好きだけど話すのが怖い。そんなことを考えるくらいには、恋という病が進行していた。『今週末どこか行かない?』勇気を振り絞って送ったLINEは、二分後に返事がきた。『先週も出かけたし、今週はいいかな』淡白な君らしい文章に気が遠くなる。君は週に一度でも多すぎで、私は毎日だって会いたかった。
「俺が先に死んだら新しい人を見つけてよ」夕陽が差し込む部屋で彼がボソッと言った。すぐには返事ができず、ただその横顔を見ていた。「他の人にとられてもいいんだね」そっちもね、と頷けない子供っぽい自分が嫌になる。そんな私の手を強く握り、彼は困った顔で笑った。「嫉妬しないとは言ってない」
同窓会で初恋の人と再会した。大人びた横顔が眩しく見える。「中学生の頃、毎年義理チョコもらってたじゃん。実はあれ、すごい嬉しかった」当時は恥ずかしくてお礼も言えなかった僕が、今は素直な気持ちを曝け出せる。けれど君は悲しげに目を伏せた。「義理チョコなんて、一回も渡したことないけどね」
彼は手先が不器用だ。特にネクタイを結ぶのが下手で、私の仕上げが日課になっている。「今日もありがとう」優しく抱きしめてくれるから、朝の時間が好きだった。リビングから聞こえるテレビの音で目覚めたある日。スーツを着た彼はネクタイを綺麗に結んでいた。「ばれた?」彼は照れた顔で襟を正した。
結婚して五年。記念日の夜、子供達が眠った後に二人だけで乾杯した。「もう恋愛感情とかドキドキとかはないけど、お互いほのかな愛情を感じるようになったよね」妻は結婚指輪をそっと撫でて言った。嘘はつきたくなくて曖昧に笑った。そうだね、としみじみ頷けたらよかった。僕だけがまだ恋をしていた。
合コンで元彼と鉢合わせになった。狭い居酒屋の席でお互い他人のふりをした。「前の恋人はどんな人だった?」友人から急に聞かれ、私は正直に答えた。「優柔不断で、頼りない人だったな」その後、元彼も同じ質問を受けた。「気が強いけど……すごく優しい子だった」私はそっと顔を背け、目頭を拭った。
ジャンクフードが食べたい。なぜだか、無性に。時計を見ればちょうど昼時。ついでにと、最近少し気になっている人を誘った。すぐに店に来た君は、コーヒーだけを頼んでいた。実はジャンクフードが苦手らしい。「言ってくれれば他の人を誘ったのに」君は頭を掻いた。「それが嫌だから来たんだけど……」
「夜になったら会いにいくよ」君はそう言ってくれたけれど、ついぞ玄関のチャイムを鳴らすことはなかった。その名の刻まれた石の前に会いにいってもまだ信じられなくて。日が沈むたびに君が訪ねてきはしないかと想像した。夜空を見ると君の笑顔と声を思い出す。ねえ、もしかして君は夜になったのかな。
「私のことどれくらい好き?」遠距離恋愛中の彼は電話の向こう側で答えた。「映画を観てる時に思い出すくらい」大きさを教えてよと不満げな私を、彼はいつものように軽くあしらう。そうやって毎度逃げるのだ。眠る直前、私はふと思い出した。そういえば、彼は家でずっと映画を流していると言っていた。
「あと五年経っても独り身だったら結婚しよう」大学の友達とそんな約束をしてもう五年。君はいつの間にかスーツが似合う人になっていた。「昔の約束覚えてる?独りだったら結婚しようってやつ。バカだよな」君は飲み会の席で笑った。左手の薬指には指輪が。そうだね、本気にするなんてバカだなぁ、私。
今日のデートが終わったら、もう君に会うことはない。呼び出されても行かない。電話にだって出ない。二人で歩く夜道で呼吸を整えた。君にとっては都合のいい人で、私にとっては運命の人だった。「じゃあね」その背中に最後の言葉を投げた。私は弱いけれど強い。涙が溢れても運命だって終わりにできる。
