「今年から義理チョコを配るのはやめます。メリットが少ないです」会社に着いて早々、同僚が高らかに宣言した。個人的には残念だが、彼女の合理的なところが好きでもある。夜、彼女は帰り際、僕の机に「チョコです」と紙袋を置いた。「配るのやめたんじゃ」彼女はさらりと答える。「はい、やめました」
「私にスマホ見せられる?」先日同窓会に行ったという彼にそう質問した。「もちろん」彼はスマホを手渡した。「どうせくだらないやりとりしかしてないし」彼の言った通りだった。浮気の痕跡はない。地元の女友達と毎日ゆるい会話が続いているだけ。それが嫌なの、とは言えずに彼の澄んだ瞳を見つめた。
昔の恋人に会った。ずっと会いたいと願っていた。学生時代、気が合う君とただ話すだけで楽しかった。『久々に飲む?』君からのLINEが素直に嬉しくてOKと返した。けれど、泣きたくなるほど会話のリズムが合わない。一次会で解散した。思い出が色を変える。きっと私は、あの恋に蓋をしておくべきだった。
夜道を歩く女性の後ろに幽霊が見えた。号泣する彼女を心配そうに見守っている。「大丈夫ですか」気になって声をかけた。彼女は言った。「すみません、恋人を亡くしたばかりで」後ろの幽霊は自分を指差す。きっとそばにいますと伝えようとした時、幽霊は人差し指を唇に当てた。次に進んでほしいそうだ。
両親が離婚した。「お母さんとお父さん、どっちと暮らしたい?」そう聞かれた私はお父さんと答えた。母はいつも顔色が悪く、毎晩のように酔い潰れていたので二人になるのは不安だった。その日から半年。久々に会った母は別人のようだった。穏やかな笑顔を見て、誰がその顔を暗くさせていたのか悟った。
誰かを笑顔にしたくて歌手になった。それでも顔がスタイルがと言葉のナイフは飛び続けた。傷だらけでそれでも有名税だって片付けられて。だから人前で歌うことなんてもうやめた。名前を変えて音源だけあげたら山ほどコメントがついた。『綺麗な声。きっと美人なんだろうな』私は画面を見ながら笑った。
「父にあなたのことを話したの」彼女は夕食の席でそう告げた。思わず唾を飲み込む。彼女の父は厳格な人だと聞いた。日の目を見ないバンド活動を続ける僕との交際には反対するだろう。「なんて言ってた?」「今のままでは認められないそうよ」そうだろう、と頷く。「サビのキャッチーさが足りないって」
彼女と別れても生活はほとんど変わっていない。元々遠距離だったから当然ではある。家と学校を往復する毎日。コンビニで買ったパンが案外美味しくなかったとか、朝から風邪気味だとか、そういう些細なことを話す相手がいなくなっただけだ。だから驚いた。たったそれだけで泣きたくなってしまう自分に。
六月の結婚式。心配していた天気は晴れ、両親もホッとした顔をしていた。「今日からは家族だよ」目に飛び込んできたのはタキシードの白。十年も片思いしていた貴方は、変わらぬ優しさで包んでくれる。「うん、よろしく」笑わなきゃいけないのに泣きそうだった。貴方は歩いていく、花嫁である姉の元へ。
「誰かを好きになったことある?」クラスメイトの君とプリントを抱え、静かな廊下を歩く。「ないな。いつ気づくの、好きとかって」僕の答えに君はそっかぁ、と頷いた。お子様だと呆れてるんだろう。「好きになると、相手の恋愛経験が気になるの」夕日が差す廊下に響くその声は、なぜか少し震えていた。
二ヶ月ぶりに彼の家を訪れた。ルーズで片付けが苦手な人だから、こっそり掃除道具を持ってきていた。けれど開けてびっくり。部屋の隅々まで綺麗に整えられている。「二人の時間を大事にしたくてさ」私のために苦手な掃除を頑張ったらしい。けれど排水口周りは駄目だった。見知らぬ長い髪が残っていた。
彼は元カノとの思い出が詰まったものをほとんど片付けた。私のためなのか自分のためなのかは分からない。けれど、一つだけ手放せなかったそうだ。「こういうの気にする?」「ううん。大丈夫」嫉妬する、なんて言えるはずもない。強くなりたい。ゆるやかに泳ぐ金魚の尾ひれに、君の愛した夏が見えても。
