家庭的な子が好き、と君は飲み会で語った。わぁ好きそうとけらけら笑った夜の裏側で、私は料理本を買い、誰も来ないのに部屋を片付けた。そんな冬の日がもう懐かしい。「靴下出しっぱなし」ごめん、と君はゲームをしたまま気のない返事。ねぇ、大好きな君の恋人になりたかったな、家政婦じゃなくてさ。
「ついでに、ご飯いきません?」取引先の課長に誘われ、二人でレストランへ。気難しい人だと思っていたが、外で見る彼は爽やか。聞けば同年代らしい。手慣れた様子でメニューを渡してくれた。「俺、ここのランチ好きで。……あれ、なんで笑ってるんです?」ちょっと可愛いなと、いつもはワタシだから。
匿名のアカウントを彼にフォローされた。私だとは気づいていないようだ。正体を明かさないまま交流していると『一回会ってみない?』とDMで誘われた。正直モヤッとした。『彼女いないの?』とはっきり尋ねる。『いるよ』という返事にホッとすると、またメッセージが来た。『それでもいいなら会おうよ』
「人の心が理解できないロボットなんて古いですよ」科学者である彼女は僕の家でSF映画を見ながら笑った。「むしろ人間より上手く感情を汲みます」僕は思わずヒヤリとした。彼女が断言するのだから事実なのだろう。「だから困るんです。好意を向けられると」彼女は腕に挿していた充電ケーブルを抜いた。
恋人に捨てられた。夜、凍える道を震えながら帰った。本当は知っていた。君が前の恋人を忘れられないこと。それなのに君は告白に頷いた。なぜだろうと今でも思う。家に帰り、冷たくなったポケットのカイロを触って気づく。お手軽に温まりたかっただけなのだ。カイロの将来なんて、興味がないのだから。
霊感はないはずだけれど、この頃縁側に見知らぬ人が見える。まあ古い家だ、幽霊が出てもおかしくはない。不思議なのは、いつも私の世話を焼こうとすること。あんまり親切なので、私は家族のように感じていた。「私、貴方が好きだわ」幽霊は顔を覆った。困った人ね、もうお爺さんなのにボロボロ泣いて。
脳の半分を機械化することにした。人間らしい感情は残したまま、高速な演算と正確な記憶が可能になる。これでもう、誰にも間抜けなどとバカにされることはない。そのうち、私は脳の全てを機械にしたらもっと優秀になれるはずだと考え始めた。脳のどちらの部分がそう判断したのか、今はもう分からない。
君しかいないと思った。世界のことなんかほとんど知らないけれど、あの冬、人が行き交う街で君だけが輝いて見えた。幼い恋だねと友人は笑う。事実、数年後にはあっさりと他の人を好きになった。違う誰かといても普通に幸せで。だけど「君しかいない」と思えるほど恋焦がれたのは、やはり君だけだった。
初めて話すクラスメイトが日直の仕事を手伝ってくれた。清楚に見えるが「遊んでいる」と噂される女の子だ。「噂って当てにならないね」「え、どんな噂?」首を傾げる彼女に噂の説明をした。「夜遊びしてるとか……」「ふふ。それは嘘だよ」彼女は口に手を当てて笑った。「そんな可愛いものじゃないよ」
成人式の後、国から二つの薬が届いた。傑出した能力を得られるが短命になる薬と、何の代償もなく寿命を延ばせる薬。僕は恋人を呼んで言った。「一緒に長生きしようよ」けれど恋人は首を横に振った。「私は別の薬にする」恋人は百年後に見る夕映えより、歴史に刻まれた名前の方が美しいと思う人だった。
「いつか好きな人と花火大会に行ってみたいな」貼り出されたポスターを見上げる瞳は綺麗な薄茶色。「それで浴衣を着るの」思わず君の浴衣姿を想像した。きっと世界一似合う。見てみたい。こんな時、他の人なら君を誘うのだろう。けれどできなかった。僕らはもう、ずっと前に二人で花火を見てしまった。