恋を知るまで私は優しかった。君のそばにいるあの子が憎いとか、どうして私を最優先してくれないのなんて、一度も考えたことがなかった。自信なくて劣等感でいっぱいで布団の中で泣いてばかりの自分が情けなかった。本当は知っていた。恋が私を変えたんじゃなくて、恋が私の弱さに光を当てただけだと。
「べた惚れが百としたら今いくつ?」昼休み、教室で君にそう聞くと即答された。「五かな」「少なっ」やや強引に告白をOKしてもらった自覚はあったが、先は長そうだ。けれど会うたびに大好きと伝え続けて一年、君はやっと照れた顔で答えた。「今は百だよ」どうして私だけ五になってしまったのだろう。
「付き合う前の方が好きだった」別れ際、彼が呟いた一言が忘れられない。雨の夜道をふらふら歩く。付き合う前の私ってどんな人間だったっけ。街灯の下で立ち止まり、スマホを取り出して昔の写真を見た。短い髪と濃いメイクが懐かしい。初めての恋が不安な私は、ネットや周りの声ばかり取り入れていた。
彼はクールで愛情表現が乏しい。けれどそれで諦め、納得する私ではない。「出勤前にキスすると寿命が5年伸びるんだって」そう言って、出かける前の彼を少し屈ませる習慣を作った。そんなある日。気づけば、彼は外出する準備を済ませ、玄関にいた。恥ずかしげな顔で振り向いて。「寿命のやつ、まだ?」
「大人になると、告白ってしなくなるよね」今夜こそ先輩に告白しようと思っていた私は返事に窮した。「え……じゃあ、どうやって好意を伝えるんですか?」隣に座る先輩は事もなげに答えた。「映画に誘うとか?」私は必死で今朝のことを思い出そうとした。前売り券をくれた時、先輩はどんな顔をしてた?
メイクを変えてから「綺麗になったね」と言われるようになった。朝、鏡に映る自分を見つめる。妙な気分だ。洗顔直後の顔は昔と変わっていない。「この頃綺麗って褒められるけど、変だよね」同棲中の恋人は私の言葉に頷いた。「ほんと。何言ってんだろうね」恋人は続けて言った。「前から綺麗なのにね」
「蛙化現象って知ってる?」少し前に僕を振った同級生は、休み時間にそう尋ねた。「知らない。どういう意味?」「好きな相手に好意を持たれると、急に気持ち悪く感じちゃうこと。そういう子、結構多いんだって」へえ。世界には残酷な現象があるもんだ。「それがどうかした?」「いや、ただの自己紹介」
私の中には二つの人格がある。子供の頃からもう一人の私とは日記帳でやりとりをしていた。案外仲は悪くない。けれど働き始めてから『やっぱり一人として生きていかない?』と提案された。いつかこんな日がくると思っていたが、友人を失うようで少し寂しい。『いいよ』と書くと、意識が遠のいていった。
「好きって言ってよ」それが彼女の口癖だった。恋人なんだから、好きに決まってるのに。「そんなの僕らしくない」顔を背けて歩く。口下手な僕も認めてほしかった。仕方ないな、と苦笑いした彼女は、その夜事故に遭った。笑っていない顔を久々に見た。僕はずっと、彼女の人間らしい部分から逃げていた。
「恋人になってくれませんか。一ヶ月だけでいいから」よく寝落ち通話をする君からそう言われた。ネットで知り合って半年が経っていた。「気持ちは嬉しいけど、どういうこと?」「冗談、冗談。忘れて」それから君からの連絡が途絶えた。その冬、ずっと入院していた同じ学年の生徒が亡くなったと聞いた。
「お手紙をくださいよ」私がそう頼むと、夫はいつも困った顔をする。「いいのか?せっかくの誕生日なのに」「ええ」それでも夫は下を向く。「俺は文章が下手だし」「構いませんよ」年に一度のわがまま。好きだなんて言わなくなった貴方が、手紙の最後には必ず『ずっと一緒にいてください』と書くから。
「寂しくなっちゃった」と彼女は俯いた。それが別れたい理由だった。僕は分かったと答えたが、三年間の思い出を壊す理由が寂しさかよ、と泣けてきてその夜は眠れなかった。半年経って僕は気づいた。最後に伝える言葉として「寂しい」を選んだだけだ、きっと。最後まで僕を責めないのが彼女らしかった。