変わり者のペンギンは暑い夏が好きだった。あのじわりと溶けるような橙色の太陽に憧れていた。けれどペンギンの仲間はそれを聞くとひどく怒った。ついには仲間外れにしてしまった。変わり者のペンギンは寂しかった。一緒に暑いところに行こうなんて言ってないのに。ただ好きなんだと言っただけなのに。
「ねえ、私のこと好き?」焼酎で酔った彼女はソファで横になりながら言った。僕はもちろん、と返事をした。しかし彼女は質問をやめない。「料理下手なのに?」「うん」「がさつなのに?」「うん」彼女は真顔になった。「それってさぁ」悪趣味だと言われるだろうか。「私のことめっちゃ好きじゃん……」
口うるさい彼女と別れた。荷物も片付いて、今日からこの部屋は僕の城だ。西日が差すワンルーム。久々に袋麺を開けた。ぐつぐつ煮える鍋を本の上に乗せ、そのまま食べる。自由だ。僕は箸をとめた。別れてからもムカつく彼女だ。「お皿使いなって」と呆れる顔を、あと何度思い出せば泣かずに済むんだよ。
「ずっと親友でいようね」誕生日プレゼントに添えられていたメッセージを読んで心が温かくなった。あの日から十年、今でもよく連絡をとる間柄だ。嬉しいことがあった時は一番に報告し、つらい夜は二人で飲み明かした。だから心に決めている。この子とずっと親友でいよう、好きだよとは言わないままで。
口うるさい母のことが嫌いだった。私達は喧嘩してばかり。だから結婚して子を授かった時、私は優しい親になろうと決めた。けれど小さな手を握っていると願いが溢れてくる。生きてほしい。陽だまりの中で、病気をせずに、傷つけられずに。「もっと丁寧に手を洗いなさい」口から出たのは母の口癖だった。
昔付き合っていた人の投稿が流れてきた。たった今弾き語りの配信を始めたらしい。興味本位で配信を覗いてみる。閲覧者は一人だけのようだ。誰が見ているかはバレないはずなのに緊張した。「お、一人来た」君は嬉しそうに歌い始めた。懐かしい曲だった。サビだけ一緒に歌った。誰にも知られないままで。
こちらの浮気が原因で別れることになった。飲み会の後、たった一回。けれど恋人は『別れよう』とLINEをしてきた。会って弁解させてほしくて『三年付き合って終わり方がLINE一通って……』と食い下がった。日付が変わってから恋人から返信がきた。『何言ってるの?浮気した時点でもう終わってるんだよ』
大好きなアイドルが引退した。平凡な僕の顔まで覚えてくれた完璧なスター。夕方、欠けた心を抱えて街を歩く。今頃あの子もどこかで暮らしているだろうか。ふと顔を上げると、信号の向こうに憧れのあの子の姿が見えた。確かに目が合った。僕らは無言ですれ違う。涙を堪えて、僕は完璧なファンになった。
寒い夜は彼で暖をとる。セミダブルのベッドの上、漫画を読む彼の右腕にぴたりとくっつきスマホを触るのだ。お互い無言のまま。冷え性な私とは違い、彼は指先までほかほかしている。眠気を覚えながらふと思った。幸せとは、漫画なら一コマで済まされそうなこの時間が長く長く続くことなのかもしれない。
自分が嫌いだった。何をやっても中途半端で、他人の良いところにばかり憧れていた。大きな夢なんか持てなかった。季節が幾度も過ぎていく。私の勧めでイラストの仕事を始めた友人は、感謝の花束と共に言った。「人をスターにする才能があるよね」その一言は年老いた今も消えない大切な贈り物になった。
恋人からネックレスをもらってわんわん泣いた。私の誕生日、せっかく丁寧にメイクをしたのに台無しになってしまった。恋人は私の涙を拭きながら、ちょっとだけ自慢げな顔をした。「絶対似合うって思ってたよ」首元で小さなダイヤが光る。単なる幼馴染だった頃、いつか欲しいなと話していたものだった。
元彼のSNSは見るべからず。分かっているのに検索した。最近の写真には、知らない女の子の姿が。新しい彼女は載せるんだね。可愛いから?残酷すぎる。私は三年間で一度も載っていない。それから数年。彼は同窓会で写真のことを謝った。「俺と別れたこと、後悔してほしかったんだ。俺が後悔したように」