息子に何度電話をかけても出てくれない。一人暮らしを始めたばかりで心配なのに。仕方なくLINEを送ると『ごめん寝てた』と短い返事がきた。『いつも寝てるわね』と打とうとして、やめた。窓の外では夕立が降っていた。亡くなった母が恋しい。私も同じことを言って、母からの電話に出ない時期があった。
苦手なタイプの子が隣の席になった。先生にもタメ口で、校則違反の服装、話題は彼氏や遊びのことばかり。私とは正反対だ。恋やお金とは遠く、必死で勉強している。そんなある日、彼女のテストの点数が見えてしまった。全て私より上だった。規則通りに結んだ胸元のリボンが、虚しく見えて仕方なかった。
大好きな人にプロポーズされた。子宝にも恵まれた。幸せだ。「パパ、みてみて!」「お、上手にできたね」積み木で遊ぶ娘と夫を、ずっと見ていたいような昼下がり。夫はふらりと台所に来た。「ママ、何か飲み物ある?」うんと頷く。言葉にできない寂しさが胸に詰まった。彼はもう、私を名前で呼ばない。
「私にしとけば?」なんて言って、君に近づく勇気はなかった。「最近倦怠期なんだ」その言葉に期待せずにはいられなくて、いつもより暑い夏だった。君が別れたら、君が別れたら。想像しながら歩いたら君の背中を見つけた。小柄なあの子の手を引いていた。木陰で一人立ち止まる。仲良しじゃん、嘘つき。
時々、人の目の中に数字が見える。それが付き合ってから別れるまでの年数だと気づいたのは、二十歳の時だった。それ以来恋愛から遠ざかっていた。付き合っても虚しくて。そんな自分がまた恋に落ちた。数字は見えていたけれど、それでも好きで付き合った。共に生きようと思う。君と素晴らしい五十年を。
「二人はなんで同棲しようと思ったの?」友人を交えた飲み会でそんな質問を受けた。理由か。彼の家の方が職場に近いし、節約にもなるし、あとは……。どれを挙げようか迷っていると、彼がさらりと答えた。「一緒に住みたかったから」友人は単純、と笑ったけれど、私にはその答えが胸に深く響いていた。
絶対に振り向かない人を好きになった。中途半端に優しくされるから苦しくて仕方ない。涙も枯れ、病院に足を運んだ。「あの人のことを忘れたくて」今は治療を受けることで特定の記憶を消せるはず。楽になりたい。けれど医師は「できません」と頭を振った。「この治療は三回までしか受けられないんです」
彼女は最高の恋人だった。出会いは大学の入学式。隣の席になったことを、運命だと思うほど日に日に惹かれた。六月の雨の中、彼女は僕の告白を泣いて喜んだ。初めて手を繋いだ瞬間を、きっと死ぬまで忘れない。仕事を始め、僕らは恋人でいるのをやめた。都会の空に月が見える。彼女は最高の妻になった。
『もう別れようか?』そこまで入力したのに送信するのを躊躇っている。恋人にはもう長らく会っていない。電話すらしない。だからこの言葉を送っても変ではないけれど、何か違う気がしていた。初めての恋人と私はどうなりたいんだろう。一晩悩み、早朝に送信ボタンを押した。最後の疑問符を消した後で。
毎日飲まなきゃいけない薬がある。飲むと胃がムカムカしたり熱が出たりして嫌だった。そんなある日、お医者さんから「薬はもう飲まなくて大丈夫」と言われた。嬉しくてお母さんに抱きついた。「よかった。あれ嫌いだったの」そうだねと抱きしめ返すお母さんの肩が震えていて、なぜだか泣きたくなった。
「長く続いたドラマの最終回でさぁ、初期の主題歌流すことあるじゃん」彼女はベッドの上でスマホを触りながら言った。「あれってエモくない?」僕は「分かるわ」と返事をした。ベタな演出だがいつも胸が熱くなる。ふと彼女のスマホから音楽が流れ始めた。付き合いたての頃に二人でよく聴いた曲だった。