「忘れられない出来事ってある?」放課後の教室には私と親友だけ。沈む夕日を眺めながら聞いた。「好きな人に告白されたことかな。そっちは?」「私も」「え、いつの間に!?」少し前に初めての恋人ができた親友は興味ありげに頬を寄せた。そう、忘れられない。大好きなあなたをとられた夏の終わりを。
郵便受けの中に鍵が入っていた。帰り際、その小さな鍵を回収すると落ち着かない気持ちになった。たぶん昨日泊まっていった彼が朝に置いていったのだろう。私のために、と買ってきてくれたアイスの甘さがまだ消化できていない。部屋に戻り、私は引き出しの中に鍵をしまった。本当にこれで最後なんだね。
愛とは時間と言葉を尽くすこと、と友人は言った。月のない夜。私は狭い部屋で絵を描き続けている彼を見た。甘い台詞なんて言わない人だ。時間があれば机に向かっているし、出かけることも稀。「もう眠い?」顔を上げた彼が笑う。その目が、神様みたいに優しかった。愛がどうした。私はただ君が好きだ。
好きになった。顔も本名も知らない人を。文字を追うだけで、声を聞くだけで、いつの間にか苦しいほど君が大切になっていた。「今からアカウント消します」そんな日々は深夜の投稿と共に終わりを告げた。桜が散るのを待たずに君は消えた。触れられなくても、誰かに否定されても、あれは確かに恋だった。
あーあ、一分前までは付き合ってたのにね。電話を切ってまだベッドの中。言わなきゃよかったかな。私が好きなら煙草はやめてとか。送らなきゃよかったかな。次いつ来るのとか。君が使うからって買った枕は私の趣味じゃなくて、だけど君に似合うから好きだった。最後の通話は、もう十分前になっていた。
働き盛りの友は言う。「この頃、深夜にラジオを聴くのが好きだ」と。それを聞いて嬉しかった。忙しい友が新しい喜びを得たのだ。次に会ったらどの番組が好きか尋ねようと思っていたが、幾度電話をかけても出てはくれない。にわかに不安を覚えた。友はラジオを聴いたのではないか、夜明けまで眠れずに。
好きな人のアイコンが変わった。幼い頃の写真から、桜の木の下で撮ったツーショットになっている。私には何も言ってくれなかった。SNS上では、さっそく彼の友人から彼女できたの、と指摘されていた。ピースの絵文字だけ返すのが彼らしい。私もDMを送った。もっと写りのいい写真があったのに、と。
彼は一人でいるのが好きだ。こちらが寂しくなるほど。そんな彼だが、大学の図書館で私を見かけると、毎度隣の席にスッと座ってくる。隣に座るメリットはないはずなのに。図書館は私語禁止でお互い本を読むだけ。私の胸がいっぱいになるのはそんな時だった。彼は私の隣を選ぶ。周りの席が空いていても。
寂しいと思ったことはない。一人で映画館に行くのも、カラオケで歌うのも。気楽であることが何より大事で、周りの目も気にならなかった。だから、どこにでもついて行きたがる君と付き合ったことを後悔している。「楽しかったね」無邪気に笑う君がいなくなった今、何かが足りないとばかり考えてしまう。
「あー疲れた。休まない?」サークルの仲間と旅行に行った。少し歩いた後でカフェを指差した君は、皆から運動不足じゃないのとからかわれている。結局、私達は近くのカフェで休憩をとることにした。コーヒーを飲む君は案外元気そうだ。いつ気づいたんだろう?さりげなく手渡された絆創膏を踵に貼った。
「私のこと本当に好き?」なんとなく不安な夜、ソファで眠そうにしている彼に問いかけた。「彼女にしたいと思うくらいには」出た、いつもの答え。まあ素直な彼らしいけど。「たまには別のバージョンも欲しいんですが?」「また今度ね」今度とやらは二年経ってようやく来た。家族にしたくなったらしい。
「別れよう」その言葉を入力したとき、メッセージを送るのは二週間ぶりだと気づいた。初めての恋人だった。好きになると何だってできると確信した恋が、好きなだけではどうにもならないと教えてくれた。時計の針を横目に送信ボタンを押す。誰からも祝われなかった一周年記念日が、夜の中で泣いていた。