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いつも明るい友人がどうも苦手だった。何をしても「楽しい」とはしゃぎ、どんな映画を見ても「感動した」と泣く。流されやすくて浅いやつだなんて考えていた。けれど大人になって気づいた。あいつ以外、自分も周りも居酒屋で愚痴ばかり。暗い帰り道で思う。こんなに簡単なんだな、気難しくなるのって。
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高校時代ずっと付き合っていた彼と友達に戻った。けれど趣味が合って、今でも時々一緒に出かける。今週末もそうだ。土曜の朝、私は鏡の前であれこれ悩んでいた。いつものスカートはやめてジーンズが無難か。髪型ももう少し手を抜こう。ふうと息を吐いた。困ったな。やっぱり私達は、友達とは少し違う。
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夜、誰も触っていないはずの本棚からバサッと本が落ちた。幼い娘は「ママ」と言って泣いた。ここ最近、こういった不可解な現象がよく起こる。本を拾い上げ、大粒の涙を流す娘を抱きしめた。床に落ちてきたのは娘の大好きな絵本だった。生前、妻は幽霊になって戻ってくるからと僕達に言い聞かせていた。
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十年付き合った彼女と別れることになった。制服姿で手を繋いだ日々は過ぎ、もう二十代半ば。「最後に写真を見ようよ」古びたソファに腰掛け、彼女は僕を手招きした。水族館、温泉旅行、どれも懐かしい。けれど僕らは途中で見るのをやめた。ここ数年の写真が少なすぎると、きっとお互いに気づいていた。
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「元気?」と、前の恋人から連絡が来た。「元気だよ。そっちはどう?最近暑くなってきたね。そういえば、あの部屋から引っ越した?置きっぱなしの服、もう捨てたかな。ねえ、新しい彼女、私より可愛い?」打った文字を全て消した。やっぱり返信はしない。君に甘えたら私、あのさよならを壊してしまう。
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「あっ!」彼が急にスマホの画面を指差した。なぜか口をパクパクさせながら。「どうしたの?」映し出されていたのは子猫の写真だった。真っ白なタオルの上でとろんと眠そうな目をしている。「可愛いね」私の言葉に彼は嬉しそうに頷いた。なるほど。昨日、他の子に可愛いって言わないでと怒ったせいか。
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再婚相手の息子から嫌われている。「ちゃんと宿題やったのか?」リビングでゲームをする息子に声をかけると、顔を真っ赤にしてキレ始めた。「うるせぇ。クソオヤジ」ソファから立ち上がり、扉をバンと閉めて出て行ってしまった。その姿を見て思わず涙が出そうになった。昨日までは苗字で呼ばれていた。
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二十歳の誕生日、タイムカプセルを開けた。中には十歳の私が書いた手紙が。『未来のわたしへ。夢は叶いましたか?幸せですか?もしそうなら、手紙は捨てていいです。過去はふりかえるな!』思わず笑ってしまった。かっこいいことを書きたい年頃だったようだ。深夜、私は色褪せた手紙を大切にしまった。
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二十歳になるのが嫌だ。「明日は誕生日だね」夜、お母さんはカレンダーを見て微笑んだ。私もついに大人だわ、と大げさに嬉しいふりをする。泣いてしまわないように。やりたいこともないくせに、何かをやり残した気がしていた。部屋に戻り、窓を少し開けた。高い星を見た、あと五分だけの十九歳だった。
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付き合いたての彼に何かしてあげたくてたまらない。「お腹空いた?」読書中の彼は「いや」と即答した。「じゃあコーヒーでも」「いらない」一人で泣きそうになっている面倒な私に気づいたのか、彼は「隣にいるだけでいいよ」と言った。単純な私はその言葉を鵜呑みにして、年をとった今も彼の隣にいる。
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「ずっと待ってる」と君はひび割れた笑顔で言った。私は告白を断ったのに。その言葉通り、次の日も変わらず挨拶してくれた。真夏の太陽みたいだった。いつでもそばにいてくれる君に恋をしたのは紅葉が舞い落ちる頃。私の告白を聞いて君は号泣した。「嘘ついてごめん。待ち続けられるほど強くなかった」
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「好きな人の定義とは?」放課後、意味もなく友人と教室に残った。「一緒にいると毎日が映画のワンシーンみたいに思える人」さすが、優等生は言うことが違う。「何かの引用?」「いや。今、映画の主人公みたいな気分だから」そんな恋してみたいな、とはしゃぐと、友人はなぜか泣きそうな目をしていた。
