初版道(@signbonbon)さんの人気ツイート(いいね順)

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太宰治の遺体の第一発見者について、間違った情報がツイッター上で散見されますが、正しい発見者は通行人の大貫森一(35歳の公務員)という人物です。高校生の時に、昭和23年当時の雑誌に記された彼の家を訪ねたものの、会うことはできませんでした。今ならばメディアの取材が殺到していたでしょうね。
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「梶井基次郎、中島敦、太宰治の三人のことを、いまの文学青年の「三種の神器」と称するそうである」と安岡章太郎が書いたのは昭和39年です。それから55年。平成から令和になろうとしている今日でも、この「三種の神器」は変わっていないのかもしれませんね。
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武者小路実篤「芥川君の死」(『中央公論』昭和2年9月号)の自筆原稿。「同君のものを第一あまり沢山よんでゐない」「自殺といふものは、そのものとして僕は賛成出来ない」「生命力が強く、動物力が強かつたら死なずにすめたと思ふ」など、芥川の死を惜しみつつも正直な言葉が、実篤らしく印象的です。
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雑誌に掲載された「最近の芥川龍之介氏」より(大正12年)。菊池寛も佐藤春夫も、みんな好き勝手なことを書いて面白いです。
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太宰治・坂口安吾・織田作之助の作品が掲載された『現代文学』昭和18年新年号「特輯 傑作短篇二十人集」です。いわゆる無頼派三羽烏の作品が揃って登場する雑誌は、恐らくこれしかないと思います。
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坂口安吾は「日本文学は貧困すぎる。小説家はロマンを書くことを考へるべきものだ」とし、「小説は、たかが商品ではないか」とドキッとするようなことも。しかし続きを読めば、彼の真意が伝わってきます。「そして、商品に徹した魂のみが、又、小説は商品ではないと言ひきることもできるのである。」
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川端康成は太宰治『女生徒』の批評で、「文学の青春の一つの現れは、無謀なまでに極端な潔癖であつて、それが「既成の小説の作法」や「おとなしい小説」を避けて、純粋に自分のものを求め、健全な常識からは、「変質者の独語」と受け取られる」と。川端が説く「変質者の独語」には説得力があります。
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川端康成の「坂口安吾氏の文学は、坂口氏があってつくられ、坂口氏がなくて語れない」という弔辞は有名だし名言に違いないけれど、個人的には「安吾はよく書き、よく褒めた。褒めるのは自分の書いたものにきまっている」という石川淳の言葉の方が好きです。
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夏目漱石が芥川龍之介に送った名言「むやみに焦ってはいけません。ただ牛のように図々しく進んでいくのが大事です」の書かれた手紙の映像も登場。芥川は師の言葉に従うことができませんでした。 芥川龍之介生誕130年 旅の軌跡たどる企画展 甲府|NHK 首都圏のニュース www3.nhk.or.jp/shutoken-news/…
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あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。さて令和4年は寅年。近代文学で虎と言えば、すぐに思い浮かぶのは中島敦『山月記』でしょう。ちなみに今年は『山月記』発表から80年にあたり、中島没後80年(与謝野晶子・北原白秋・萩原朔太郎も)です。色々と催しもあると思います。
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芥川龍之介の3回忌法要の写真。遺族に寄り添うかのような菊池寛の姿が印象的です。掲げられた遺影は、書斎での有名な写真でしょうか。
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近代文学の名著を読もう(再読を含む)としている方に、図書館で復刻本を借りることをお勧めします。『月に吠える』『春と修羅』『山羊の歌』など詩集は特に。中原中也と並び称される抒情詩人立原道造は「初版本で読むと詩の内容まで良くなる」と。復刻本でも十分に刊行当時の雰囲気が味わえるでしょう。
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今日のNHK「あさイチ」は「推しのいる生活」。推しのアニメの舞台となった町に移住した方など猛者ばかりでした。近代文学作家を推している代表として、桜桃忌で太宰治の墓前で知り合った男性と結婚し、三鷹で古本カフェを開業した「フォスフォレッセンス」のご主人にも登場してもらいたかったです。
