「あー、彼女?」幼馴染は照れ臭そうにこめかみを掻いた。八月。近頃は夕方になっても暑さが引かず気が滅入る。「なんだろうな。いい子なんだけど、不器用っていうか。そういうところはお前と似てるかもね」ふぅん、オメデト、と返事をした。ばか。なんだそれ。私でいいじゃん。私で、よかったじゃん。
「手、握ってもいい?こわい……」肝試しでペアになった君は、不安そうな顔で言った。その様子に僕はちょっと驚いた。「意外。前にホラー映画が大好きだって言ってなかった?」うるうるしていた君の目が泳ぎだす。「そ、その話したっけ」懐中電灯だけで照らす夜の道は静か。僕は黙って君の手を握った。
彼はいつもタイミングが悪い。制汗剤を塗り忘れた日にばかりくっついてきたり。ケチなくせに、今日に限って「払っておいたよ」だなんて。くたびれたジーンズで隣を歩くのが恥ずかしい。見慣れた街並みが夕闇に輝く。目の奥が熱くなった。いつもみたいに雑に扱ってよ。私、さよならって言いにきたのに。
「一人でいるより楽しい」から付き合って「一人でいる方が楽」だから別れた。僕も彼女も大人で、あっさり終わった交際だった。午後十時、ベランダでタバコに火をつける。僕は大人になった。恋人が去っても昔のように悲しむことはない。白い煙を吐いてから、もう部屋で吸ってもいいんだったと気づいた。
僕にそっくりな大人に話しかけられた。公園で友達を待っていた時だった。「未来から来たんだ。昔の自分が懐かしくなって」ベンチに腰掛けたその人は、未来の生活について教えてくれた。僕は最後に聞いた。「大人って楽しい?」「楽しいさ」嘘つき。僕は心の中で呟いた。だったらなんで戻ってきたのさ。
好きな人から告白される夢を見た。五年も片思いした人から、静かな海辺で。幸せすぎて泣きそうだった。目が覚めた後、枕元で動かしていた機械を止めた。液晶には完了という文字が表示されている。「一生叶うことのない夢」を見せる機械に異常はない。それを見て決めた。やはり自分から告白しなければ。
最近ときめいていない。恋人は返信が遅くなったし誕生日のサプライズもなくなった。変わってしまったのだ。私とは違っていつも幸せそうに見える友人に聞いた。「最近恋人といてキュンとしたことある?」友人は答えた。「週末に会うたびにキュンとする」その表情を見て、変わったのは私もだと気づいた。
モテる友人に好きなタイプを聞いた。「お洒落な人かな」さらりと答えるその姿に憧れる。確かに彼女の元カレはみんなお洒落だった。けれど、まさかこだわりが服装だったとは。「へえ。かっこいい、とか優しい、とかじゃないんだね」驚く私に、友人は再びあっさりと返した。「え、それは大前提でしょ?」
今夜、恋人は同窓会に行くらしい。高校時代のメンバーで集まるそうだ。いってらっしゃい、と笑顔で見送った。その背中が徐々に遠くなる。夕方のネットニュースはこう語っていた。『嫉妬心が強い人は一途なのではなく、むしろ浮気への関心が高い』と。だから行かないでと言いたくなる自分が嫌いだった。
「夫婦って言ったって、長く一緒にいると、愛なんか冷めちまう。普通はさ」祖父の通夜を終え、祖母は懐から煙草を取り出した。確かに、頑固者の祖父の扱いには苦労したことだろう。「でもねぇ、それでいいんだよ。死んで別れても苦しまずに済むから……」普通になれなかった祖母の頬は涙で濡れていた。
好きな人の思い出になりたい、と思っていた。忘れられない青春の一部に。大人になってあなたと出会うまでは。「明日はどこ行こうか?」二人で掃除をする日曜日の朝。当然のように投げられた質問に心を打たれた。愛は健やかに芽吹く。お互い語らない過去があっても。いま私は、あなたの未来になりたい。
国語の先生の滑らかで整った字が好きだった。数学の先生の右上がりな字も好きだった。社会の先生の丸い字も好きだった。黒板の写真を見た。そんな一瞬の出来事で三年間の思い出が溢れて止まらない。けれど他の先生の字は思い出せなかった。抜け落ちている。抜け落ちていく。少しずつ、息をするたびに。
