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結婚なんかいいや。付き合うとかも面倒。仕事が楽しくて恋からは遠ざかっていた。朝、通勤中にスマホを触ると、地元の友達が二人目を出産したことを知った。コメントはせずにいいねだけ。画面を更新すると、別の友達が離婚していた。今度は頑張れと一言。ふと顔を上げると、電車は目的地を過ぎていた。
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好きな人と友達が付き合い始めた。けれど私に悲しむ資格はない。友達の背中を押したのは、朝も夜も悩みを聞き続けてきたのは、他でもない私なのだから。「言われた通りにしてたら、本当に恋が実ったよ」当然でしょう。小さい頃からずっとあの人を見てたから。でも、貴方と違って傷つく勇気がなかった。
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「見て!これ、好きな人が前に使ってたネックレスなの」親友は胸元で輝くシルバーのネックレスを指差して言った。大学の講義室。変わった子なので心配していたが、彼女の恋はいい方向に進んでいるらしい。「欲しいって頼んだの?」彼女は首を振った。「ううん。フリマアプリのアカウントを見つけたの」
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寂しいよ。おやすみなんて言わないでよ。寝息をたてる君の隣で、子どもみたいに泣きたくなった。午前零時。なんだか朝まで話したいような気がした。目を閉じると会えないような気もした。手と手が触れる。だけど君を起こす勇気はなくて。この恋は毒だ。いつの間にか、私はすっかり弱虫に変わっていた。
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同級生の君は、よく思わせぶりなことを言う。「付き合ってる人いないんだ。良かった」何が良かったのか。問いただす勇気が出ないまま時が過ぎていく。けれどある春の日、うっかり口を滑らせた。「さすがに自惚れそうなんだけど」それを聞いた君は困惑した顔で言った。「ま、まだ自惚れてなかったの?」
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五年付き合っているけれど、ペアのものは何も持っていない。君は恥ずかしがり屋なのだ。けれど一つくらい、と思う。誕生日の前日、それとなくアピールしてみた。「何かお揃いにしてみたいね」君は自慢げに頷く。「用意はしてる」深夜十二時、渡されたのは婚約指輪だった。「お揃いのは二人で選ぼっか」
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揺れるバスの一番後ろで、僕らは最後まで無言だった。肩が触れる距離にいたのに。君は部活終わりまで待ってくれたのに。頭の中だけがうるさくて、僕は途方もなく不器用だった。いや、不器用なまま大人になった。君もあの頃、本当は話したいことがあったのだろうか。僕は気になって助手席の妻に聞いた。
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背の高い君を、私はすぐに見つけられる。けれど君はいつも私を見失う。恋人になった夏。花火大会で人波に流され、私達は離れ離れになった。会場を見渡し、私は木に寄りかかる君を見つけた。君は困った顔もせず目を閉じている。叫びたくなった。探してよ、私を。広い広い海の中から、見つけにくい私を。
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「いつかプロポーズするから」彼が約束してもう三年。静かな部屋で、私はついに本音を零した。「もう私とは結婚したくない?」彼はハッとした顔で答えた。「ううん、君が一生忘れないような、綺麗な言葉が思いつかなくて……」彼が言い終わる前に抱きしめた。ばかな人、これほど嬉しい言葉はないのに。
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全部勘違いだった。君は「可愛い」も「気が合うね」も誰にだって簡単に言える人で。二人きりの帰り道が特別なのは私だけだった。隣に誰もいないと、夕方の信号待ちは永遠に続くように思える。抱えた荷物が重く苦しい。楽になりたいのに。雪が降る道は美しすぎて、浮ついた心の処分場を見つけられない。
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君の寝顔を見ながら、昔のことを考えた。そういえばいつ好きになったんだっけ。ずれ落ちそうな布団をかけ直してあげつつ、頭の中で季節を遡る。道案内をしてもらった春?案外気が合うと気づいた夏?明確には思い出せなかった。けれど不思議と悪い気はしない。きっと君を好きな理由は一つじゃないんだ。
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のんびりするのが好きだ。恋をしろ、成長しろと急かす世界はどうも苦手。晴れた日、ふかふかの布団で、一度きりの夏ってやつを贅沢に溶かして、漫画を読むのがいいのだ。りんと通知音がする。教師である友人からだった。医者から勧められたが、休養とはどうすればいいかと聞かれた。今日は私が先生だ。
