桜桃忌に相応しい雨模様の中、三鷹に行かれている方は、ぜひ太宰治文学サロンにもお立ち寄りください。明日までの特別企画を開催中です。写真撮影も自由。画像は展示されている全署名本7冊です。
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夏目漱石は、卒論の口述試験が不出来だった森田草平に「口述試験に惨憺たるものは君のみにあらず」「試験官たる小生が受験者とならば矢張りサンタンたるのみ」「多数の人は逆境に立てば皆サンタンたるものだ」と書いています。落ち込んでいる時にこんな手紙を先生から貰ったら、泣いてしまいそうです。