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近頃、冷凍庫を開くたびにアイスが増えている。前まではアイスキャンディーが数本あるだけだったが、昨日と今日はハーゲンダッツが増えていた。ふうと息を吐く。乱雑に置かれたアイスを整理し、買ってきた冷凍食品を隙間に詰めた。ずるい人だな。今夜にでも仲直りしないと、食べ切れなくなってしまう。
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土曜の九時に通話しようと約束した。初めてできた彼氏。それだけで一週間頑張れてしまった。『ごめん。課題が忙しくて』LINEがきたのは夜の八時過ぎ。『分かった』が書けなくてスタンプだけ返した。あと十年もすれば懐かしくなるだけだろう、今夜のことも。布団の中で十五の私がこんなに泣いていても。
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彼と大喧嘩をした。だけど離れられないのが同棲のつらいところだ。夜、お互い背を向けてベッドに入る。すると彼が肩をちょんとつついてきた。「寝る前に仲直りしないと駄目なんだって」「誰に聞いたの」「この前読んだ本に書いてあった」何言ってんだか、と笑って振り向く。本を読むのは苦手なくせに。
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LINEも電話もこっちから。最後に君からデートに誘われたのはいつだっけ。何かが欠けたまま付き合って一年が経った。「どうしたの?今日は静かだね」買い物中、少し先を歩く君が振り返る。答えられず俯いた。自分でも分からないんだ。昔は違った。愛の大きさが等しくなくても、こんな風に泣かなかった。
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地獄に落としたい人がいる。同級生だった。地味だけど平穏な私の学校生活を軽い気持ちで壊した人。卒業式まで耐えた私を周りは褒めてくれた。「頑張ったね」「よく乗り越えたね」褒められても喜べなかった。大人になった今、傷だらけの心を抱えて思う。あれは、逃げたっていい試練だったんじゃないか。
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ヒーローとして戦うのが僕の仕事だ。その気になればこの星を壊せるくらいには強いが、万能じゃない。休憩は必要だし、地球の裏側で泣いている子には気づかない。けれどあっちを助ければこっちを助けなかったと非難される毎日。だから時々考える。楽になれるかな。怪物に振るう拳をこの星に向けたなら。
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三ヶ月ぶりに彼と会う。二泊分の荷物とお土産をリュックに詰め、新幹線に乗った。窓の外に映る雪山や河川、珍しくもない住宅街ですら今日は煌めいて見える。彼は優しく抱きしめて、話の一つ一つに頷いてくれるだろう。だから不安だった。帰りの新幹線で私は、同じ景色を見ながらどれほど泣くだろうか。
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「長く続いたドラマの最終回でさぁ、初期の主題歌流すことあるじゃん」彼女はベッドの上でスマホを触りながら言った。「あれってエモくない?」僕は「分かるわ」と返事をした。ベタな演出だがいつも胸が熱くなる。ふと彼女のスマホから音楽が流れ始めた。付き合いたての頃に二人でよく聴いた曲だった。
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「生まれ変わっても夫婦になろう」はい、と頷く君の涙が頬に落ちた。時代は移り変わり、春。僕はまた人として生まれた。前世の記憶を残したまま。だがこの時代の君は僕のことを忘れていた。想いの差だろうか。それでも惹かれ合いやがて夫婦になった。年老いた君が病床で僕に言う。「来世はまた夫婦に」
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僕ら魔法使いは一般人から恐れられている。本当は皆優しいのに。村外れで迷子になっていた子供を両親のもとへ送り届けると「親切な魔法使いがいるとは」と驚かれた。僕は「当然です」とひらひら手を振って去った。魔法使いは皆、心に余裕があって優しい。何かあれば一般人なんて簡単に消せるのだから。
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全部勘違いだった。君は「可愛い」も「気が合うね」も誰にだって簡単に言える人で。二人きりの帰り道が特別なのは私だけだった。隣に誰もいないと、夕方の信号待ちは永遠に続くように思える。抱えた荷物が重く苦しい。楽になりたいのに。雪が降る道は美しすぎて、浮ついた心の処分場を見つけられない。
