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「私のことどれくらい好き?」遠距離恋愛中の彼は電話の向こう側で答えた。「映画を観てる時に思い出すくらい」大きさを教えてよと不満げな私を、彼はいつものように軽くあしらう。そうやって毎度逃げるのだ。眠る直前、私はふと思い出した。そういえば、彼は家でずっと映画を流していると言っていた。
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別れた彼女のことを忘れると決めた。いつまでも落ち込んでばかりはいられない。夜中まで仕事に打ち込み、サボりがちだったジムに通い、友人を飲みに誘って語り合った。お陰で忙しくなった。毎日充実している。それなのに、仕事で疲れた後や飲み会からの帰り道で、無性にあの子に会いたくなるのだった。
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「ねえ、チョコ好き?」やっと聞けた。同じ弓道部の彼は、横にいる私をちらりと見ながら答えた。「大好き」珍しい笑顔にこちらがどきりとしてしまう。「良かった。甘いもの食べないって聞いてたから」彼は不思議そうな顔をした後、急にその場でうずくまった。「好き?の部分しか聞こえてなかった……」
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大好きな人にプロポーズされた。子宝にも恵まれた。幸せだ。「パパ、みてみて!」「お、上手にできたね」積み木で遊ぶ娘と夫を、ずっと見ていたいような昼下がり。夫はふらりと台所に来た。「ママ、何か飲み物ある?」うんと頷く。言葉にできない寂しさが胸に詰まった。彼はもう、私を名前で呼ばない。
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好きだけど話すのが怖い。そんなことを考えるくらいには、恋という病が進行していた。『今週末どこか行かない?』勇気を振り絞って送ったLINEは、二分後に返事がきた。『先週も出かけたし、今週はいいかな』淡白な君らしい文章に気が遠くなる。君は週に一度でも多すぎで、私は毎日だって会いたかった。
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夜、誰も触っていないはずの本棚からバサッと本が落ちた。幼い娘は「ママ」と言って泣いた。ここ最近、こういった不可解な現象がよく起こる。本を拾い上げ、大粒の涙を流す娘を抱きしめた。床に落ちてきたのは娘の大好きな絵本だった。生前、妻は幽霊になって戻ってくるからと僕達に言い聞かせていた。
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「スタバの新作飲みにいこうよ」ソファで本を読む彼の肩に触れた。「え、今から出掛けんの?」彼は眉間に皺を寄せた。窓の外は既に薄暗く、しかも彼は私と違い流行に対する興味が全くない。最初はそんな人と付き合っていけるか不安だった。「なんでニヤニヤしてんの」彼はコートを羽織りながら言った。
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「さっきね、バイト先の人から告白された」深夜一時。帰宅して早々、疲れた顔の彼女はベッドへ倒れ込んだ。「今月二回目じゃん」その頭を撫でるのも慣れたものだ。「嫉妬した?」「別に、今更だし」不安は隠したまま、落ち着いた大人を装う。彼女は微笑んで言った。「ねえ私、断ったとは言ってないよ」
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自分が嫌いだった。何をやっても中途半端で、他人の良いところにばかり憧れていた。大きな夢なんか持てなかった。季節が幾度も過ぎていく。私の勧めでイラストの仕事を始めた友人は、感謝の花束と共に言った。「人をスターにする才能があるよね」その一言は年老いた今も消えない大切な贈り物になった。
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失恋して二年が経った。通学路に舞い落ちる紅葉をかつては君と見ていた。初めての恋人だった。今は友人ですらないが。あの頃、君よりも愛せる人はいないと信じていた。ほんの一瞬会えただけで満たされるほど好きだった人。そんな人と別れても立ち直れる自分に心底がっかりして、同じくらいホッとした。
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『もう別れようか?』そこまで入力したのに送信するのを躊躇っている。恋人にはもう長らく会っていない。電話すらしない。だからこの言葉を送っても変ではないけれど、何か違う気がしていた。初めての恋人と私はどうなりたいんだろう。一晩悩み、早朝に送信ボタンを押した。最後の疑問符を消した後で。
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僕の好きな子は香水集めが趣味らしい。話を広げたいが、正直香水の類は苦手だ。けれどある日、珍しく好みの香りが漂ってきたことがあった。「新しい香水買っちゃった」その笑顔を見てつい「この香り好きだな」と口に出してしまった。だから近頃すれ違うたびにどきっとする。いつもあの香りがするから。
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「あと五年経っても独り身だったら結婚しよう」大学の友達とそんな約束をしてもう五年。君はいつの間にかスーツが似合う人になっていた。「昔の約束覚えてる?独りだったら結婚しようってやつ。バカだよな」君は飲み会の席で笑った。左手の薬指には指輪が。そうだね、本気にするなんてバカだなぁ、私。