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別れたら写真もトーク履歴もその日に消すんだって、豪語したくせに指は動いてくれない。まだ距離があった初デートの遊園地。旅行先ではしゃぐ君の笑顔。この三年は青春の全てだった。それでも元に戻れないのは、向かい合っても見つめ合ってはいないから。何度夜を越すだろう、私が言葉に追いつくまで。
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掃除中、昔好きだった人が置いていった小説を見つけた。「貸すよ」と言われた夏の日からもう五年も経っていた。あの頃は勇気もきっかけもなくて、友達以上にはならなかった。丁寧に埃を払う。「君なら絶対気に入るよ」と言われた本だった。最後のページまで面白くなくてホッとした。秋が近づいていた。
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好きな人ができてから日記を書くようになった。きゅんとする仕草にあふれそうな心。戸惑いと不安。どれも忘れたくなくて。夜になると君を思いながら日記を綴る毎日。両思いになったらやめようと思っていたけれど予定通りにはいかなかった。もうしばらく続きそうだ。今日からは隔日で君が書き込むから。
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恋愛未満のまま一年経った。近くても触れはしない同級生。夜、一人の部屋で着信の音が鳴る、それだけで嬉しいけれど。「何してるかなと思って」君の声が耳に優しい。今週二度目の通話だった。「最近よく電話くれるね。暇になった?」「いや、忙しいけど……」ねえお願い。今日はその続きが聞きたいよ。
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「かわいいって言って。嘘でいいから」朝、鏡の前で何度も服を変えた。アイラインは三度も引き直した。私の誕生日、君に褒められたくて。「なんで。思った時に言わなきゃ意味ないだろ」斜め前を歩く君に、怒りのような悲しみが湧いた。嘘でいいの、嘘でいいから。だって君は一度も言ったことないもの。
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「本を読まない人は好きじゃないな」僕がそう言うと、セーラー服を着た君は分かりやすくむくれた。冷房が効いた放課後の図書室。じゃあ読む、と君は細い腕に山ほど本を抱えてきた。もうじき冬になる。この頃、僕以上の読書家になった君を避けている。読書量しか誇れない僕は、劣等感で潰れそうだった。
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「恋止め薬、飲む?」初めてできた恋人は、小さな瓶を手のひらにのせて言った。飲めば他の人には恋をしなくなる薬。「どうしよっかな」翌朝、机の上には空になった瓶が置かれていた。あの日から五年。結婚が決まった今、心から幸せだと思う。春風の中、笑顔で頷き合った。「あの薬、捨ててよかったね」
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初めてできた彼女との、初めてのデート。ドキドキしすぎてどうにかなりそうだ。友達だった頃は気軽に話せたのに。「なあに、緊張してるの?」彼女は僕の顔を覗き込んで言った。よほど様子が変だったのだろう。「べ、別に」「そう?」彼女は髪を触りながらえへへと笑う。「私はね、すっごく緊張してる」
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「何したら好きになってくれる?」告白を断るのは今日で三回目。ついに条件の提示を求められた。プール掃除をしながら考える。「一年間毎日好きって言われたら絆されるかも」難しいだろうけど。予想通り「好き」のカウントをするのは途中でやめた。今年も夏が来る。ああ、半年も早く絆されてしまった。
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「どうすれば恋人になれると思う?」親友の家でお菓子をむさぼりながら聞いた。おめーそれ俺のだぞ、と怒られたがいつものことだ。「とりあえず近づくこと。心を開かせろ」恋愛経験豊富な彼の助言は参考になる。「なるほど。でもどうやって?」彼は私の前にジュースを置いた。「まず親友になるんだよ」
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僕には自由がない。生まれた時から人生が決まっている。そういう家系に生まれた。その代わり、十九歳になると一年の休暇をもらえる。僕は旅先から戻らない兄の横顔と、そのせいで立場が悪くなった両親の涙を思った。そして十九歳の誕生日。両親から鞄をもらった。旅行にも使えそうなほど、大きかった。
500
会っている時は幸せ。週末、久々に彼の顔を見て実感した。不安も苛立ちも一瞬で消えてなくなる。ぱちんと泡が弾けるように。「三週間ぶり?」「そんなに会ってなかったっけ」そうだよと頷く。満たされたはずなのに、翌日の夜には泣いていた。私、幸せなのかな。会っていない時間の方がずっと長いのに。