初版道(@signbonbon)さんの人気ツイート(いいね順)

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最近「自己肯定感」という言葉をしばしば耳にしますが、「自尊心」との違いがよくわかりませんでした。近代文学にも詳しい心理学者に尋ねたら、英語を交えて説明した後で「例えば太宰治は自尊心は強いけれど、自己肯定感は低いわけです」と。そうなのでしょうか。不慣れな言葉は使わないことにします。
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墓の名前を書いた人(後編) 太宰治→本人、檀一雄→草野心平、坪内逍遙→市島春城、土井晩翠→本人、徳冨蘆花→徳冨蘇峰、中野重治→原泉(妻)、中原中也→本人、夏目漱石→菅虎雄、二葉亭四迷→池辺三山、正岡子規→陸羯南、正宗白鳥→本人、三好達治→本人、森鷗外→中村不折、横光利一→川端康成
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一昨日亡くなられた羽田雄一郎参議院議員の祖父武嗣郎氏(元衆議院議員)は昭和12年羽田書店を創業し、宮沢賢治の『風の又三郎』『グスコーブドリの伝記』などを出版。武嗣郎氏の長男孜元総理大臣は、父親が賢治顕彰に貢献したことを誇りに思うと私に語っていました。雄一郎議員のご冥福をお祈りします。
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10月30日は「初恋の日」。明治29年、島崎藤村が「初恋」の詩を『文学界』に発表したことに因んだそうですが、同誌で藤村と共に同人だった上田敏は、「そんなことよりも今日は私の誕生日だ!」と言いたいところでしょう。もっとも泉鏡花にとって10月30日は、尾崎紅葉の命日でしかありえないと思います。
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芥川龍之介の自殺が当時どれほど大きな衝撃を周囲に与えたのか、片山広子の言葉が端的に伝えています。「芥川さんはご自分だけでなく、ご自分の死によってまわりの人たちまで一緒に死なしておしまいになりました。」芥川が「越し人」と呼んだ広子も、「まわりの人たち」の一人だったのかもしれません。
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新婚時代の谷崎潤一郎と2人目の妻丁未子。この写真を目にされたことがある方は少ないでしょう。美貌の妻との結婚生活は、長くは続きませんでした。
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山の上ホテル内コーヒーパーラー「ヒルトップ」の「薔薇とライチのパフェ」と「トロピカルパフェ」です。8月31日までの限定メニュー(もう一つは「抹茶パフェ」)。お近くに来られた方は、名物の12時間かけた水出しコーヒーと一緒にどうぞ。至福の時間をお約束します。
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中原中也『山羊の歌』の装丁者高村光太郎はどの部分に携わったのか。題字だけという説もありますが、函を見比べれば、同じ文圃堂の光太郎装『宮澤賢治全集』のように、という中也の懇請に応えたと思えるのです。現存する『山羊の歌』(確実に百冊以上)の多くは、今もこの堅牢な函に守られています。
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小林秀雄は太宰治没後の正宗白鳥との対談で、「太宰つていう人はバカじやありません。ヒステリイです。バカとヒステリイは違いますからなあ。ヒステリイにはヒステリイの智慧がある」と語りました。小林は太宰に中原中也と近いものを感じていたのではないか、これを読むたびにそう思ってしまいます。
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今年の大学入試センター試験の国語に上林暁の「花の精」が登場。渋い作家だけれど、昔は初版本を探す熱心なファンも多かったです。珍本もあって、フルコンプリートに15年位かかりました。太宰治とも親交があり、太宰の「黄金風景」と上林の「寒鮒」が「短篇小説コンクール」で当選を分け合っています。
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文章を書く時に、読点(、)をどこに打つか迷うことも多いと思いますが、あまり悩まなくてもよいのかもしれません。芥川龍之介でさえ「読点はいかにうつべきか、といふ法則がないので、これが一ばん困りますね」と言っていますから。