彼はいつも余裕がある。不安を抱えがちな私と違い、心を病むということがまずない。私は彼が羨ましかった。初夏、彼は家に友人を呼んだ。扉の向こうから恋の話が聞こえてくる。「どうすればそんな風に穏やかに付き合えるんだ?」友人の問いに、彼は優しく答えた。「二番目に好きな子と付き合うんだよ」
運命の人が誰かと聞かれたら、私は君だと答える。雪解けの頃に出会った人。気難しい私に愛される喜びを教えてくれた。あれから花も海も輝いて見えて、命ってものがいっそう尊く感じた。私の人生には優しくてずるい君が必要だ。だから何度生まれ変わっても君に恋をして、そのたびに別れを選ぶんだろう。
二番目でもいいと思った。「ごめん、忘れられない人がいるんだ」君はそう答えたけれど、隣にいられたら満足だった。お花見も、夏祭りも、君は誘えば来てくれるから嬉しくて。カメラロールは君でいっぱいだ。けれど私は連絡するのをやめた。気づいてしまった。君から誘われることはない、きっと永遠に。
「昨日彼女と喧嘩してさ」「え、また?」冬、僕と友人は部活の帰りによくコンビニに寄った。買ったお菓子の一つを渡すと大げさに喜ぶ。彼女とは大違いだ。「あのさ」友人の声は少し震えていた。「私じゃ……だめ?」それから僕らは友達をやめた。恋人のいる相手にアプローチするタイプは許せないのだ。
元彼の母から電話があった。静かな夜のことだった。彼に何かあったのだろうか。一瞬緊張が走ったが、違うようだ。私とも親子のように仲良くしていたので、最後に挨拶がしたかったらしい。「本当の家族になりたかったな……なんてね」この言葉を聞き、別れてから初めて涙が出た。私もです、おかあさん。
「テストの点数高かった方がアイス奢りね」テスト前、隣の席の君は対決を申し込んできた。「アイスでいいの?最近冷えるけど」教室の窓から入ってくる風は仄かに金木犀の香りがした。「じゃあお菓子で」ニッと笑う君が、点数で勝つことよりも二人きりの帰り道を望んでいればいいのに。僕と同じように。
かわいい、と言われた。家族以外の人から初めて言われた。普段下ろしている髪を結んだ夏の日に、廊下でばったり会った君から褒められた。時が止まった気がした。嬉しくて、でも少しだけ情けなくて。私は貰った言葉を宝物にして生きてしまう。君は明るくて、他の子にも同じことを簡単に言える人なのに。
感動する映画を観て、彼に会いたくなった。『今から行ってもいい?』『うん』彼からの返事を確認して電車を降りた。飲み物とお菓子を買って家へ。彼は勉強をしていた。「大好き」そう言って抱きつく。「え、なに」その言葉にすっと熱が冷めた。駄目だ、彼を悲しませたくなる。私は愛を伝えにきたのに。
「世界一好きなんていい加減な言葉はいらないから、今日の服似合ってるって褒めてよ」彼女の言葉はどれもこれも本の中から抜け出してきたようで、面倒なこだわりごと愛していた。別れた後もその輝きが消えなくて。だからSNSはもう見ないと決めた。昔のままでも変わっていても傷ついてしまう、きっと。
「見て。この帽子」彼は店の棚に飾られていたお洒落な帽子を手に取り、私に見せた。「すげえ似合いそう」珍しい。いつもは私を褒めないのに。しかしまだ続きがあった。「俺に」その自信の欠片でいいから欲しい。彼は自分が大好きなのだ。ため息をつく私に彼は帽子をかぶせて笑った。「俺より似合うわ」
「先輩って、恋愛とか興味なさそうですよね」仕事人間として有名な先輩は、私の言葉に淡々と答えた。「いや?好きな子は他にとられる前にガンガン飲みに誘うけど」意外だ。普段着が想像できないあの先輩が。その後、先輩はいつものようにワインを頼み、二人で乾杯した。なぜか今日はため息が多かった。
「ひまわりって怖くない?」ひまわり畑へと向かうバスの中で彼女は言った。「お前を見ているぞって感じ」「なんだそれ」変なことを言う人だ、と僕は笑った。あんなに綺麗なのに。翌年、遠距離恋愛を始めると彼女はひまわりを送ってきた。花瓶に入れたその花はなぜか、ただ綺麗なだけではない気がした。
恋とは可能性のことだ。「遠距離は絶対に無理」と断言した自分が、随分と変わった。自室の窓を開け、春の月を眺める。その白い輪郭はじわじわと滲む。触れられない恋などありえないと思っていた。なのに記憶の中から優しい声を探してしまう。もう涙を拭ってはくれない、星になった君を想い続けている。