長く付き合った彼女と喧嘩別れをした。クリスマスの直前だった。怒り顔で玄関を出るその姿を思い出しては深く傷ついた。僕が立ち直ったのは、春になり新しい恋人ができてからのこと。今はあの子の幸せを願う。僕はたぶん一生勝てない。喧嘩別れした僕の悪口を、あの子は親友にすら言わなかったらしい。
先輩は刑事として飛び抜けて優秀だった。史上最悪と言われたシリアルキラーの逮捕に貢献したこともあった。この冬、そんな彼が退職する。「町から正義の味方が減りますね」僕の言葉に先輩は「俺は正義の味方なんかじゃない」と返事をした。「殺人鬼を捕まえられるのは、あいつらの考えが分かるからさ」
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「ここは人生のセーブポイントです。セーブしますか?」彼女は大切な話をする直前、必ずそう質問する。断る理由もないので僕は「はい」と答えてきた。ある夜、僕は彼女の質問を真似して「セーブしますか?」と聞いてみた。彼女は「いいえ」と答えた。それから迷いなく僕が差し出した指輪を受け取った。
好きな人の思い出になりたい、と思っていた。忘れられない青春の一部に。大人になってあなたと出会うまでは。「明日はどこ行こうか?」二人で掃除をする日曜日の朝。当然のように投げられた質問に心を打たれた。愛は健やかに芽吹く。お互い語らない過去があっても。いま私は、あなたの未来になりたい。
口うるさい母のことが嫌いだった。私達は喧嘩してばかり。だから結婚して子を授かった時、私は優しい親になろうと決めた。けれど小さな手を握っていると願いが溢れてくる。生きてほしい。陽だまりの中で、病気をせずに、傷つけられずに。「もっと丁寧に手を洗いなさい」口から出たのは母の口癖だった。
昔読んだ本に書いてあった。人は息を引き取る時、向こうの世界に一つだけ好きなものを持っていけるらしい。祖母の着物や叔父さんのカメラが見つからなくなったのもそのせいだろうか。恋人の写真を見ながらそんなことを考える。なら僕を選ばなかった君はやっぱり優しい。あんなに寂しがりやだったのに。
初めての遠距離恋愛。時々寂しくなるが、僕は案外穏やかに暮らせている。むしろ彼女への想いが薄れないかどうか不安になるくらいだ。冬、一年ぶりに帰省した。空港で待っていたのは肩の下まで髪が伸びた彼女。目が合うと全ての悩みが吹き飛んだ。言葉よりも先に走り出す足が会いたかったと叫んでいた。
夜の街を駆けた。大好きな人に会うために。あと五分もすれば着くはずだ。すれ違う人は不思議そうな目でこちらを見ていた。無理もない。真冬なのに汗だくなのだ。会いたい。いつも会いたいと思っているけれど、今日は特別だ。ただ「愛してるよ」と伝えたい。だから神様、まだあの人を連れていかないで。
付き合いたての彼に何かしてあげたくてたまらない。「お腹空いた?」読書中の彼は「いや」と即答した。「じゃあコーヒーでも」「いらない」一人で泣きそうになっている面倒な私に気づいたのか、彼は「隣にいるだけでいいよ」と言った。単純な私はその言葉を鵜呑みにして、年をとった今も彼の隣にいる。
消えたい。全てから逃げ出したい。そう願った夜、家で一本の映画を見た。「生きるのが嫌になった時でも絶対に前を向ける」と友達が太鼓判を捺していた映画。感動の結末には思わず涙した。けれど、いや、だからこそ見終わった後は夜風に当たりたくなった。この映画を見ようとも思わない人生が良かった。
今年最後のデートに出かけた。粉雪が降る十二月。「寂しくなるね」彼女は公園のベンチに腰掛けて言った。来年、僕は夢を追うために上京する。「ねえ」彼女は小声で何かを言った。「何?」「応援してるよって言ったの」一月、僕は飛行機に乗った。行かないでという言葉は、ちゃんと聞こえていたけれど。
