「どこからが浮気だと思う?」台所にいる妻が唐突に聞いてきた。どういう意味だ。妻に限って、まさかとは思うが。「他に好きな人ができた、とか」冷静さを保ってそう答えると、妻は呟くように言った。「じゃあ私、今浮気してるかも」彼女の目には涙が。「やっと妊娠したよ」気がつけば僕も泣いていた。
「忘れ物した」君からのメッセージで二ヶ月ぶりに会うことになった。僕の家まで来ると言うから掃除をした。きっとすぐ帰るだろうに。肌寒い夜、君は予告通り家を訪ねてきた。小さな飾りがついたヘアピンを渡す。君は何か言いたげな顔で帰っていった。「このためだけに来たの?」と聞けない僕を残して。
私は未来のことが分かる。天気も、夕飯のおかずも、何もかも。だから部室に響くトランペットの音を聞くだけで胸が苦しくなる。「頑張るね」私が声をかけると、友人は「最後のコンクールだからね」と頷いた。何が優しさなのか分からなくなって目を背けた。今年の大会は、開催直前で中止になってしまう。
「晩ご飯?簡単なやつでいいよ」仕事から帰ってきた夫は、ソファにゴロリと横になった。私は二人の子供を相手しつつ、ご飯出してとスピーカーに話しかけた。すると壁際の食品ポストから四本のチューブが出てくる。ジェリータイプの完全栄養食だ。一本を夫に渡す。これがない時代はよく喧嘩したものだ。
彼はいつも返信が遅い。『生きてる?』二日間返事がなくて、追いLINEを送る。翌日『うん』と返ってきた。マイペースすぎ、と呆れる。けれどある時、急に返信の遅さが気にならなくなった。「最近喧嘩しないね」彼はすごく嬉しそうで。私はうんと頷いた。関心が薄れたのだ。友達に戻ってもいいくらいに。
彼女の父は厳しい。「君のような人間と結婚させる訳にはいかない」最初は玄関で追い払われた。長く続けられる仕事に就きなさい。身なりを整えて、言葉遣いも丁寧に。忠告の山に耳が痛くなる。それでも努力して、一年後に僕は気づいた。あれ、僕の暮らしは良くなったし、もうリビングまで通されている。
思い出が詰まったコンビニの前で別れた。「また会おうね」君は最後にそう微笑んで去っていった。家までの道をひとりで歩くのは変な気分で、明日にはこれが寂しさに変わるのだと確信していた。君はいつも通り優しかった。もう会う気なんかないくせに。嘘の甘さに恋をして、嘘の儚さでさよならを決めた。
彼とリモート同棲を始めた。通話を繋げ続けるだけ、引越しも不要でお手軽だ。家事の分担で揉めることもない。気が向いた時だけ話をする生活は心地良かった。「来年になったら一緒に家を借りようか?」画面の向こうの彼が笑う。嬉しいはずなのに返事に困った。言えない。ずっとこのままがいいだなんて。
徒花みたいな恋だった。疑って傷つけて傷ついて、別れてからボロボロになった自分に気づいた。「新しい彼女、超可愛いよ」写真を見せつける元彼は、今も何を考えているのか分からない。「私に会うのやめなよ」「彼女の前じゃ悪いところ見せられないし」ああ私、別れる前から彼女じゃなくなってたんだ。
死にたいと呟いた彼女のために物語を書いた。毎日ノート1ページ分だけ進む冒険譚。必ずいいところで終わらせた。続きは絶対に教えない、明日学校で会うまでは。そんな物語もついに今日完結する。僕は花束とノートを彼女に渡した。「あはは、酷い終わり方!」きっと大丈夫。君はそうやって笑えるから。
放課後、静かになった教室で友人と話す夕方が好きだった。「好きって言っていいのかな。先輩、彼女いるけど」叶わぬ恋に悩む私の隣で、いつも穏やかに頷いてくれる。「さあ。でも、告白以外にも好意を伝える方法はあると思うよ」例えば?と聞くと友人は窓の外を見て言った。「ずっとそばにいる、とか」
近頃、娘達はバレンタインの話で盛り上がっている。「彼氏でもできたのか?なーんて……」長女はこともなげに答えた。「うん」「私もいるよー」横から口を挟んだのは中学生の次女。ショックが二倍だ。「あーちゃんはね、いないよ」そう言って抱きついてきたのは保育園に通う三女。「この前別れたから」
上京する彼女を見送った。「心配しないで。私モテる方じゃないし」スーツケースを引く彼女に知ってる、と返事をすると怒られた。女心は複雑だ。「俺はまあまあモテるけどね」「はいはい」午後五時、飛行機が彼女を連れ去った。茜色の空に乞う。照れた時の可愛すぎる笑顔を、僕以外誰も見ませんように。
初めての遠距離恋愛。時々寂しくなるが、僕は案外穏やかに暮らせている。むしろ彼女への想いが薄れないかどうか不安になるくらいだ。冬、一年ぶりに帰省した。空港で待っていたのは肩の下まで髪が伸びた彼女。目が合うと全ての悩みが吹き飛んだ。言葉よりも先に走り出す足が会いたかったと叫んでいた。
彼が女の子の自撮りにいいねしていた。童顔で、私とは正反対の顔立ちのアイドルだった。彼の元カノに少し似ていた。夏風が吹き込む部屋で鏡を見る。目も輪郭もキリリと細い。好みではないと、分かってはいた。彼とは、夏が終わる前に別れた。この頃彼のいいね欄には、クールな女優の写真が並んでいる。
些細なことで喧嘩をした。十歳下の彼女が、スマホを持ってむくれている。インスタに僕の顔は載せないでくれと言ったらこの調子だ。いつもは賑やかな部屋に、今は洗濯機の回る音がやけに響く。「他に本命でもいるわけ?」「違うよ……」僕はただ思うんだ。幸せって、二人で分け合うだけじゃ駄目なのか?