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今日は泉鏡花の命日です。戒名は佐藤春夫が「妙文院水月鏡花居士」と「幻妙院鏡花日彩居士」の2案を作成。徳田秋聲が前者を「聊か通俗」と評し、後者になりかけたものの、日蓮宗では女性の戒名に用いる「妙」を男性には使わないと指摘され、「幽幻院鏡花日彩居士」に。最も鏡花に相応しい戒名ですね。
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志賀直哉は昭和8年の日記に「小林多喜二二月二十日(余の誕生日)に捕へられ死す、警官に殺されたるらし、実に不愉快、一度きり会はぬが自分は小林よりよき印象をうけ好きなり」と。ちなみに志賀宛の『蟹工船』は日本近代文学館蔵。改訂版しか手許にない多喜二は、古本屋で初版本を買って寄贈しました。
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二葉亭四迷の妻によれば、夫が船中で亡くなった時、遺体の枕の下から「遺族のことをよろしく頼みます」と書かれた坪内逍遥宛の手紙が出てきました。逍遥はすぐに内田魯庵と遺稿集『二葉亭四迷』を編纂し、鷗外・漱石・露伴・藤村らが執筆。彼は以後も遺族をサポートし、二葉亭の願いに応えたのでした。
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ある文豪の新刊書店で手に入らない「名作」の出版企画を、ダメ元で親しい編集者に持ち掛けたところ、何と来春の刊行が決まりました。ネットはもちろんのこと、全国の書店で購入できます。企画料はゼロですが、ファンの皆様には必ずや喜んでいただけるかと。情報が解禁になったらすぐにお知らせします。
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佐藤春夫が編集し、物故作家59人の写真と略伝が載った『文芸懇話会』昭和12年5月号です。太宰治は、近代文学関係で唯一この雑誌を三鷹時代にずっと書斎に置き、特別に大切に保存していました(美知子夫人の証言)。きっと太宰も、この可愛いポーズの芥川龍之介の写真を何度も眺めたのでしょうね。
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今日は横光利一の誕生日です。彼の人柄について、多くの人が「誠実」という言葉を使っています。妻と子を戦災で亡くした弟子の八木義徳は、戦後横光の家を訪ねた時「きみにはすまないことをした」と言われ、感動で涙が出そうだったそうです。間違いなく横光は誠実な人でした。そして心優しい人でした。
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横光利一が亡くなった時、川端康成は画家荻須高徳の部屋で、空が大きく雲の多い2枚の絵を見ていました。後で横光がその時刻に死去したことを知った川端は、その絵を借りて自宅で眺め、「雲によつて私は横光君に出合ふやうにも感じた」と書いています。川端の友情に天国の横光も感謝していたでしょう。
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かつて芥川也寸志さんと会った時「お父さんもこの声に近かったのかな」と思いました。龍之介は「低く静かな、それでいて力強く、たくましいとさえ言ってよい声」「名鐘の余韻に近いような声」だったという証言があります。個人的には、漱石芥川賢治中也太宰が、肉声を聴きたかった近代作家五人衆です。
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太宰治の初版本に関する嬉しい新発見のお知らせをいただきました。間違いなく、この情報で日本一興奮するのは自分なのですが、太宰ファンであれば誰でも喜んでくださるでしょう。今月中に発表があると思います。どうぞお楽しみに!
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太宰治・坂口安吾・織田作之助が揃って収録された戦意高揚の書『辻小説集』(昭和18年、八紘社杉山書店)の初版本です。緒言は久米正雄で、執筆者は谷崎潤一郎・武者小路実篤・菊池寛・小栗虫太郎他。国家統制の前では文学思潮など無関係でした。今となっては後世への戒めの書と言えるのかもしれません。
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英語教師芥川龍之介は「歯切れの好い発音ですらすらと、自然なアクセントで読んで、さて講義にかゝる。時々芸術的な訳方をしたり、拙訳と巧訳との例を対照して、全く生徒をチャームしてしまふ。休みの時間には文学好きな生徒に取巻かれて、芸術談をやる」とのこと。夏目漱石より楽しそうな先生ですね。
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友人に「もうツイッターで(笑)を使わない方がいいよ。古いから」と言われましたが、芥川龍之介が(笑ふ。)と書いているのだから(多少違いますが)、大丈夫だと思います。