「君の友達になりたいな」春、母の再婚相手はそう言って握手を求めてきた。彼は私の父になろうとはしなかった。あれから十年。周りからは奇妙な関係だと時々言われる。けれどいいのだ。私が実の父を慕っていることを彼は知っている。それに私にはこの年の離れた友達が、父と同じくらい大切なのだから。
今夜別れようと告げるから、夕飯はいつもより時間をかけて作った。最後に感謝の気持ちを形にしたくて。玄関のチャイムが鳴る。靴を脱ぎネクタイを緩めた彼は「俺の好物ばっかりじゃん」と目を輝かせた。「そうなの。それでね」何も言えていないのに涙で前が見えなくなった。もっと上手に別れたかった。
人生やり直しボタンが欲しいと思っていた。生きていても毎日つらいことばかり。だから本当にそのボタンが目の前の画面に表示された時、僕はすぐに手を伸ばした。指を置いた瞬間なぜか涙が出た。本当に欲しかったのはボタンではない。「そんなの押さないで。寂しいよ」と僕の手を止める誰かだったのだ。
「私にスマホ見せられる?」先日同窓会に行ったという彼にそう質問した。「もちろん」彼はスマホを手渡した。「どうせくだらないやりとりしかしてないし」彼の言った通りだった。浮気の痕跡はない。地元の女友達と毎日ゆるい会話が続いているだけ。それが嫌なの、とは言えずに彼の澄んだ瞳を見つめた。
「私のどこを好きになったの?」バーで乾杯した後、私はずっと気になっていたことを聞いた。恋愛には興味がないと聞いていた彼に告白された時は正直驚いた。彼は「色々あるけど」と言ってグラスだけが置かれたテーブルに目を向けた。「二人でいる時スマホを全然触らないよね。たぶん、そういうところ」
彼と別れてから過去の写真を山ほど消した。消すだけで一晩かかって、空が白む頃には涙も枯れた。彼の影響でダウンロードした曲は聴かないと決めた。二人でよく話し込んだ大好きなカフェにだってもう行かない。何もかも遠ざけたのに、真冬の月が美しいだけで誰もいない隣を見上げてしまう弱い私だった。
成人式の後、国から二つの薬が届いた。傑出した能力を得られるが短命になる薬と、何の代償もなく寿命を延ばせる薬。僕は恋人を呼んで言った。「一緒に長生きしようよ」けれど恋人は首を横に振った。「私は別の薬にする」恋人は百年後に見る夕映えより、歴史に刻まれた名前の方が美しいと思う人だった。
私の両親は忙しく、子供の頃はいつも一人で遊んでいた。だからだろうか。自分が親になった時、家族との時間を大切にしたくなった。遊園地も水族館も何度も行った。けれど今年成人する娘は「行ったっけ」と首を傾げる。あの日々は儚く消えたのだ。でも、と娘は言う。「毎日楽しかったことは覚えてるよ」
失恋して二年が経った。通学路に舞い落ちる紅葉をかつては君と見ていた。初めての恋人だった。今は友人ですらないが。あの頃、君よりも愛せる人はいないと信じていた。ほんの一瞬会えただけで満たされるほど好きだった人。そんな人と別れても立ち直れる自分に心底がっかりして、同じくらいホッとした。
アプリで知り合った相手にドタキャンされた。女友達にその話をすると、よくあることだよ、と励まされた。「はあ、いつになったら幸せになれるのかな」もうアプリで頑張るのも疲れた。「幸せって案外近くにあるらしいよ」「日々の生活を大切にってこと?」彼女は僕の質問に答えず、深いため息をついた。
「スタバの新作飲みにいこうよ」ソファで本を読む彼の肩に触れた。「え、今から出掛けんの?」彼は眉間に皺を寄せた。窓の外は既に薄暗く、しかも彼は私と違い流行に対する興味が全くない。最初はそんな人と付き合っていけるか不安だった。「なんでニヤニヤしてんの」彼はコートを羽織りながら言った。
「僕の好きなタイプ?」彼は照れた顔で言った。「うん。教えてよ」勇気を出してやっと聞けた。期待と不安が入り交じって胸の鼓動が高まる。「僕とは正反対の人かな」なるほどと頷くことしかできなかった。みっともなく泣いてしまいそうだった。「君と僕は似てるね」と言われて、昨日は嬉しかったのに。