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誰かを笑顔にしたくて歌手になった。それでも顔がスタイルがと言葉のナイフは飛び続けた。傷だらけでそれでも有名税だって片付けられて。だから人前で歌うことなんてもうやめた。名前を変えて音源だけあげたら山ほどコメントがついた。『綺麗な声。きっと美人なんだろうな』私は画面を見ながら笑った。
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私には好きな人がいる。たとえ、彼が他の誰かを愛していたとしても。「もう一度好きになってほしいんだ」前の彼女の話を聞くたびに、絶対に勝てない、と思い知って涙した。季節は巡る。ある日、彼は事故で亡くなった。彼の母は俯いて声を震わせた。「記憶を失う前のあなたは、この子の彼女だったのよ」
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こちらの浮気が原因で別れることになった。飲み会の後、たった一回。けれど恋人は『別れよう』とLINEをしてきた。会って弁解させてほしくて『三年付き合って終わり方がLINE一通って……』と食い下がった。日付が変わってから恋人から返信がきた。『何言ってるの?浮気した時点でもう終わってるんだよ』
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「好きって言ってよ」それが彼女の口癖だった。恋人なんだから、好きに決まってるのに。「そんなの僕らしくない」顔を背けて歩く。口下手な僕も認めてほしかった。仕方ないな、と苦笑いした彼女は、その夜事故に遭った。笑っていない顔を久々に見た。僕はずっと、彼女の人間らしい部分から逃げていた。
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デートに二時間遅れた。彼は寂しそうに俯いていた。後悔が膨らんでいく。「ごめんね。代わりに何か一つお願いを聞くから」「いいの?」嬉しそうにしていたのに、彼は何も求めなかった。誰よりも優しい人。そんな彼は、私の病気が分かった時に泣いた。「死なないで、お願い」私はいいよと頷きたかった。
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「えっ、ネックレス!?」彼から渡された箱を開けて驚いた。なにせ無駄を嫌う人で、友達だった五年間、誕生日にくれたものは実用品ばかり。「また役立つ便利グッズかと」「使うといいことあるかもよ?」まさか。けれどある時気づいた。このネックレスをつけた日は、いつもより彼の機嫌がいい気がする。
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「恋人になってくれませんか。一ヶ月だけでいいから」よく寝落ち通話をする君からそう言われた。ネットで知り合って半年が経っていた。「気持ちは嬉しいけど、どういうこと?」「冗談、冗談。忘れて」それから君からの連絡が途絶えた。その冬、ずっと入院していた同じ学年の生徒が亡くなったと聞いた。
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「夜になったら会いにいくよ」君はそう言ってくれたけれど、ついぞ玄関のチャイムを鳴らすことはなかった。その名の刻まれた石の前に会いにいってもまだ信じられなくて。日が沈むたびに君が訪ねてきはしないかと想像した。夜空を見ると君の笑顔と声を思い出す。ねえ、もしかして君は夜になったのかな。
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「べた惚れが百としたら今いくつ?」昼休み、教室で君にそう聞くと即答された。「五かな」「少なっ」やや強引に告白をOKしてもらった自覚はあったが、先は長そうだ。けれど会うたびに大好きと伝え続けて一年、君はやっと照れた顔で答えた。「今は百だよ」どうして私だけ五になってしまったのだろう。
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毎日飲まなきゃいけない薬がある。飲むと胃がムカムカしたり熱が出たりして嫌だった。そんなある日、お医者さんから「薬はもう飲まなくて大丈夫」と言われた。嬉しくてお母さんに抱きついた。「よかった。あれ嫌いだったの」そうだねと抱きしめ返すお母さんの肩が震えていて、なぜだか泣きたくなった。
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彼と別れてから過去の写真を山ほど消した。消すだけで一晩かかって、空が白む頃には涙も枯れた。彼の影響でダウンロードした曲は聴かないと決めた。二人でよく話し込んだ大好きなカフェにだってもう行かない。何もかも遠ざけたのに、真冬の月が美しいだけで誰もいない隣を見上げてしまう弱い私だった。
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息子に何度電話をかけても出てくれない。一人暮らしを始めたばかりで心配なのに。仕方なくLINEを送ると『ごめん寝てた』と短い返事がきた。『いつも寝てるわね』と打とうとして、やめた。窓の外では夕立が降っていた。亡くなった母が恋しい。私も同じことを言って、母からの電話に出ない時期があった。