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私ばっかり浮かれてる。「三ヶ月記念とか祝うの面倒だよな」彼の言葉は質問というより断定で。放課後、一人で教室を出た。「記念日なのに二人で帰んないの?」廊下で声をかけられた。隣のクラスの、先月私に告白してきた人。「祝うの面倒だって」「え?冷たいね」無言で歩いた。天秤が傾かないように。
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親友は叶わぬ恋をしている。「恋愛には興味がない」と公言している人を三年近く想い続けているのだ。そんな彼のことを可哀想だと思っていた。「もう諦めろよ。絶対振り向かないんだし」親友は答える。「振り向いてもらうってそんなに大事?」その口調があまりに穏やかで、なぜだか少し羨ましくなった。
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彼女が目を合わせてくれない。そのせいで喧嘩したまま半日が経った。僕としてはそろそろ仲直りをしたいのに。ソファに腰掛け、彼女は分厚い本を読み続けている。ページを捲る音がいやに響く部屋で、僕はついに口を開いた。「こっち見てよ」「無理」即答だった。「どうして」「顔見たら許しちゃうから」
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人間に化ける妖怪がいる。その事実は有名だが、長く化けていると元の姿へ戻れなくなることは案外知られていない。人の形をした妖怪の子は人の形を持って生まれる。妖怪である自覚もなく、本当の姿も知らないままで。だが多感な時期には「自分は人間のふりをしているだけだ」と感じることもあるそうだ。
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寂しいと思ったことはない。一人で映画館に行くのも、カラオケで歌うのも。気楽であることが何より大事で、周りの目も気にならなかった。だから、どこにでもついて行きたがる君と付き合ったことを後悔している。「楽しかったね」無邪気に笑う君がいなくなった今、何かが足りないとばかり考えてしまう。
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高校時代の親友と縁が切れた。大人になった私達はいつの間にか趣味も価値観も変わっていて、会うたびに息苦しさを感じていた。笑い声よりも沈黙が目立つようになった頃、私達は自然と会わなくなった。十年前のツーショットを見ながら思う。離れてよかった、たった一人の親友を嫌いになってしまう前に。
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別れようと言ったら、君は泣くのだと思っていた。「いいよ」けれど返事はそれだけだった。僕らは同じ気持ちを抱えていたのかもしれない。一晩で生活が変わった。半年も経てば寂しさも薄らいで。あっさりした綺麗な別れに思えた。君以外の誰かを好きになるのが難しい心だけが、恋の傷跡に気づいていた。
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私は未来のことが分かる。天気も、夕飯のおかずも、何もかも。だから部室に響くトランペットの音を聞くだけで胸が苦しくなる。「頑張るね」私が声をかけると、友人は「最後のコンクールだからね」と頷いた。何が優しさなのか分からなくなって目を背けた。今年の大会は、開催直前で中止になってしまう。
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靴下を片付けろと何度も怒られた僕が、部屋を隅々まで綺麗にして玄関を出た。冷えきった冬の夜だった。歯ブラシもiPhoneのケーブルも、紙切れすら残さないと決めていた。家に帰った時、君はどう思うだろう。自分が情けなくて笑った。もう他人なのに我儘だな。今更、君の寂しさの理由になりたいなんて。
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「推しと私どっちが大事なの」ついにこの日が来たか。僕は膨れっ面の彼女に壁際まで追い込まれた。記念日の夜、一人で推しのライブに行ったのがまずかったらしい。「そりゃ、彼女に決まってるじゃん」「ほんと?」ころっと機嫌を良くする彼女の頭を撫でながら、あのライブは最高だったなと考えていた。
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「俺が先に死んだら新しい人を見つけてよ」夕陽が差し込む部屋で彼がボソッと言った。すぐには返事ができず、ただその横顔を見ていた。「他の人にとられてもいいんだね」そっちもね、と頷けない子供っぽい自分が嫌になる。そんな私の手を強く握り、彼は困った顔で笑った。「嫉妬しないとは言ってない」
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「一人でいるより楽しい」から付き合って「一人でいる方が楽」だから別れた。僕も彼女も大人で、あっさり終わった交際だった。午後十時、ベランダでタバコに火をつける。僕は大人になった。恋人が去っても昔のように悲しむことはない。白い煙を吐いてから、もう部屋で吸ってもいいんだったと気づいた。