「あんたは世界一可愛いよ」母は未だにこんな大嘘をつく。私はもう高校生なのに。「環奈ちゃんより?」「もちろん」台所の奥でそこまでか?という父の声が聞こえた。その通りだ。「こんな嘘つくのお母さんだけだよ」「そんなことないから!」春、初めての彼ができたとき、確かに嘘つきは二人に増えた。
「花は恋に似てるよね。いつか散る」この頃浮かない顔の妹は言った。硝子の花瓶を抱えて。「凡庸な発想だなあ。ドライフラワーにできるのに。手を入れないから散るんだ」僕の答えに、妹はいつもの表情をした。兄はこれだから困るといった顔だ。「この世界にはね、ドライフラワーに向かない花もあるの」
君の秘密を知っている。『夏祭り一緒に行こうよ』LINEの通知を見ただけで胸が高鳴った。好かれている、たぶん。先週は映画に誘われた。瞼の裏ではもう二人の夜が始まっていた。浴衣は白地。ラムネにりんご飴。嬉しくて返事ができなかった。恋人はいないと答えた嘘つきな君を、まだこんなに愛している。
初めて作った曲を動画サイトに投稿した。誰かが気に入るかもと期待を込めて。『センスない』一週間後、そんなコメントがついただけだったけれど。「曲作りやめようかなぁ」つい弟に愚痴をこぼしてしまった。その夜新しいコメントがついた。『最高っすわ』偶然だな、身内にも同じ口癖のやつが一人いる。
教授は急に掌を見せた。「君達はこれが何に見えますか」しんとなる講義室。皆思っていた。ただの手だ。教授は続ける。「ある人は数字を思い浮かべる。細胞の集まりや指文字に見える人もいます」その後、黒板に書いたのは『学ぶとは』という言葉。あの授業を今も思い出す。私に世界はどう見えているか。
その結末が賛否両論を巻き起こしていると噂の恋愛映画を観た。幸福とも不幸ともとれる内容らしい。一緒に観た二人の友人は、映画館を出てから激論を交わしていた。「最悪の結末だったね」「え?でも一応復縁はできたんだし」それを聞きながら、なるほど映画の結末は観客の人生観が決めるのだと思った。
水やりが苦手な友人が、この頃こまめに植物の世話をしている。前はサボテンすら枯らしていたのに。「何か変わるきっかけでもあったの?」じょうろを手にする友人に尋ねた。「うん。推しから鉢植えをもらったんだ」まさかそんなことが。確かにそれは、大事に育てるはずだ。「という設定で育て始めたの」
大人になったらもう一度読んでほしい作品。 星の王子さま(サン=テグジュペリ) モモ(ミヒャエル・エンデ) あしながおじさん(ジーン・ウェブスター) 少女パレアナ(エレナ・ポーター) 飛ぶ教室(エーリッヒ・ケストナー) 子供の頃はただ目で追っていた一文一文に、ハッとさせられます。
貴方のいない世界に生まれたかった。傘を忘れた夜、雨に打たれながら夜道を歩く。いい人なんかじゃない。私のために尽くすことなど決してない。けれどほんの些細な言葉が、私の心を救ってしまった。止まない雨の冷たさが染みる。この先どんな人が傘を傾けてくれても、貴方でないことに落胆してしまう。