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努力は実るって言葉が嫌いだ。それを言った部活の顧問も。夏、努力した僕らは初戦で負けた。虚しいほどの大差で。「努力は実るなんて嘘ですね」それは幼い八つ当たりだった。顧問の先生は答えた。「ごめんな。信じさせてあげたかった」その涙を見て、僕はなぜか、試合に負けた時よりずっと悔しかった。
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失恋して二年が経った。通学路に舞い落ちる紅葉をかつては君と見ていた。初めての恋人だった。今は友人ですらないが。あの頃、君よりも愛せる人はいないと信じていた。ほんの一瞬会えただけで満たされるほど好きだった人。そんな人と別れても立ち直れる自分に心底がっかりして、同じくらいホッとした。
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隣の席の君は人気者だ。優しくて、爽やかで、クラス内にファンクラブがある。私だけは入ってないけれど。そんな君と委員会が一緒になった。夏の午後、並んで花壇に水やりをする。「すごいね、ファンクラブ」君は意外にも不機嫌そうに答えた。「別に、あんなの意味ないよ。俺の好きな子は入ってないし」
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二人で食べようねと言った高いチーズがまだ残っていた。冷蔵庫に入れたお酒の缶も、使い古した枕も、傘もコップも偶数なのに、君がいない。別れ際、捨てておいて、と君は手を振った。好きでもないカップ麺を食べながら、LINEのお気に入りから君を外した。死ぬまで一緒にいると信じていた人だった。
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彼と大喧嘩をした。だけど離れられないのが同棲のつらいところだ。夜、お互い背を向けてベッドに入る。すると彼が肩をちょんとつついてきた。「寝る前に仲直りしないと駄目なんだって」「誰に聞いたの」「この前読んだ本に書いてあった」何言ってんだか、と笑って振り向く。本を読むのは苦手なくせに。
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別れた彼女のことを忘れると決めた。いつまでも落ち込んでばかりはいられない。夜中まで仕事に打ち込み、サボりがちだったジムに通い、友人を飲みに誘って語り合った。お陰で忙しくなった。毎日充実している。それなのに、仕事で疲れた後や飲み会からの帰り道で、無性にあの子に会いたくなるのだった。
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出会って一週間で付き合った。そんな衝動的な恋も、気づけば三年続いている。「ねえ、初めて会った時から好きかもって思ってた?」蝉の鳴き声が響く夜の公園で彼に聞いてみた。「いや。違うこと考えてた」彼は首を横に振った。当然頷くと期待していたのに。「ずっとこの人を探していた気がする、って」
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溶けた氷が夏の音を立てる。カフェの窓際で、俯いたまま次の話題を探していた。遠くに引っ越した君に会うのは半年ぶり。「多かった?」半分残したコーヒーを指差して君が言う。曖昧に笑ったのは、飲み干すのが帰りの合図になりそうだったから。空になった君のグラスと比べると、愛の残量みたいだった。
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長年、陰湿な嫌がらせを受けている。相手は匿名。しがない画家である僕をなぜそこまで恨むのか。ついに耐えられなくなり、犯人探しを始めた。すると嫌がらせをしていたのはよく絵を買ってくれるファンだと分かった。理由を聞くと相手は微笑んだ。「大好きなんです。貴方が塞ぎ込んでいる時に描く絵が」
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パパには人に言えない趣味がある。15歳の夏、私は偶然その秘密を知った。タンスの奥、スラックスの下に隠されていたのは、フリル付きのワンピース。一体いつ着ているんだろう。試しに袖を通してみたある日、パパが急に帰ってきた。「マジかぁ」その目には涙が。生前、ママはよくこの服を着たらしい。
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私の両親は忙しく、子供の頃はいつも一人で遊んでいた。だからだろうか。自分が親になった時、家族との時間を大切にしたくなった。遊園地も水族館も何度も行った。けれど今年成人する娘は「行ったっけ」と首を傾げる。あの日々は儚く消えたのだ。でも、と娘は言う。「毎日楽しかったことは覚えてるよ」
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大好きな人がいた。この人と結婚するんだと信じて疑わなかった。可愛いスカートを買ったのも、いくつものヘアアレンジを覚えたのも、その人と付き合ってから。別れたとき、このまま死ぬのも悪くないな、と思った。「他に好きな人ができた」一番悲しいさよならの理由を口にしたのは、三年後の私だった。