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次に紙幣の人物が変わる時は与謝野晶子を入れてほしいです。『みだれ髪』で短歌の革新を成し遂げ、源氏物語を現代語訳し、11人の子どもを育て、教育と女性の地位向上に尽力した晶子。「君死にたまふことなかれ」が紙幣登用の逆風になってはいけないと思います。令和に相応しい平和を願う歌なのだから。
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夏目漱石が "Ⅰ love you."を「月が綺麗ですね。」と訳した根拠となる資料は未発見ですが、松山中学の教師時代に「睾丸」の英語を生徒に聞かれ、即答したことは教え子が証言しています。ちなみに、漱石は学生時代に野球をやってボールを取り損ね、睾丸に当てて頻りに「痛い、痛い!」と叫んだそうです。
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「猫の日」の画像はやはりこちら。夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』上中下編初版本の表紙・カバー・扉・挿絵・カットなど猫尽くしです(上編は8版から中段左の異装カバーとなります)。
#猫の日
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室生犀星は装丁に深い関心を抱いた作家で、「他人の本はあまり見ませんが芥川君・佐藤君の書物には注意深い周到さが検印の朱肉にまでその跡をみせてゐるのにいつも感心してゐるのです」と書いています。朱肉までチェックしているのは流石ですが、芥川と春夫が本当にそこまで拘ったかはよく分りません。
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芥川龍之介が『奉教人の死』で触れたキリシタン版の書物を、多くの人が実在すると思い込んだのは有名な話ですが、谷崎潤一郎によれば『春琴抄』でも、春琴と佐助の墓がどこにあるのか、読者から問い合わせの手紙がかなり来たそうです。意図しなくても、それだけ芥川と谷崎の筆は冴えていたのでしょう。
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昭和2年7月27日、芥川龍之介を荼毘に付す火葬炉の鉄扉の札に、最初は「芥川龍之助」と書いてありました。それを谷口喜作(芥川が好んだ菓子店うさぎや主人)が「仏が気にしますから字を改めます」といったようなこと言って、「龍之介」に直したそうです。きっと芥川も安心して天国に行ったことでしょう。
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泉鏡花は全集の出版記念会で、最初に尾崎紅葉、次に両親の名を挙げて、生きていたらどんなに喜んでくださっただろうと述べ、最後に「それからもう一人番町で、影ながら皆さんにお礼申し上げてゐる者がございます」と妻すゞにも触れました。律儀にして愛情細やか。鏡花の人柄がわかる挨拶だと思います。
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夏目漱石の全集未掲載の文章を発見しました。内容も非常に興味深いです。「日本の古本屋」で近代文学専門店ではない古本屋から購入。ネットは誰もが公平に資料を入手できるチャンスがあります。
漱石が語る文学観 作家は「如何に世の中を解釈するか」:朝日新聞デジタル asahi.com/articles/ASM5Y…
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太宰治の友人の作家中村地平によれば、太宰は志賀直哉と谷崎潤一郎を比較した議論で「もちろん志賀さんがいい」と。また何度も志賀を褒めていたのを聞いたとも。「志賀さんの素朴は太宰の感傷を認めようとしなかつた。そこに太宰の不満があつた」という中村の意見は、正鵠を射ているのかもしれません。
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石川啄木と萩原朔太郎は共に明治19年生まれです。朔太郎が文壇にデビューした時、既に啄木はこの世を去っていましたが、北原白秋よりも与謝野晶子よりも、朔太郎は啄木を評価しています。三好達治の言葉を借りれば、彼はまさに「啄木贔屓」でした。天才歌人と天才詩人を会わせてみたかったですね。
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坂口安吾は太宰治の文学の本質を実によく見抜いていました。「自ら孤独をいたはることは文学ではない」「太宰は文章家としてのカンと、やはり戯作者だといふ点・・・彼は戯作者稟質を持つ、僕はそこを買つてる」「彼の小説には、初期のものから始めて、自分が良家の出であることが、書かれすぎてゐる」
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三島由紀夫は大蔵省勤務時代に大臣の演説の草稿を書き、課長に文章が下手だと言われ、上司が根本的に直した文章は「感情や個性的なものから離れ、心の琴線に触れるやうな言葉は注意深く削除され」ていたそうです。三島が早くに大蔵省を辞めたことは、日本の近代文学にとって誠に幸運だったと思います。
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留年した学生に「あの夏目漱石だって、落第して進級できなかったことがあるんだよ」と言って励ますのは結構ですが、漱石がその後一念発起して、卒業まで首席を通したことも伝えるべきだと思います。
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今日は武者小路実篤の誕生日です。実篤を始め志賀直哉・谷崎潤一郎などは、
当時の平均寿命を遥かに超えて生き、近代文学史に大きな足跡を残しました。いつの時代も、芥川龍之介・中原中也・太宰治など若くして亡くなった作家に人気は集まりがちですが、天寿を全うした誠にあっぱれな人生であります。