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芥川龍之介は小学生の時、「可愛いと思ふもの」と「美しいと思ふもの」を「象」と「雲」と答えたら、「雲などはどこが美しい?象も唯大きいばかりぢやないか」と先生が×印が付けました。正解がない問題こそ、教師は子供の自由な発想を否定しないでほしいものです。先生は忘れても、子供は覚えています。
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文豪 森鴎外の直筆原稿の一部 新たに見つかる | NHK www3.nhk.or.jp/news/html/2022…
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芥川龍之介は夏目漱石の死の直後「僕一身から云ふと、外の人にどんな悪口を云はれても先生に褒められゝば、それで満足だつた。同時に先生を唯一の標準にする事の危険を、時々は怖れもした」と。「センセイキトク」の電報をもらい「歓びに近い苦しみを感じてゐた」(『或阿呆の一生』)を思い出させます。
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高村光太郎が戦後、花巻郊外に住んでいた時の本棚の一部です。宮沢賢治の本があるのは驚きませんが、ここに移った後で刊行された『中原中也詩集』(創元社)も、一緒に並んでいることに感動します。中也は『春と修羅』を早くから高く評価していたし、もちろん光太郎は『山羊の歌』の装丁者ですから。
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講演会場での芥川龍之介(大正12年)。演題は「プロレタリア文芸」でした。両手が格好いいですね。
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『人間失格』で「何か面白い本が無い?貸してよ。」と頼まれた主人公は、「漱石の『吾輩は猫である』といふ本を、本棚から選」んでいます。原稿を見ると、最初に「本棚から出」と書いた跡が。恐らく中学時代の太宰の本棚にもあったのでしょうね。尊敬した芥川の師漱石とのささやかな接点です。 #猫の日
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谷崎潤一郎が初めて萩原朔太郎・室生犀星と会ったのは大正6年、伊香保温泉でした。谷崎は朔太郎の話しぶりを「非常に静かに、決して抑揚をつけることなく、低い調子で、うすい唇を神経質にふるはせながら、縷々として物語る」と書いています。同年刊行の『月に吠える』のイメージそのものですね。
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芥川龍之介は亡くなる少し前に「僕は僕の小学時代にも作文は多少上手だつた」と書いています(「本所両国」)。しかし現存するその時代の文章を読めば、「多少」が謙遜しすぎなのは自明です。芥川は小学生の頃から芥川だったのでした。
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雑誌の口絵に登場した谷崎潤一郎(大正10年)。天才で、しかもハンサム。羨ましい限りです。
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新元号の出典が「万葉集」だったので、天国の太宰治も喜んでいるでしょう。彼のペンネームの由来については諸説入り乱れているけれど、本人は妻美知子と女優関千恵子に「万葉集」と明言していますから。ちなみに、金子みすゞの「みすゞ」は「万葉集」の枕詞(の誤読)に由来するそうです。
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芥川龍之介の死を悼む名言はたくさん残されていますが、個人的には菊池寛の弔辞や泉鏡花のコメントと並んで、広津和郎の言葉が胸を打ちます。「芥川は、死ぬ時、兜のなかに香を入れておくやうな心がけの男であつたなあ・・・やつぱり、芥川は、ういやつであつたなあ・・・」
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太宰治が青森中学時代に主宰した超稀覯雑誌『蜃気楼』12冊揃いが山梨県立文学館に収蔵、公開されます。他に現存確認は日本近代文学館の2冊のみ。なかなか終の棲家が決まらず、行方不明のリスク回避のため一時は自分で買おうかと思ったけれど、担当者の熱意が実を結びました。太宰ファンは必見です!
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今日は北原白秋の誕生日です。白秋は萩原朔太郎や室生犀星などに影響を与えただけでなく、自ら主宰する雑誌に作品発表の機会を与えた点でも日本の近代詩発展に大きな貢献をしました。夏目漱石がいなくても芥川龍之介は登場したと思いますが、白秋なくして朔太郎も犀星も生まれなかったかもしれません。