ネットの友達がアカウントを消した。突然だった。夜が明けても消えたままで、私は動揺を隠して学校に行った。友達とはいつものように漫画の話をした。先生のものまねで盛り上がった。なんだ、私ちゃんと笑えるじゃん。ただあの子がいないだけだ。真夜中に病む私を知る人が、いなくなってしまっただけ。
彼女が目を合わせてくれない。そのせいで喧嘩したまま半日が経った。僕としてはそろそろ仲直りをしたいのに。ソファに腰掛け、彼女は分厚い本を読み続けている。ページを捲る音がいやに響く部屋で、僕はついに口を開いた。「こっち見てよ」「無理」即答だった。「どうして」「顔見たら許しちゃうから」
「好きだよ」と言ってくれないところ以外全部好きだった。まめに連絡をくれて、私に触れる手はいつも優しくて、笑顔が可愛くて。友人からは愛されてるねと言われる。けれど夜が来るたびに涙が溢れた。悲しいのではなく情けなかった。言葉しか信じない自分を変えられない。ずっと大切にされているのに。
デートに二時間遅れた。彼は寂しそうに俯いていた。後悔が膨らんでいく。「ごめんね。代わりに何か一つお願いを聞くから」「いいの?」嬉しそうにしていたのに、彼は何も求めなかった。誰よりも優しい人。そんな彼は、私の病気が分かった時に泣いた。「死なないで、お願い」私はいいよと頷きたかった。
人気作とは別に、神田澪が個人的に気に入っている物語も4つ選んでみました。 #2020年の作品を振り返る
「男女の友情って成立すると思う?」大きな入道雲の下を自転車で駆ける夏。隣で汗を垂らす幼馴染は、だるそうな目でハンドルを握っていた。「そりゃ、成立するだろ。俺とお前がそうじゃん」朝早くから耳を刺す蝉時雨。自転車は進む。「だね。私もそう思う」私はいつものように、大きな声で嘘をついた。
寝ようとした時、玄関の扉が開く音がした。彼が帰宅したようだ。「もう寝た?」小声で問いつつ、私のいる寝室に入ってきた。その時ふとひらめく。寝たフリをして、急に起き上がり驚かせてみよう。よし行くぞ、三、二、一。刹那、私は動きを止めた。彼は私の薬指に、糸のようなものをそっと巻いていた。
あっさり振られた。「部活と勉強が忙しくて……」ユニフォームを着た君は申し訳なさそうに去っていった。けれど、その背中を恨むことはできなかった。正直な君を好きになったから。その後、クラスメイトから君に恋人ができたと聞いた。ちゃんと嫌いになれそうだ。そっか、君は一週間で暇になるんだね。
彼とスーパーに行った。昔は二人で買い物というだけで心躍ったが、今ではこれが日常だ。無口な彼は必要なものを淡々とカゴに入れていく。「他に買うものある?」いや、と答えると彼はすぐレジに並んだ。分かりにくいがかなり好かれていると思う。カゴの中には知らぬ間に私の好きなお菓子が入っていた。
「えっ、ネックレス!?」彼から渡された箱を開けて驚いた。なにせ無駄を嫌う人で、友達だった五年間、誕生日にくれたものは実用品ばかり。「また役立つ便利グッズかと」「使うといいことあるかもよ?」まさか。けれどある時気づいた。このネックレスをつけた日は、いつもより彼の機嫌がいい気がする。
森の奥の廃病院に少年たちがやってきた。「なーんだ、やっぱり幽霊なんていないじゃん!」先頭を歩く少年は笑う。怨霊である私は、まずはこの子からだなと腕を鳴らす。すると後ろにいた少年が「こんなところにいられるか!俺は帰らせてもらうぜ」と踵を返した。困った、どっちから襲うのが正解なんだ。