1
先輩はすごい人だ。どんな相手に対しても態度を変えない。社内でも、社外でも。自分も努力しているが、上手くいかない。気に入った相手には甘くなるし、苦手な相手とはぎこちなくなる。「先輩は人によって態度を変えたりしないですね。尊敬します」先輩はニコニコして答えた。「まあ全員嫌いだからね」
2
憎い相手よりも必ず幸せになれる魔法をかけてもらった。ここまで辿り着くのには苦労したが、効果は地味だ。「幸せになりなさい」魔法使いは僕の目を見て言った。僕は「優しいですね」とだけ答えた。その後の人生はまさに堕落の極みだった。幸福に繋がりそうな道は自ら閉ざした。それほどの恨みだった。
3
同級生の君は、よく思わせぶりなことを言う。「付き合ってる人いないんだ。良かった」何が良かったのか。問いただす勇気が出ないまま時が過ぎていく。けれどある春の日、うっかり口を滑らせた。「さすがに自惚れそうなんだけど」それを聞いた君は困惑した顔で言った。「ま、まだ自惚れてなかったの?」
4
ジャンクフードが食べたい。なぜだか、無性に。時計を見ればちょうど昼時。ついでにと、最近少し気になっている人を誘った。すぐに店に来た君は、コーヒーだけを頼んでいた。実はジャンクフードが苦手らしい。「言ってくれれば他の人を誘ったのに」君は頭を掻いた。「それが嫌だから来たんだけど……」
5
「これまでさ、いいこといっぱいあったね」結婚前夜、彼は懐かしそうに言った。嬉しいけれど急で戸惑う。「旅行も楽しかったし、他も……」「何?遺言?」彼は首を横に振った。「伝えたかっただけ!」寝る前、告白された時のことを思い出した。確か私はこう答えた。「私と付き合ってもいいことないよ」
6
彼はいつも返信が遅い。『生きてる?』二日間返事がなくて、追いLINEを送る。翌日『うん』と返ってきた。マイペースすぎ、と呆れる。けれどある時、急に返信の遅さが気にならなくなった。「最近喧嘩しないね」彼はすごく嬉しそうで。私はうんと頷いた。関心が薄れたのだ。友達に戻ってもいいくらいに。
7
彼女は昔、寒い時期は手を繋いでくれなかった。「手がすごく冷えてるから……」そんなの気にしないのに。僕の手まで冷えそうで嫌なのだという。けれど三年経つと色んなものが変わった。「温めお願いします!」彼女はニコニコしながら冷えた手を差し出した。雪の中を二人で進む。僕は今の関係が好きだ。
8
最近、人間とアンドロイドが一緒に働く会社が増えている。僕の取引先もそんな会社の一つだ。打ち合わせの際、オフィスを見て驚いた。「ぱっと見、誰がアンドロイドか分かりませんね」取引先の担当者は答えた。「表情で分かりますよ。無表情か笑顔か」なるほどと頷いた。「笑顔な方がアンドロイドです」
9
「別れよう」と言われて、うっかり「ありがとう」と返しそうになった。危ない。それじゃ彼女との別れを望んでいたみたいだ。冬の日、白い息を吐く彼女に「分かった」と返事をした。それから最後のハグをして帰った。僕の大事な試験が終わるまで別れ話は伏せておく、そういうところが本当に好きだった。
10
中学生の頃好きだった漫画がネットでバカにされていた。確かに、大人になって読むと呆れるほど単純な展開に思える。だけど憂鬱だったあの頃、漫画の発売日だけが待ちきれないほど楽しみだった。『それでも僕はこの漫画に救われました』勇気を出して書いたコメントには、案外たくさんのいいねがついた。
11
もっと一緒にいたいと思って同棲を始めた。デートの後もバイバイしなくて良くて。寝落ち通話をする必要もなくて。二人で買い物をする時間が幸せだ。幸せだった。「ねえ、今日さ」「ごめん。眠いや」君は背を向けて布団をかぶった。静けさが心のヒビに染みる。隣にいるのに、前よりずっと寂しくなった。
12
夜道を歩く女性の後ろに幽霊が見えた。号泣する彼女を心配そうに見守っている。「大丈夫ですか」気になって声をかけた。彼女は言った。「すみません、恋人を亡くしたばかりで」後ろの幽霊は自分を指差す。きっとそばにいますと伝えようとした時、幽霊は人差し指を唇に当てた。次に進んでほしいそうだ。
13
告白なんかしなくていい。友達として隣にいられるなら。そう決めて苦しい片思いを続けていた。遊びに誘われるくらい仲良くなったし、これで十分だ。けれどある日、君は雑談のついでに言った。「もう二人では遊べないや」恋人ができたらしい。ああ、忘れていた。君の真面目なところを好きになったのに。
14
「おまたせ」その声に顔を上げると、こちらへ駆け寄ってくる彼女が見えた。今日着ている服は初めて見る。「その服、可愛いね」「ん、何?」雑踏のせいで聞こえなかったのか、彼女は首を傾げた。「可愛いよって」「え?」「だから……」耳を寄せる彼女がニコニコしていて、また騙されたのだと気づいた。
15
水やりが苦手な友人が、この頃こまめに植物の世話をしている。前はサボテンすら枯らしていたのに。「何か変わるきっかけでもあったの?」じょうろを手にする友人に尋ねた。「うん。推しから鉢植えをもらったんだ」まさかそんなことが。確かにそれは、大事に育てるはずだ。「という設定で育て始めたの」
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「親友が結婚するんだ」今週末、友人は久々に帰省するらしい。地元で結婚式に参加するために。「嬉しそうだね」そう指摘すると、友人はカフェのテーブルに肘をついてふにゃりと笑った。「うん。唯一の親友だからね」あまりに幸せそうで寂しいとは言えなかった。私はあなたのこと、親友だって思ってた。
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貴方のいない世界に生まれたかった。傘を忘れた夜、雨に打たれながら夜道を歩く。いい人なんかじゃない。私のために尽くすことなど決してない。けれどほんの些細な言葉が、私の心を救ってしまった。止まない雨の冷たさが染みる。この先どんな人が傘を傾けてくれても、貴方でないことに落胆してしまう。
19
初めて作った曲を動画サイトに投稿した。誰かが気に入るかもと期待を込めて。『センスない』一週間後、そんなコメントがついただけだったけれど。「曲作りやめようかなぁ」つい弟に愚痴をこぼしてしまった。その夜新しいコメントがついた。『最高っすわ』偶然だな、身内にも同じ口癖のやつが一人いる。
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君しかいないと思った。世界のことなんかほとんど知らないけれど、あの冬、人が行き交う街で君だけが輝いて見えた。幼い恋だねと友人は笑う。事実、数年後にはあっさりと他の人を好きになった。違う誰かといても普通に幸せで。だけど「君しかいない」と思えるほど恋焦がれたのは、やはり君だけだった。
21
書籍 第二作目が出ます。
『私達は、月が綺麗だねと囁き合うことさえできない』(大和書房)
発売日は11月20日に決定しました!
『ありふれた遠距離恋愛のはずだった。
――君の秘密が明かされるまでは』
amazon.co.jp/dp/4479772340
本日より予約受付開始。
🎁Amazon限定で予約・購入特典があります。
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「先輩、今度映画に」「めんどい」デートの誘いを断られ続けて数ヶ月。根負けしたのか、ある日ついにOKが出た。やっとだ。このチャンス、絶対活かしてみせる。けれど当日、準備に手間取り大幅に遅刻してしまった。駅前で思わず泣きそうになる。先輩は遅すぎ、とため息をついた。「次は遅れないでよ」
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「また彼氏と話してたの?」夜、長時間の通話を終えた後で母からそう聞かれた。「そうだよ」「四時間くらい話してなかった?信じられない」驚きすぎでは、と私は首を傾げた。遠距離だし、こういう日もある。「昔は電話代が高くてね……羨ましいわ。ね、あなた」母は新聞を読んでいた父に微笑みかけた。
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初めてできた彼女との、初めてのデート。ドキドキしすぎてどうにかなりそうだ。友達だった頃は気軽に話せたのに。「なあに、緊張してるの?」彼女は僕の顔を覗き込んで言った。よほど様子が変だったのだろう。「べ、別に」「そう?」彼女は髪を触りながらえへへと笑う。「私はね、すっごく緊張してる」
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憧れの部長に手作りのクッキーを渡した。仲間思いで誰にでも優しい人だ。一枚摘んだ先輩は美味しいよ、と笑った。「他のメンバーにもあげるの?」「はい」「気に入ったから全部欲しいな……なんて」そ、それって。ドキドキしつつ残りを全部渡した。家に帰って試作を食べると、悶絶するほどまずかった。